アメリカ人に「忖度」は望めないのかな
年齢にかかわらず、私が何度も転職できてきたのは、つたないながらも英語のおかげである。
しかし、いつも思うのだが、我々non-nativeが書いた英文を、受け取る側のアメリカ人どもはどう思って読むのだろう?ということ。
社内に、しゃべるのはかなり流暢にしゃべるのに、メールを書かせると文法がめちゃくちゃな女性がいる。
This documents is US sent me.
とか、はちゃめちゃな文章を送っているのだが、それでも返事が来るところを見ると、向こうにも、それなりに「忖度」してくれる人がいるらしい。
しかし、全然そうでない人も勿論いる。先日、ある食品の成分分析結果があるかないか、という問答を、工場のあるK国との間で、もちろん、英語でやりとりしていた。CCにはUS本社の人を数名入れていた。
そうしたら、そのUS本社の人が、
「これを見たらその結果が出ているかもしれないわ」
と言って、突如、重めの添付ファイルを送ってきた。そのファイルを開いてみたら、うげ、科学者による正式な実験論文であったのだ。しかも、我々がK国の人に聞いていたこととはどうも違うことが書かれているようであった。
とにかく、まず思ったのが「んなもん、読めるか~~~っ!!!」で、次に思ったのは「あんたも我々の質問を全然わかっていない」ということだった。
とにかく、思うのは、アメリカ人って、外国語を読む苦労をちっともわからない人が多い、ということ。英語でさえ書いてあれば、誰もが簡単に読めると思っているらしい。私だったら、相手の苦労を忖度して、そういう難解な資料には予め目を通し、理解した上、
「◎ページの●行目から、捜している情報が出ているからね」
という渡し方をすると思うのだが、アメリカ人に、そんな忖度まで期待するのは無理なのだろうか。
前にも書いたが、英文を訳すときに、動詞は、ストレートに「○○する」と訳すより、「○○の逆をしない」と訳すとおさまりが良いことが多い。
Bear it in your mindは「覚えている」というより「忘れないようにする」としたり、
Change is necessary for growthを「変化は成長に必要だ」より「変化は成長に欠かせない」としたり。
あと、「質より量」は、英語でも「Quality over quantity」と言うのだということを、先週初めて知った。
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