大阪府の橋下知事は、閉会式に誘われていた上海万博から、急遽、なんの理由の説明もなしに、招待をキャンセルされたことについて、
「中国のような人間にはなりたくない。中国との信頼関係はマイナス2万点だ」
と厳しくぶちきれたそうだ。
まさにおっしゃるとおりである。
今の政治家には、こんなふうに、公然と支那を批判できる人は、ほかに石原都知事くらいしかいないのではないか。与党民主党においては、こんな人など、探すことすら諦めている。官房長官など、支那ならば、漁船にまでおそるおそる敬語を使うほどのおろかしさである。
支那とは、所詮そんな程度の国なのだ。言論の自由も報道の自由もないし、政府の悪口を言えば投獄されるし。北朝鮮よりはちょっとマシ、という程度の国にすぎないのである。
毎週水曜日、産経新聞で読むのを楽しみにしているの曽野綾子さんの今日のエッセイを転記しておきたい。
抵抗の精神、今も失ったまま
「尖閣」問題がきっかけになって、という理由で中国各地にデモが起き、日本料理店や日本製の車などが襲われ破壊されている。官製デモだとも言われるが、いつ見ても愚かしさ丸出しの感情的表現だ。日本人も何かあるとこういう行為に出て、それが日本人というものだ、と世界に印象づけるようなことをしないように、他山の石としたい。
菅直人首相も仙谷由人官房長官も、前言無視、責任逃れの発言が多い、とマスコミはしきりにたたくが、そもそも中国に対してあってはならない尻尾の振り方をし続けたのは、日本のマスコミだったのである。
今から40年前、産経新聞と時事通信を除く日本のマスコミは、絶えず脅しを受けながら、特派員を受け入れてもらうために、完全に中国政府の意図を代弁する記事を書き続けた。朝日、毎日、読売などの全国紙、東京新聞他のブロック紙などは、中国批判はただの1行たりとも書かず、私たち筆者にも書くことを許さなかった。私が少しでも中国の言論弾圧に批判すれば、その原稿は私が内容表現を書き直さない限りボツになって紙面に載らなかった。
私の手元には亡くなった作家の杉本久英氏の書いた『中国見たまま』という1972年に文芸春秋から出版された本があるが、その中にほんの5行で、当時の日本の卑屈な空気を伝えた箇所がある。
「戦後ながい間、私は中国訪問から帰った人の口から、この国を賛美し、礼賛する言葉を聞かされた。たとえば、人民は希望に燃えているとか、国じゅうに建設の意欲がみなぎっているとか、町にはゴミが落ちていないとか、ハエが見当たらない、とか、泥棒がいないとか・・・
しかし、この国がいかに貧困か、いかに工業製品が少ないか、いかに開発がおくれているかについては、誰もいわなかった」
当時、日本の一般人までが中国へ行くと必ず「中国の子供たちの目は輝いていた」と書いた。
私にいわせればマスコミは正気で「発狂」していた。意図的に、権威と脅しの幻影に追従した。中国の近、現代史が、いかに多くの人民を殺害(粛清)し、言論を弾圧し、学問、移住、職業選択の自由を迫害したかにはふれなかった。今回のノーベル平和賞の受賞者に対する中国政府の姿勢を見れば今も同じだ。日中戦争で日本軍の犠牲になったという中国人の数を言われるたびに、私は中国共産党の粛清によって犠牲になった数千万人にのぼる膨大な中国人民の数を思うのである。
尖閣の小競り合いの結果を、今の民主党の政治的手腕の欠陥だというなら、マスコミも自社が書き続けた過去の無責任な、歯の浮くような中国礼賛の記事の責任を十分に取るべきだろう。マスコミは戦後一切の抵抗の精神を失い、今も部分的に失ったままなのである。
さすが、曽野さんだ。
そして、このような記事は朝、毎、読などは、掲載しないに違いない。