あ~疲れた、なんて言っていられない。へたばるわけにはいかない。
幸い、病室の母に会いに行くと「あんた、元気だね」と言う。
病人に比べたら、健常者は誰でも元気に見えるだろうけど。
昔ながらの日本の女性は、年末には一日中働きまくって正月の準備をしなければならないような固定(強迫)観念がある。私自身は、12月から1月に代わるからと言ってもバタバタしたくないのだが、母が入院中のこの機会に、目いっぱい片づけをしている。
長年専業主婦をやって来た割に、母は、娘の私の目から見ると、あまり片づけが上手ではないと今更悟った。
私は、モノの数は必要最小限しか持たないし、使わないと見ると、住居スペースが勿体無いから、思い切って捨てる。しかし、母は、「昔の人間だから」と言って、使わなくても延々保管している。母の場合、「保管、保存」は、とりあえず、視界から抹消することであるが、一度抹消したモノが、再び母の指にふれることは、断じてない。
視界から抹消する先も、まあ、あきれるほどまちまちで、年金、金融機関、介護、保険、その他の通知の葉書や書類が、箪笥や押し入れや引き出しのあちこちから、出てくる、出てくる。こういうのを見ると私は、地を這うほど低い血圧がぐわーっと上がり、鬼のようにバシバシ片づける。私が菓子の空き箱を利用して作った整理箱もちゃんと使えておらず、結局私が全部整理するのだ。過去2年分くらいを残して、あとは全部シュレッダーだ。
1度くらいしか使わなかった健康食品や通販のカタログなども後生大事にとってある。なんでこうも律儀なのか分からない。私はそれらの封筒に書いてあるフリーダイヤルにかけて、もう送付を止めてくれと片っ端から頼む。
腐るほど出てきたのが、「肩パッド」。一昔までは、洋服に必ずと言っていいほど入っていたのだが、今、肩パッドなんざ見ると笑ってしまう。とにかく、服から外したと見られるそれが、あちこちからぞろぞろ出てきた。これも「あとで必要かと思って」と言って保存していたに違いないのだが、必要ないから外したものなんて、箪笥の肥やしにもならない。「昔の人間だから、捨てられない」のだろう。
しかし、それと矛盾するのが、あまたのミニ手帳。かつて「手帳を買ってきて」とたびたび頼まれたが、山のように出て来た。しかも、どれひとつとして、きちんと使い倒していない。最初の1~2ページに、婆仲間の名前と電話番号とか、血圧とか、体温が書いてあって、いきなり真ん中くらいに飛んで何やら書付け、最後のページを、わざわざ縦書きにして(母は縦書き世代)、何やらメモしている。とにかく、全体の9割が白いままで、そんなふうに虫食い状態に使っただけの手帳が、いくつもいくつも出てきた。物を粗末にしてはならない世代のはずなのに、こういうところはあきれる。おまけに、ページが破られているものもいくつもある。
「なんでこういうノートのページを破るの?ノートはページを破って使うものではないんだよ。破ったら形が崩れるよ」
と言っても、
「でも、書いたのが汚なかったから」
などと言う。とにかく、文房具の使い方が全体によくわかっていないし、在庫を確認しないで次から次にモノを買ってくるので、同じものが5個も10個も出てくる。こういうのを見るとまた、頭から湯気が出る。シャツも、長袖半袖、これでもかと買ってある。スカーフや襟巻も店ができるくらい死蔵しているが、常時使っているのは、2本くらいだ。
サラダ油や醤油のボトルも何本も出てきた。一体何人家族だと思っているんだ?原則「買い置き」というものをしない私にはイラつく。賞味期限の新しいものを数本、近所にあげてしまった。
今日が今年最後のゴミの収集日。かくして、てんこ盛りで出した。
もう疲れたし、年内の片づけはこのくらいにしておこう。
あんまり片づけてしまうと「遺品整理」みたいかな。母はまだ生きているが、もしかしたら、家に戻ってくることはないかもしれない。