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2009/10/31

サーベイ2種と「長時間労働」

最近、ちょっとしたサーベイを2件続けて目にした。
1つは「世界で男女格差が最も少ないのはアイスランド、日本は75位」というもの。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-12155720091028?rpc=122

で、もう1つは、「世界一繁栄している国はフィンランド、日本は16位」なのだとか。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-12137520091027

なにを尺度として「男女格差が少ない」とか「繁栄している」と見るのかは、調査会社の国籍、宗教、主義主観にも左右されるであろうから、あんまりまともに受けとめてはならない。これが中国の調査会社であれば中国がトップに、北朝鮮の調査会社であれば北朝鮮がトップに来るのだろうし。

日本の男女格差についても、言い古されているが、あんまり改善の傾向も見えない。というか、最近の女子学生の中には、卒業しても働きたくなく、専業主婦願望が増えている、とも聞いたことがある。つまり、敢えて平等になりたくない層、格差があってもよしとして安住したい層もいるわけだ。それならば、75位だろうが100位だろうが、文句は言えない。いまどき「専業主婦」なんて死語になりつつあるというのに。しかも、亭主だっていつ突然失業するとも限らない時代。いまや、結婚して夫婦で働かないと、大半の家庭では家計がもたないのだから、もっと現実を見て、出産育児などで仕事を辞めざるを得ないにしても、復帰できるスキルを若いときに身につけて欲しい。「生活保護」に頼らないためにも。

私の会社にも、子供を1人かかえて働く女性がいる。彼女は旦那さんの弁当を毎日つくっているそうだが、聞くと、それは「ランチ」ではなくて「晩御飯用の弁当」なのだという。ランチは夫の会社の近くでいくらでも食べることができるけれど、栄養のバランスのとれた晩御飯となると、夜ちょっと食べにいけるまともなご飯やさんがそのへんにないので、という。そして、彼女の夫は、毎晩、日が変わるころにしか帰宅できない。保育園の送り迎えも家事も、共稼ぎなのにほとんど彼女がこなしている。これでは子供が増えるわけはないし、これほど失業者があふれているというのに、ワークシェアどころか、一部の社員(特に男性)に相変らず仕事が集中し、定時どころかまともな時間に帰宅できない状態というのが日本企業ではほとんど改善されていないらしい。そうまで働かないとGDP第2位がもたない、というのであれば、私はそれ以下になってもかまわないと思う。

ある本で読んだのだが、ヨーロッパのある国では、会社のトップにいたるまで、週32時間以上働くことが法律で禁止されているのだそうだ。そうであっても、その国は経済的に弱いというわけではなく、いくつかの世界的企業も存在しているので、短い労働時間の間に効率よく仕事をこなしているらしい。日本でいきなり週32時間とは言わないが、40時間がきちんと守れる程度のワークシェアがなぜこれほど困難なのか。なにしろ日本と言う国は、サラリーマンに「家庭人」としての側面を徹底して犠牲にさせてきた背景がある。私の父など、滅多に家に居なかったし、日曜も会社の人をマージャンで家に呼ぶのが当たり前だった。法的に男女が平等に働く世の中になっても、さして変わらず、組織は相変らず、長時間働く男たちの倫理で成り立っている。これでは女性の能力も生かせないし、子供が増えるわけもない。
オランダでは、同じ仕事をしている限り、正社員でもパートタイマーでも待遇(時給)に差異はないそうで、子育てをしている期間は夫婦それぞれがパートタイマーで働き、二人合計で1.5人の所得を得て育児と仕事を両立することが可能らしい。子供が成長したら正社員にもどれるそうなので、それならば夫婦一組に複数の子供を育てることも可能であろう。日本人は、過労死の出るような長時間労働が出ないようもっと仕事を多人数でシェアし、家庭人、一市民としての側面に価値を置くべきだ。少子化改善を、などといっても旦那がずっと会社にいるようでは無理なのに、一向に改まらない。

ところで、私の知人は、ある古い組織のシニアマネージャーをしているのだが、相変らず「5時まではタバコをふかしてぶらぶらしているのに、5時すぎるとあ~あ、と伸びをしてやっと働きだすバカがいる」とこぼしていた。そんなバカはボコボコにすべきだし、その全く管理をしていない直属マネージャーも同罪だ。こんなふうに「故意に」長時間会社にいる古典的確信犯も相変らず存在する。しかも、大体組合員なんだよね、こういうやつ。あほくさ。仕事は定時内に集中して仕上げろ!定時が終わったらさっさと帰れ!

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2009/10/29

結婚詐欺テク

あたしには、到底その才能がないことの一つが「結婚詐欺」
必ずしも「若くて」「美人で」「スタイル抜群」、でなければいけないことはないだろう。
しかし、演技力が要る。言葉使いも上手に違いない。甘え上手で、架空の話を作るのがうまくて、記憶力もしっかり。しかも、ある程度カネを持っていて結婚願望が強そうな独身男性を見つけ出し、接近し、その人に、なんらの疑いも感じさせないほどの恋愛感情を抱かせなければならない。
あたしには、とてもじゃないが、無理。できない。しかも、立て続けに複数、などとは、誉めるわけではないんだが、すごい技量だ。

2009/10/27

「Your husband」の和訳が欲しい

私は、自分の夫のことを、姓で呼ぶ女性が好きである。女優の小山明子さんは、ご夫君のことをいつも「大島」と呼んでおられるし、故三木首相の睦子夫人も、いつも「三木が、三木が」とおっしゃっていた。きちんとした感じがして、とても好きだ。この前テレビのリモコンをあちこち押しまくっていたら、あの川島なお美が出ていて、新婚のパティシエの旦那のことを「鎧塚が」と姓で呼んでいた。思わず「この女にしては意外」と感心してあげた。
しかし、国際結婚だと、これがサマにならないんだよね。「ウイリアムスが」「うちのジョンソンは」なんて言っても、あまり理解してもらえない。従って、改まった場では「うちの主人」と呼び、くだけた(%ではこちらの方が圧倒的に多い)場では「旦那」とか「相棒」と呼ぶ。

私の勤務先には、主婦である女性社員が多いのだが、彼女らは、自分の配偶者のことを、絶対に「夫」という。「主人」という語は、法律で禁止されているかのようだ。「うちの夫は・・・」「昨日、夫と・・・」などなど。

英語の辞書で「husband」を引くと、「夫」と出てくる。が、「my husband」と「your husband」では、日本語訳がどうしても違う。後者には日本語ではいまだ適訳が「ご主人」しかないからだ。文章で聞かれるならば「あなたの夫は」と書いてあっても全く違和感はないのだが、口では言えない。どうしても「お宅のご主人」とか「お宅の旦那さん」となってしまう。「ご夫君」は、口で言うには堅すぎる。というわけで、「my husband」なら「旦那」「亭主」「うちの人」「とーちゃん」「連れあい」「宿六」「同居人」など、その場の状況に応じ、たくさん言いようがあるけれど、口で言う「your husband」には、訳語がほぼ「ご主人」しかない。しかし今どき、夫は「主人」ではないぞ。
「夫」という言葉と文字は、文語、書き言葉としては、画数が少なく、大変優れていて、例えば、高相などは「のりぴー夫」と書けば、新聞の見出しにすっきりはまるが、口で「あなたの夫」を指す言葉としては、まだまだ使いにくい。いっそ公募でもして決めてくれないかなあ?ちなみに、大学時代に第二外国語で習った中国語では、夫でも妻でも「愛人」である。日本人としては、ちょっと語感が悪すぎるぜ。

2009/10/26

「一勝九敗」 by 柳井 正


すでに名をなしている経営者の方が、自身の失敗談を素直に披露しているの見聞きすると、その人柄はむしろ引き立つような気さえする。
先日、会社の蔵書整理があり、好きな本をどれでも持って行ってよいことになったとき、以前ひととおり目を通した「一勝九敗」を迷わず選んだ。著者はあのユニクロの柳井正氏である。
中でも印象に残っているのは、「3年間で50店舗」の展開を目標に上陸したイギリス出店にまつわるエピソードである。

イギリス出店に際し、店長候補者を探したところ、あるデパートに長く勤め、非常に優秀だという評判の男を紹介されたので、面接し採用した。しかし、これが根本的な間違いであったのである。柳井氏は、しばらくして渡英すると、店舗は暗く汚く、従業員の教育も全くできておらず、ユニクロ本来の店舗とはかけ離れたありさまだったのである。柳井氏は、その店長に何度も改善を申し入れたものの、店長は、あれやこれやと、「できない理由」を説明し、一向に進展のきざしもないので、話し合いの末、同店長には辞めてもらい、日本のユニクロから柳井氏と志を同じくする男を新店長として派遣した。彼が赴任してから、ユニクロ色に馴染めない従業員が一人二人と辞めていった、という。

良い、悪いの問題ではない。私ら日本人の目からすると、
「できるように努力するのが店長の仕事だろうに、できない理由を説明するとは何事だ」
と思うだろう。しかし、イギリスとは完全なる階級社会である。店長は店長、マネージャーはマネージャー、下っ端は下っ端と、すべて階級によって仕事は分かれている。店長みずから商品を棚に並べたり、モッブで床掃除をするユニクロのような職場など、彼らには到底信じがたく、耐え難いことであるに違いなかったのだ。
逆に言えば、このイギリス人の元店長も、イギリスの職場では優秀だと言われていたのだから、単に職場を選びそこねただけと言えるであろう。彼もまたアンラッキーであったのだ。

私は、過去何度となく転職をしてきた。夫に振り回されてきた分も、自分の意思でおこなった場合もあった。きちんとした目的や実力があるなら、転職するのは何ら悪いことではない。正直いって、入社直後、「あちゃー、大失敗!」という転職になったことも幾度かある。そういうときは、ためらわずにさっさと辞めた。1社だけ、あまりにもひどい誤解を受けたので(私はどうにも誤解されやすいタイプらしい)、その恨みを晴らし、実力で見返してやるまで1年余り止まっていた会社もあるが、今思い出しても腹が立つ社風であったとともに、そんなひどい会社に誤って入ってしまった自分の不徳に後悔しきりである。社風の合わない職場にいることは無駄だ。まあ、昨今のような景気では、給料をくれるだけで有難い、と思わなければならない事態もあろうが、雌伏の時を経てはばたく準備をしておいてもよかろう。

余談だが、本書は2003年の発刊である。このころは、まだユニクロが「Skip」という野菜販売に乗り出す直前であった。野菜ビジネスが失敗したのも周知である。ビジネスとは、常に失敗が付いて回る。タイトルの「一勝九敗」もあながち大げさではなかろう。

2009/10/25

金曜日(23日)と今日

金曜日(23日)の昼まえ、会社の窓から皇居のこんもりとした森を眺めると、むこう(西)の方に、ヘリコプターが2台、空中を舞っていた。
「あれ、何かなあ?今日、何かあったのかな」
と近くに居た同僚に聞くと、
「オシオでしょう」
と即答。ああ、そうか、押尾学の初公判だったので、東京地裁のある霞ヶ関上空を飛んでいたのだな。ヘリを見ただけでも、結構リアル。

横浜地区、昨日から雨模様で、ぐっと寒くなった。
今日昼ごろ、選挙に行ってきた。神奈川選挙区参議院議員補欠選挙のためである。投票所は、近所の小学校の体育館。しかし、8月30日と違って、まあ、人がまばらなこと、まばらなこと。天気が悪かったせいもあるし、補欠選挙だと関心がぐ~っと低くなるんだなあ。でも、せっかくの選挙権だから、放棄するのはどうかと思って。

その後、横浜西口に出た。最近は、滅多にデパートになど寄らなくなったものだが、見ておきたい物があったため、たまたま高島屋に入ったら、8階の大催事場で、
「天皇皇后両陛下 ご即位20年・ご成婚50年記念 写真展」
を、しかも、入場無料でやっていた。ありがたく拝見することにした。
無料では申し訳ないほどの展示であった。お写真だけでなく、皇后様が実際にお召しになったお帽子やドレス、そして、海外の国賓からの贈り物、などなど、かなりの数が展示されていた。天皇陛下のお印は「榮(えい)」だとは聞いていたが、これが「桐」の意味であること、それから、皇后陛下のお印の「白樺」は、白樺の木の部分ではなく、葉をアップされたものであることも、展示してあった「ボンボニエール」を拝見して、初めて理解した次第。

そして何よりも、これほどまでの皇后陛下は、世界中の女性を探しても二人とおられないであろうこと、そして、そのような女性と若き日に出会われ、旧皇族以外という、当時は考えられなかったご結婚を決められた天皇陛下の女性を見る目のお素晴らしさにも改めて感服した。

写真展には、両陛下だけではなく、お子様方3人に関するお写真も展示されていたが、某妃が出てきたら、すっと気持ちが冷めてしまった。お写真の中に、新年祝賀会に参列される両陛下と、そのあとを追って皇太子殿下、そして、秋篠宮ご夫妻が続いて歩いていたものがあったが、それを見たとき、あのヒトは無理してまで出ない方が場の雰囲気が良い、とすら思えた。ご高齢の両陛下のご健康をお祈りしたい。

2009/10/24

LとRくらいなんでもない、という発音の話

日本人は、LとRの区別が付かないといって自虐的になるけれど、私はそんなに気にしすぎることはないと思っている。理由の一つは、「発音しようと思えばできる」からだ。Rの発音は、下の先を丸め、最初に「ウ」をつけるつもりで言えば発音できるし、Lならば、上前歯の裏に下の先を付ければ発音できる。前にも書いたけど、英語話者だって「こわい」と「可愛い」の区別が全然できず、発音させるとどちらも「クゥワァ~イ」のようになってしまうので、LとRの区別がつかないといっても「お互い様」だと思っている。どこの国の人だって、発音できない外国語の音は絶対にある。

先日、ランチタイムに韓国系食堂に入った。そこは、姉妹とおぼしき韓国人のおばちゃん2名が経営している店で、姉妹同士では韓国語、お客とは日本語で話していた。
店内には、ある一人客の女性がいた。彼女はこの姉妹と親しいらしく、ぺちゃぺちゃとおしゃべりしていた。どうやら、話は、休日の過ごし方になり、エステに行くだのどうのというたわいもない話になったが、そのとき、その姉妹のおばちゃんの一人から、
「かんばんりょく?」
という質問が女性一人客に出た。女性もキョトンとしていたが、はたで聞いている私も「看板力、って何だろう?」と思った。韓国人はもう一度、こう聞いた。
「かんばんよく?」
看板浴・・・?私は、これでやっと「ははあ」と思った。韓国語を母語にする彼女らには、濁音が文頭に来ると発音できないのだ。彼女は大まじめに
「がんばんよく(岩盤浴)?」と聞いているのであった。私はビビンバを頼んだのだが、彼女らは石がまに「こはん」を盛って火にかけ始めた。

冬のソナタを見ていたときあれっと思ったのは、同じ人間の名前なのに、ファーストネームだけで呼ぶと「チュンサン」、姓と続けて呼ぶと「カン・ジュンサン」となることだった。それも、韓国人には「チュン」でも「ジュン」でも同じ発音に聞こえると知り、またびっくりした。「ビル・ゲイツ」とか「ジョージ・ブッシュ」なんて韓国語ではどうやって発音しているのだろう。「金閣、銀閣」も「きんさん、ぎんさん」も「加賀の画家」も絶対区別ができないに違いない。昔、日本語を学習中の韓国人の女の子にインタビューしているシーンを見たが、彼女が「私は将来日本でカイドになりたいです」と言っていたのを聞いて、それじゃ「ガイド」にはなれないよ、と思った。冬ソナのペ・ヨンジュンだって、ローマ字のサインを見たら、姓はBaeと書いてある。これでは「ベ」じゃないか、と思うのだが、中国語でも、BとP、GとK、DとTの違いは、日本語のようにはっきりした濁音と半濁音ではなく、空気を含ませて発音するかどうかの違い(有気音と無気音)だったので、韓国語もたぶんその例と同じだろう。大学時代の第二外国語の中国語の先生には、「中国語でB、D、Gの発音記号があっても、日本のように、ひらがなに点々を2つつけた音ではなく、点が1個か半分くらいの音です」と説明を受けた。
さて、ドイツ人に聞いたところ、ドイツ語って濁音、清音がいい加減な言語で、たとえば、「鈴木さん」が「すずきさん」でも「すすきさん」でも「ずずきさん」でも「ずすきさん」でも、み~んな同じなんだそうな。これまたびっくりである。また、韓国人の話に戻るが、「つ」の発音ができないので「ちゅ」になってしまうし、「雑誌」が「ちゃっち」になった人もいた。東南アジアのどこか忘れたが、私の友人が旅行に行き、象に乗る遊びをするとき、ガイドさんが「さあ~、みなさん、じょうさんに乗りましょうね」と言って、「象さん」とは決して言えなかったということも聞いた。

なので、LとRが区別つかないからといって、後天的に習った外国語を完全に発音できる例はまずないのだから、あまり恥ずかしがることはない、というのが今日の話である。発音しようと思えばできる、というのは、発音したくてもできないのより、ずっとましだと思うのだが。


雑録:すごい余談だが、鳩ぽっぽが国連に言って英語で演説していたとき、「選挙で政権交代が起こった」という話の「選挙」という意味の「election」の「L」を、「Rで発音するなよ~」と思ってはらはら聞いていたけど、大丈夫みたいだった。

2009/10/21

急にくだらないことを考えてしまった

ゴルゴ13にコンタクトをするには、確か、方法が3つくらいあった。
一番よく知られているのが、終身刑服役者のマーカス・モンゴメリ(唖者である)に手紙を出し、彼がラジオ局に「讃美歌13番」をリクエストし、それが流れるとゴルゴが連絡先付きの3行広告を新聞に出す、というものだ。あと、どこかの会社の株式を乱高下させたとき、と、もう1手段くらいあったはずだが、ここしばらく読んでいないので、忘れてしまった。

さて、連載開始は1968年だった。しかし、今はITの進んだ2009年である。ひょっとして、ゴルゴは今、「お仕事引き受けます」というホームページを30カ国語くらいで立ち上げているのか、プリペイド式の携帯電話のメールアドレスを教えているのであろうか。で、客と会話するときや、大仕事をするときなどは、携帯が鳴らないよう、切っている、とか・・・ 

ますますくだらなくなってきた。たはは。

2009/10/20

「お返し」という愚かな習慣

最近、新聞の葬儀広告に目が行くことが多くなった。見ると、「誠に勝手ながら、香典、お供物の儀は固くお断りいたします」と添え書きしてあることが多い。これは、単に謙虚な態度を取っているのではなく、後日のお返しの苦労を避けるためらしい、ということが、父の葬儀後わかった。

なんで日本では「お返し」という愚行があるのであろう。今回、父が死んだとき、葬儀社と相談し、1セット2缶入り5000円の緑茶をお返しの品に選んだ。お香典の金額にかかわらず、とにかく頂戴した人には1つのセットを差し上げた。不幸の場合は、だいたい「半返し」というのが相場らしい。しかし、お香典5000円を送ってきた人にもこれを渡すと「何だ、これ?」と思う。

もっと愚かでぶったまげたのは、結婚の際の「ご祝儀貧乏」という言葉である。私が結婚したとき、友人から「ご祝儀のお返しをしたの?」と聞かれ、私は率直に「何?それ?」と聞き返したら、その友人はしきたりにうるさいタイプだったので、私のあまりの無恥さにあきれ果ててしまった。なんでも、「お祝は倍返し」というらしく、1万円もらったら2万円の品を返すから、却って貧乏になる、と聞き、私は思い切り腰を抜かした。なんというバカげた習慣!それも、私の場合はそういう習慣を全く知らない外国人と結婚したものだから、母にそういったことを聞くまで、誰も頼れなかった。あいにくなことに、私は貧乏な家柄で育ったので、高額品というものを買ったことがない。新婚当時は京都に住んでいたため、母の勧めで、清水の坂へ行き、清水焼の湯飲みを買って送ることにした。しかし、繰り返すが、高額品、高級品というものを一切買ったことがない私だったので、選ぼうにも選ぶ眼が無い。とにかく、私なりに一生懸命選んだ物を、そういったしきたりにうるさい親戚へ送った。すぐさま、母から、1個割れていたという事実に加え、「なんであんな安物を送ったの!!??」というお叱りの電話が来た。母は、1個2万円くらいする湯飲みをみなさんに送るものだと期待していたらしいのだ。これを聞いて、私はあらためて腰を抜かした。いくら清水焼とは言え、たかが湯のみ1個に2万円も払う、という価値観は私には全く無い。私は、これ以降、お返しなどという日本の習慣を徹底して唾棄するようになった。

今回、父が死んでから、葬儀に参列しなかった人たちからの香典が現金書留で何通も届いた。そして、中に「お返しなどは一切お断りです」と書かれているものがあると、「わかっている人だなあ」と、心の底からホッとしてしまう私と母である。

2009/10/20

葬式無用、戒名不要

もうすぐ父の「49日」とやらが来る。それから来月には納骨がある。いちいち果物だの菓子だの花だのあれこれ買って持っていかないとならないし、仏事に興味があるわけでもなく、また、檀家でもないけど高い金出して坊さん呼ばないとならないし、というもろもろのことが、億劫で仕方がない。死んでしまった者に経費をかけ、時間を奪う。所詮は坊さんの仕事と収入源にされている、ということか。母は「あんたは冷たい、ケチ」と私をなじる。なじる気持ちもわからんでもないが、何をどうしたって9月に父が死んだという事実はそれっきりのものであって、その後の儀式は俗世の者の「しきたり」とかいう「見栄」であり、また、坊さんの所得を上げるためになされているにすぎない。私は父に愛情が全然なかったので、余計そう思うのかもしれない。配偶者や子供ならまだしも、「この世の義理」という名目で、それ以外の人らに足労と出費をかけるのもおそろしくしのびない。

最近、新聞などで「直葬」という言葉を目にするようになった。これは、亡くなったら、すぐ棺に納め、火葬場に直行し、通夜も告別式も何もしない、という、すばらしく私の理想にかなったサービスである。私が死ぬ頃には、親族は大方死に果てているはずだ。ただでさえ非社交的な私の死に立ち会ってくれるような友人だの親族だのはいないと思うが、仮にいたとしても、そういった人々を私ごときの死に巻きこませるのは申し訳ない。私が死んだら、24時間経過後、直葬にして欲しいものだ。

白洲次郎ではないが、葬式無用、戒名不要、がいい。人が死んだらそれまで、で、あとはさっさと忘れ去ってくれるのが一番すがすがしい。

2009/10/17

戸籍制度と「相続」

「戸籍制度」がある国は、世界中でも日本と、日本が第二次世界大戦中に導入を強いた台湾および韓国にしかない、と言われている。

明治の日本で戸籍制度を作ったのは、もともと、徴兵と徴税のためであった。が、当初は「こんな制度、50年と持つまい」と言われていた。ところがどっこい。「入籍する」とは、法律上は、養子縁組み届を出すことも出生届を出すことも指すのに、いまではすっかり「婚姻届を出す」という意味で使われるまでに馴染み深い制度になった。50年もつかどうか、どころか、戸籍制度のない状態など考えられない国となった。
ひるがえって、世界中のほとんどを占める、戸籍制度のない国は、どうしているのだろう。アメリカしか例示できないが、かの国では、ニューヨーク州で出生を出し、カリフォルニア州で婚姻届を出し、ネバダ州で離婚届を出し、ハワイ州で再婚し、フロリダ州で死亡届を出しても、それらは各々別々のものであり、戸籍のようなものに系統的に記録する制度はない。唯一本人を統一するのは、ソーシャルセキュリティー番号くらいであろう。

私は、昔勤めていた法律事務所で、相続人調査の仕事を随分やった。弁護士、司法書士などの「士業」の一部には、訴訟のためなど正当な理由がある場合は、職権で、戸籍謄本や住民票を取ることが認められている。しかし、そういう作業は弁護士本人ではくアシスタントがやるのだが、しかし、戸籍制度のお陰で、相続人がくまなく調べられることには、かなり嘆息したのも事実である。
このせいで、我々の誰にも、会ったことすらない親戚が死んだせいで、
「あなたが法定相続人です。つきましては、故人の残した借金***円をお支払いください」といった手紙が、ある日突然弁護士の名前で来ることが誰にでもある、ということを知った。このように、相続とは、プラスの財産だけでなくマイナスの財産、つまり借金についても行われる。しかしご安心を。こんなときは相続を放棄できる。
この相続人調査の仕事をして、世の中には、親子ですら連絡のないまま死に別れる例がいくらでもあることも知った。子供(といっても中年だが)に手紙を出して、親の死去と債務の相続の発生を知らせると、「父が死んだのを初めて知りました。相続の放棄をします」という返信が来たものだった。

戸籍制度のおかげで、かくも相続人がくまなく調べられるのは、便利な反面、「よけいなお世話」も生み出す。家出して何十年も音信不通だった放蕩息子が、親の死去を聞いてひょっこり現れ、「自分の相続分をよこせ」と主張したりという話は珍しくない。また、これはファイナンシャルプランナーの月会報に出ていた話であるが、あるところに、結婚せずに男兄弟2人だけで暮らしている家庭があった。ある日、兄が死んだ。弟に残された遺産らしい遺産と言えば、長年兄弟で住んでいた親譲りの家だけである。相続の手続きをするに当たって、母親の戸籍をさかのぼって行ったところ、母が父と再婚する前に、別の男性と結婚し、子供が一人いたことを、その人は初めて知った。こんな見も知らぬ人でも、戸籍により「半血の兄弟」と証明されているので、全体の3分の1の相続権があるのだ。この弟は、会ったこともないこの半血の兄に、相続を放棄してくれるよう手紙を書いた。会ったこともない人なので、すんなり応じてくれると期待していたのである。ところがどっこい、この見知らぬ半血の兄は、
「自分の相続分は法的権利だから、絶対もらう」
と主張したのである。この弟は、戸籍制度のせいで、見知らぬ人のために、大事な家を売却して金を工面せざるを得ない苦境に追い込まれているのだ。

戸籍の無いアメリカではどうしているのか、というと、大変シンプルで、
「探さなければわからないような関係の人にまで相続させなくていい」
ということで済むそうである。明快でよろしい。