朝鮮総連、靖国神社、昭和の日
「みどりの日」、などと、ずいぶん無意味な祝日名を付けたものである。
昭和につながるもの、昭和天皇につながるものをすべて否定しようという動きがあったのだろうか。
何にしても2007年から「昭和の日」となった。
かねてから、朝鮮総連の建物を見てみたくて仕方がなかった。
この土地建物を45億円あまりで落札した坊さんが鹿児島にいるらしい。
坊主のくせに、と言ってたら悪いかもしれないが、こんないわくつきの建物を落札するとは、北の関係者に違いない。そもそも、普通に寺を経営しているだけで、そこまでの資金があるとは思えないし、あったとしたら、それはすでに宗教法人の体をなしていないと思っていた。案の定、落札後、銀行から融資を断られ、最後の借金頼みに奔走しているようだ。5月10日までに全額納付できない場合は、5億円の供託金が没収されるばかりではなく、この坊さんは二度とこの物件の競売に参加できないことになる。5億円もの大金を捨てて泣きを見ることになるか、楽しみである。
前置きはいいから、思い立って、飯田橋で下車し、この建物目指して歩いて行った。
地番は「千代田区富士見2-14-5」とある。しかし、街角の地図には出ていないことがわかった。
上の地図だと、「東京逓信病院」の「院」の字に向かって建っているはずだが、何も描かれていない。
路上には、こんな風にお巡りさんが立って、雰囲気は険しい。
あたしは逓信病院に用があってきたんですよ~~、ってな顔をして、まずは総連の前の坂道を下って逓信病院の駐車場に入った。で、そこから撮影したのだが、
これじゃあ樹木と電柱に隠れて見えない。
そんなわけで、坂道を上って、また総連の前に立った。警察車両が停まっており、ハラハラしながら、
2~3枚撮った(勇気あり過ぎ?)。
すると、すかさず、警備していた若いお巡りさんが来て、
「ご旅行中ですか?」
と聞く。顔は一応にこやかだったが、あきらかに怪しまれていた。
「はあ、ちょっと」
と答えた。旅行中なら大目に見てもらえるってことなんだろうか。やっぱり勇気ありすぎだったかな。
私が無知だったのは、この千代田区富士見という町は、千代田区九段北、つまり、靖国神社の所在地のま隣だったことだ。総連から歩いてたったの1~2分で、靖国神社の遊就館にたどり着く。
飯田橋まで来るついでに、必ずお参りしようと、御朱印帳は持ってきていた。しかしこれほど総連から近いとは。
今日は、この上ない好天に恵まれ、昭和の日だったせいか、心なしか参拝者も多かったようだ。
いつも掲示されている、英霊の遺書や手紙。今日は、25歳で散った長崎という青年のものだった。
「私は、父上の子でも母上の子でもありません。天子様の赤子です」
とあり、国のために散る覚悟に微塵の悔いもないという心中がつづられていた。
悔いは、あったとは思う。ただ、時代がそれを口に出すことを許さなかっただけではなかったか。
文面を見ながら、泣いている女性がいた。
参拝を済ませ、ご朱印をいただく。
その足で、遊就館に行った。
何度も来ているのに、遊就館は初めてであった。
じっくり見ると、丸一日かかる展示である。
私は女のせいか、女脳がどうしても軍事や戦争を理解するのに難儀する。
日本史の授業でも、近代史は時間がなくてあまり教わらずに終わった。
ただ、修学旅行に行かせるのなら、韓国なんぞ選ばず、この遊就館にすると良い。
まだわずか20代のおびただしい数の若者たちの顔写真が、壁一面を埋めている。
皆、戦争で散った命である。
意外だったのは、女性の数がかなりあったことだ。従軍看護婦などで殉死した女性たちであった。
靖国神社は、れっきとした宗教法人である。
そこへ政府の要人が参拝することには、政教分離の原則から見て、全く問題なしとはしない。
しかし、日本の閣僚がアメリカのアーリントン墓地に参拝しても何もいわないマスゴミが、靖国を参拝すると、蜂の巣をつついたような報道をするばかりでなく、支那韓国様にライブで報告し、彼らの抗議声明を嬉々として報道するのは、どう考えても完全に頭が狂っている。戦争のために犠牲になってくださった方々を悼むのが、これほどまで困難な国など、異常だとしか言いようがない。
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