こういう考えには必ずしも100%賛同しかねる
自分の生き方はこれでいいのか、とか、こんなはずではなかったのではないか、とか、そんなことを考えているうち、たまたまコンビニで見かけた、人生訓の本などを手に取り、琴線に触れた場合は買ってしまうことがある。
今の幸せに満足できる方法として、
「ただ足るを知れ」
と書いてあった。
お寺のつくばいに、「口」という漢字の周りに「吾」「唯」「足」「知」という4つの漢字の「口」の部首以外を彫ってあるものを見たことがある方は多いだろう、
ただ「足る」を知ることで、バランスのとれた穏やかで満ち足りた人生を送ることができる、と書いてあった。
仏教の教えに基づいているのだろう。
人類不変の真理として、当たっているところはある、とは思う。
しかし、世界中の人々が「ただ足るを知って」不平も不満も言わないならば、どこへ行くにも徒歩しか移動手段がなくても文句も言わないことになる。さすれば、電車や車、船や飛行機などは発明されなかっただろう。飛脚が手紙を1か月くらいかけて運んでも不満を持たないとしたら、電話もeメールを発明されなかったはずだ。
人間には、果てしない欲があるから、それを満たすために発達していくのではないか。
私は特に宗教を持たないが、かたくなに宗教を信じ、それに従って国家を運営している国々や、生きている人たちが理解できないところは、
「もう2000年前とは時代も科学も違うのだから、宗教の内容を再点検しよう」
という声を公にあげられないのか、ということだ。
私の旦那はユダヤ系アメリカ人だが、彼は全然守っていないけど、姉などかなり厳密で、肉とその母の乳は絶対に一緒に食べない(例「牛肉とチーズ、バター」)。肉と乳製品の調理器具や食器まで分けている。
豚肉、うろこのない魚、地を這う魚介類、爪が割れていない獣肉は食べてはならない。
こんなのなんでじゃ、と思うけれど、いまだそれを実行している。
イスラムの厳格さについては、今ここで改めて言及する必要もない。「2000年前に比べて衛生状態が変わったから、豚肉を食べてもよいだろう」などとは公言できないようだ。おかしい、とか疑問をはさむことも許されないのだろうか。
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