最近、些細なことで幸せを感じ、感謝をしようと、つとに思う。
まずは、歩けること。スタスタ、ガシガシ、大股で歩く。子供の時住んでいた土地(長野)では、それまで住んでいた東京近郊(松戸)とは違い、学校までの距離が長かったのと、子供らをさまざまな作業にこき使う習慣があったので、遠距離歩くことも、肉体作業もいとわなかくなったのも、このころの影響だと思う。
目も、視力は弱いけど、見える。
鼻もかげる。
歯もきれいにそろってちゃんとあり、なんでも噛める。
手も動く。
体も、どこも悪いところはない。
これまでも折りを見てやってきたが、また母の片づけに行った。
母は、このごろ物の整理整頓がめっきりできなくなってきた。
年金関係、健康保険関係、または介護関係の葉書など、あちこちにしまいこんでいる。
数年前の生協の伝票、電気ガス水道の伝票、医者の領収書を、「なんでこんなところに?」という場所にしまいこんでいる。どうやら、見えないところに入れれば、それで整理したと思い込んでいるらしい。
私が思っていたほど、物の整理が得意なタチでもなかったのかもしれない。
私は、頭から湯気を出して、それらの書類をまとめ、所定の箱に入れてやる。
後期高齢者健康保険では、一定の医療費の支払いを超えると、返金される仕組みになっているらしい。
ただでさえ1割負担という特権を受けているのに、払い戻しまでするとは、国は、気が狂っていまいか。
1割ではなく、2割か3割負担にしないと、ますますパンクする。
払い戻しの葉書も、わずか200円とか300円の返金を知らせるのに、送られてくるバカ正直さだ。
母は、毎月ただただ口座から引き落とされるだけで、金額の確認などしない。
葉書や書類は、とりあえず過去2年間分保存している。
「それ以外はごみに出していいでしょ?」
と聞くと、母は、
「私の名前が出ているのはちょっと困る」
と言う。ぼけてきているのに、そういうところはしっかりしているんだな。というわけで、私はわざわざ勤務先に持っていき、シュレッダーにかけてやる。
まともに学校に行けなかった世代だからと言うわけではないが、文房具の使い方も、わけがわからない。
ファイル類も何冊も持っているが、どれ一つとっても、まともに書類をはさめていない。
ノートも何冊も出てきたが、みな、最初と、途中数ページに書き込み、真ん中は飛んで、急に最終ページに何か書いてあるが、まともに1冊使い通しているものが全くない。
文房具に限らないが、同じものがいくつもいくつも買ってある。
在庫を確認しないせいだ。
調味料も、同じものがいくつも封を開けてある。「なんで?」と聞くと、「見つけられないから」という。
すでに冷蔵庫にあるのに、見つけられないからという理由で、すぐ新しいのを開封してしまう。と、前に開封した同じものを私が見つけて指摘をする。
キャベツも人参も葱も玉ねぎも、在庫を確認しないから、いくつもある。
生協の宅配は中止させた。
一回何かを取り寄せただけで、その後も延々送られてくるカタログ類も、引き出しにしまいこんでいた。
これもみんなガシガシ捨てた。捨てただけでなく、発送元に電話をし、もう送らないように頼みまくった。
女優の中村メイコさんは、夫君とともに、これまで住んでいた一戸建ての豪邸を売り払い、小さなマンションに引っ越したそうである。
子供たちに迷惑をかけないよう、「死に支度」のためだそうだ。
夫君は音楽家なのに、グランドピアノも処分したそうだ。
メイコさんも、もっていた着物をあちこちにあげたそうだが、それでも処分しきれないものは、トラック7台分捨てたそうである。
まだ頭と体が動くうちに、死に支度を始めるとは、素晴らしい覚悟だと思う。
母は、最近、体がまともに動かせなくなってきたし、今が平成何年だか理解するのも大変になってきた。