猛暑が続き、熱中症で死ぬ人が続出している。母に、
「年寄りの中には『エアコンは体に悪い』っていう人がいるんですってね」
というと、そう、とうなずき、母が毎週行っている老人のつどいのなかに、
「私より若い人でも、『エアコンの風が嫌い』と言って使わない人がいるの」
と言う。
人間、年老いるほどに、新しい機器類に対する抵抗感はいや増す。私の曾祖母は電話も使えなかった。祖母(父の母)はそれよりましだったが、ただ、電気の使い方がよくわからなかったし、電気代に対する思い込みの激しさはどうしようもなかった。
10年前に死んだこの祖母は、冷凍室と冷蔵室の機能の区別がよくわからなかった。「すいかを早く冷やそう」
と言って、冷凍室に入れたこともあった。缶詰めなど、冷蔵庫に入れなくていいのに、冷蔵室でなく冷凍室に入れ、それが凍るので、
「うちの冷蔵庫は冷えすぎる」
と言ってはコンセントからコードを抜いてしまうのだった。
コードを抜くのは、冷蔵庫だけではなかった。テレビも、見たい番組を見終わると、節約のため、すぐにコードを抜いた。テレビを見るのも、電気を消して真っ暗な中で見ていた。私が母に、
「あの人は電気1秒1万円の感覚なんだね」
と言うと、
「もう、あのトシじゃあ直らないから仕方がないのよ」
と母は言った。
祖母は、父の実母であったが、曾祖母のもとに預けっ放しにし、ずっと一人で居た人なので、戸籍はつながっていても、精神的なつながりはゼロだった。筆舌に尽くし難いほどの異常人格者で、アリのように小さい体に要らぬプライドをみなぎらせ、私の両親に向かって
「お前たちの世話にはならない!」
などと叫んでいた。が、結局はボケが進み、一人暮らしができなくなり、父が引き取った。引き取ってみると、よくもめた。「電気1秒1万円」の精神も十分にもめるネタとなった。例えば、頻繁に便所通いする祖母だったので、午後から夜までうす暗い廊下に電気をつけていたのだが、祖母は、そのようなつけっぱなしの電気を見るたび発狂し、母に
「電気ついてる!電気ついてる!」
と報告に来た。母がいくら
「つけておいていいのよ」
と諭しても無駄だった。父が引き取ってからも、コードを引き抜く長年の一人暮らしの習慣は全くおさまらず、温水便座や風呂の自動給湯器など、日頃絶対に抜かないコンセントも、目を離すと必死に抜きまくった。
「差し込んだままでいいのよ」
と母がいくら言ってもこれまた無駄で、コンセントにコードが差さったままなのを見ると発狂するので、母は、抜かれたら困るコードはガムテープで覆い隠し、祖母が見えないようにした。
祖母が風邪を引いたとき、母は電気毛布を出してやったが、祖母は一向に使う気配がなかった。
「何で使わないの?」
と聞くと、電気代がかかるから、と答えた。
「そのくらいけちらないで使いなさいよ」
と母がコンセントに差し込んだら、手元のコントローラーに「通電中」を示す、マッチの頭くらいの小さな小さな電球が点灯した。祖母は、その点灯を見ただけで十分発狂し、電気毛布の使用に耐えられないのであった。
こんな祖母ほどでないにしろ、戦争を経験した世代がエアコンに抵抗があるのもうなずける話だ。もったいない思考が強い上、今の時代の気候の変化も体の老化も度外視し、ただ我慢すればしのげると思っている。今朝の産経新聞で、毎週水曜日に寄稿している曽野綾子さんが、そういう頑固な老人には、
「おかあさん、エアコンをつけるつけないもご自由ですけど、死ぬときはしっかり干物になるように死んでくださいよ。死んで匂うなんて人迷惑ですから。1年も2年もひからびたまま世間には分からないように死んで、ずっと年金を騙し取れるようにしてくださいよ」
などと、わざとカッとなる表現を使えば、年寄りもエアコンをつけるだろう、と面白く書かれていた。なるほどね。
私が老婆になるころには、どういう機械の使い方ができないので、若者たちにあざ笑われることになるだろう。ちなみにわが老母は、特訓のせいで、なんとか携帯のメールが読めるようになってきた。