謝罪しないことを学んでほしい
ちょっと前、朝のニュースで、旧正月のため里に帰る予定の支那人地方出身労働者らに給料を未払いにしており、労働者らから糾弾されている支那人雇用主の取材光景が流れていた。支那では、地方から出稼ぎに来ている労働者は、今の時期に賃金をもらって田舎に帰る習慣があるようだ。
未払い額は合計1000万円を超えていたが、雇用主のおばちゃんの、「どこにそんな金があるのよ!」と、自分らには落ち度など全くないかのような開き直りぶりがすごかった。あの国では、例え自分に非があったとしても、謝るどころか、大声で喧嘩して相手を打ち負かすくらいでないと生きていけないのだ、と改めて思った。
今回、テロリストらにより殺されてしまったアルジェリア在住日揮社員の皆さまには、遠い安全な日本からいくら言っても甘いのだが、心から哀悼の意を表したい。日本人の中には、ほかにもまだまだ、リスクを冒しながらも海外で働いている人は枚挙にいとまがないはずだ。こんな人たちには、「諸国民の公正と信義に信頼して」などというお花畑の憲法前文など笑止千万であろう。
今回、アルジェのサイード情報大臣は、救出作戦を強行したことについては、繰り返し、
「政府の対応は適正だった」
と述べた。
いいなあ。こういうメンタリティというか国際的な見聞を持っていないと、イスラム国家の大臣などやっていられないはずだ。
これがもし日本だったらどうなるか。
日本人のメンタリティーだと、内閣総理大臣みずから、
「今回は、我が国は、○○国、××国の駐在員■人の犠牲を出してしまいました。力が及ばず、各国の方々、ご遺族の皆様には心よりお詫び申し上げます」
と謝罪するであろう。謝罪のため、わざわざ渡航すらいとわないかもしれない。
日本と言う国は、世界でもまれなる、「謝れば許す、水に流す、終わる」国である。そういう国が、そういうメンタリティーのまま、そうでない国々(公式:世界中マイナス日本国)に対してそのような発言をするから、誤解を招くのである。外国人が謝らないのは、宗教上、習慣上、その他諸理由があると思うが、謝罪とは、罪を全部負うことと、損害賠償請求受託の開始とイコールでもあるし、最悪の場合は罰として命すら取られる場合、時代もあった聞く。なのに日本人だけが謝罪をすればそれで許してもらえると思って謝るし、謝っておきながら賠償金も払わないから、誤解を招きっぱなしなのである。誤解を招くというのがなんなら、「ちっとも理解が得られていないどころか、却って増長させる一方」なのは、支那や韓国を見ればわかる。
日本国内向けには謝る、外国が絡む場合は謝らない、という顔の使い分けを日本の政治家が学ばない限り、諸外国の要人と引き合わせるのはリスクがある。
政治家など、自分たちの落ち度だと思っていても、なお謝らないくらいのふてぶてしさが必要であろう。ロシア(旧ソ連)など、終戦間際のどさくさにまぎれて勝手に北方領土に侵入してきて長年不法占領を続けているが、ロシア人の政治家らは、いつも、「日ソ間には領土問題など存在しない」と、うそぶいていた。ソ連政府は国民にもそう教え込んできた。憎たらしいが、政治家は、このくらいず太くてなんぼである。
これと対極にあるのが、どこかの元総理大臣である↓。
「領土問題の存在を認めろ」だの、なんとか記念館で謝罪だの、あやつは到底政治家に向いていない、家名とママの金だけで当選を続けてきた無能者である。
「総理大臣」もつとまらなかった人だが、「元総理大臣」をつとめ続けるのも無理がある。
スポンサーサイト





