またまた、いつものいやな夢を見た。
私が大学の単位不足で卒業できない、という夢だ。卒業して○○年も経っているというのに。
いや、厳密に言えば、何が何単位不足しているのか、がはっきりわからないで、うろたえている、という夢だ。この夢、3~4ヶ月に1度は見る。見るたび、うなされる。
今回は、同僚の女性が、同じ大学の違う学部の学生として登場したのもおかしかった。
私が卒業したのは、東京の西部の山の中にある大学で、田舎の高校生だった私は、受験当日まで、その場所がどこにあるのか全く知らないままだった。
恥の書きついでに書くが、「女の子は短大で十分だ」という昔かたぎの親の意見に押され、受験時には、その大学と、東京の都心にある、きらびやかな女子短大も受験したが、後者は見事に落ちた。上記の山の中の大学に入ったあと、その女子短大のキャラクターを知った私は、「神はよく見ているものだ」と思って胸をなでおろした。私のような地方育ちの貧乏サラリーマンの娘がそんな短大に入った日にゃ、話についていけず、浮きまくりで、泣けますよ、ええ。
過去は変えられないけれど、この年になっても悔やまれてならないことがある。
まともな高校生活を送れなかったことだ。
私は、父の転勤の影響を受けた。兄は、ちょうど小学校卒業と高校卒業時に父が転勤したものだから、ラッキーなことに「転校」というものをしたことがなかった。私は、小学校と高校の転校をした。高校の転校とは奇異だろう。義務教育でないのだから、「親の転勤等による事情であれば仕方なく、優秀だったら採る」という条件で受験をさせてもらった。
私は兄と同じ中学に入り、兄と同じ高校に、1学期だけ通った。兄の高校卒業時、つまり、私の中学卒業時に、父は東北のある市に転勤になったので、15歳の私は、下宿をし、親と離れ離れになり、1学期だけ兄と同じ高校に行き、それから父の引っ越した先に転校する予定だった。
通知表に「優秀である」としか書かれたことがない兄のあとで中学、高校に入るとかなり惨めだった。「女の子だからまだいい」と慰めてくれた。それでも、高校の1学期まではナントカがんばって上位にいた。
東北への転校後は、惨めそのものだった。それまで、女子が2割くらいしかいない高校にいて頑張っていたのに、その転校先の東北の県は、伝統的に男女が別学で、女子高だったのだ。しかも、学業のレベルが前より格段に低く、「県で一番優秀な女子高」という触れ込みのわりには、まわりもさっぱり勉強していなかった。家庭科のばばあ先生たちが一番権力を持っている、という、古めかしい体質だった。私は、すっかりノイローゼ、いや、いまで言うと「適応障害」というのだろうか、完全に腐り果てた状態になり、生き甲斐も楽しみもなくなり、食べることだけに人生を費やし、あっという間に肥満体になった。
勉強もやる気がゼロになり、前の高校に比べて取るに足りないレベルだったのに、成績もどんどん落ちた。生きているのがばからしくなり、毎日とにかく寝ていた。「青春」なんて2文字には程遠い高校時代だった。単位を取るためだけに通学していた。退学、ないし、非行に走るほどの勇気は無かったが。
高校3年になると、とにかくこの東北の地から抜け出したい一心で、東京の大学に行こうと思った。
しかし、「県で一番優秀な女子高」であったはずなのに、進路指導など1つもなく、仕方ないので、自分で本を買って未知なる東京の大学を調べ、親の猛反対を押し切って受験した。
その、山の中の大学に入ってから、高校時代に「他人と交わる、遊ぶ」ということをしなかったツケがどどーんとでた。友達の作り方も遊び方も全然わからないのである。そんなわけで、大学時代も、ほとんど寝て過ごしていた。なんという無為、無駄な7年弱を送ったものだろう。
もっとまともな高校に行ってまともな高校生活を送っていたら、進学も就職も、今の現実とは全く違っていたに違いない。あのまま転校しないでいたほうが学業面では絶対によかったのだが、父の給料が低く、東大に入って下宿していた兄がいた上に、私も別居することは経済的に許されなかった。田舎の女子高に転校させられたツケは、どんなにうらんでもうらみつくせない。
あの山の中の大学も、別に好きではなかった。が、地味な自分の性格には合っていたとは思う。それだけが救いだが、しかし、単位が足りない、という夢、いつまで見なければならないのだろう?