アカシロ歌合戦は、すでに、単なる時代錯誤すら超越した恐竜番組になっているが、それでも、年末の風物詩でもあるし、これに代わる企画も無いのか、毎年やっている。
この番組に出場を依頼されて断るのもスターの証であるが、この番組に出ることがいまだスターの証と考える向きもある。が、もう何十年もヒット曲の無い歌手が、昔の名誉だけで、いつも出てくるのもつまらない。
この番組の司会者に選ばれるのも名誉らしく、局アナがこれを行うと、NHKでもひとかど以上のアナウンサーになったとみなされるらしい。そういえば、思い出すのも気の毒なくらい、歴史に残る大失言をした局アナもいた。そのアナは、その後民放へ飛ばされたが、自殺もせず、精神病棟に入りっぱなしにもならず、普通に生きているだけで十分すごいと思う。
さて、NHKは、ニュース番組にすら登場させるくらい、韓国系のグループに入れ込んでいるが、下馬評と違って、1組も出場枠に入れなかった。へえ。1組でも入れたら、ほかとのバランスが取れなくなるから、全部遠慮願ったのかな。
今年初出場を果たした歌手の一人の持ち歌に、「トイレの神様」というのがある。全部通して歌うと、10分くらいかかる長い歌だ。昔から、「妊婦はトイレの掃除をするときれいな子が産まれる」と言い伝えられているが、この歌手も、おばあちゃんに、トイレにはきれいな女神様が住んでいるから、トイレ掃除をいやがらずにすれば、別嬪さんになれるんだよ、と言って育ててくれた思い出を歌った歌である。
けちをつけるわけではないが、昔は「トイレ」なんて言わなかったのではないか。
私が子供のころ、長野という田舎に数年住んでいたが、下水道の発達していないところで、便所はみんな汲み取り式、呼び方も、「トイレ」ではなく、「(お)便所」であった。人の産物が、ありありと見えた。学校も、家庭も、便所の横には、換気筒というのか、とにかく臭気を逃がす長いチューブ状の棒のようなものが立っていた。天気が悪いと、臭気がよどんだ。月に1回くらい、汲み取りにバキュームカーが来たものだ。
「トイレの神様」なんて言われても、おばあちゃんの言葉としては、どこか実感が無い。「便所の神様」では、歌にしにくいのはわかるけど、でも。
この歌手は、子供の頃、おばあちゃんに育てられたらしい。愛されていただろうけど、年頃になるにつれ、反発し、家を出た。その後おばあちゃんが入院し、お見舞いに行ってみたらすぐ追い出され、しかし、翌日におばあちゃんは天に旅立った、という歌詞であった。
「私が行くまで待っていてくれたんだね」
という歌詞が泣かせる、らしい。
私の祖母は、稀代の奇人変人狂人で、アリンコのように体の小さな乞食ばあさんだったのに、プライドの塊だった。地球が自分中心に回っていないと気がすまない人で、他人のごくささいなミスでも、そのこと一つで5年でも10年でも怒り狂っていた。とにかく、怒るために、そして、人に嫌われるために産まれてきたようなばあさんだった。実の息子である私の父を育てたこともなかったから、家族、祖母と孫、という感覚もゼロだった。私が子供を産まなかったのは、このばあさんの狂気の血を後世に残さないためである。こんなばあさんとまぐわってしまった、じいさんなる人は、どんな人だったんだろう。誰一人として、この「じいさん」のことを知っている人はいない。
「私が行くまで待っていてくれたんだね、おばあちゃん」
という情景など、私は経験したことが無い。
私のばあさんが死んだとき、葬式は、マジで、喜びの宴であった。
「やっと逝ったぞ~」
と、親戚中で喜びにひたった。
世の中には、いろんなばあちゃんがいるものらしい。