東京ガスは、うるうる来るような美コマーシャルを作る。結論は、家族の絆の中心に料理があり、その料理を作るのがガスだ、という点に行きつくように構成されているのだが、以前やっていた、「婆ちゃん」が孫に、魚の煮つけを主に、孫の目から見たら、「うちの料理は古臭い」というご飯を出すというあれは良かった。最近では、渡辺えりが母親で、大学生から社会人になった息子の視点から描いたものもよかった。
今は、頑固そうな親父と、もうすぐ嫁ぐ娘というバージョンである。
この組み合わせだと、結論がすぐ見えそうである。大体、この年ごろの娘は、父を嫌う。父のすることなすこと、「やめてよ」と言う。部屋で裸でうろつく、とか(注:さすがにCMだけあって、全裸ではなくタオルを巻いていたが、普通、家の中を裸でうろつくオヤジってすっぽんぽんではないか?しかもあのオヤジさん、背中が引き締まっていた。普通、あのくらいの年のオヤジはもっと体がダレて醜いものだ)、Tシャツをズボンの中に入れている、とか。
しかし、最後は、お定まりの、花嫁姿の娘に「幸せになれよ」という終わり方である。
あ~~、だっせーー! 臭い!
長年の疑問なのだが、何で「花嫁の父」ばかりこうも美化されるのだろう?
これは私が大昔、「暮しの手帖」の読者投稿欄で見た投のだが、
「花嫁の父?結婚式のヒーロー?冗談じゃない!」
という書き出しの投書で、投稿主はむろん、娘を嫁がせた母親であった。続きはこんな文章だった。
「死ぬような思いをして、腹をいためて産んで、そのあとは母乳おむつ、で必死に育て、やれ幼稚園だ、学校だと懸命になって育ててきた。しかしオヤジときたら、仕事ばかりでろくに家にも帰ってこないし、結婚が決まったって、ぼーっと突っ立っているだけで何の役にも立ちゃあしない。裏で駆けずり回っているのは全部この私」
私は、こんな面白い投書を見たことが無い。数十年たった今でも忘れられない。
どの家のオヤジもすべてこんなふうだと決めつけないけれど、これが世の母親の大半の意見ではないだろうか。妊娠から始まって、子供の衣食住、学校の手続きから何から何までほとんど母親がやる。
そりゃ、男が働いてくれているからできることだと言われたら元も子もないけれど、家事育児ほとんど妻にまかせっきりだった昭和のオヤジが、いざ、娘が嫁ぐときになって、突然ヒーロー扱いされるのって、非常に疑問だ。真の功労者は母親だ。
従って、娘は、嫁いだあとも、頻繁に実家に帰ってきては、母親とだけ話をし、母親からおかずとかその他いろいろ、父親のいないところでもらって帰るほど、母との絆は深いのである。
余談だが、私が結婚し、旦那が偶然職を得た先である京都に引っ越すことになった朝、おやじにろくすっぽ挨拶もしなかった。おやじは、あの朝、三つ指でもついて「これまでお世話になりました」とでも言って欲しかったのだろうか。おやじとは非常に仲が悪かったから、私はそんなことするつもりは毛頭なかったが、その夜、母に電話したら、母にさんざん怒られた。おやじが私の態度に怒り狂っていたという。
今では、おやじに悪いことをしてしまったと反省している。私があの世に行ったら謝ろう。