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2009/09/30

選択性夫婦別姓の導入を

民主党政府がいよいよこの「選択性夫婦別姓改正法案」を、来年1月の通常国会に提出することになったらしい。
私は、大学時代から選択性夫婦別姓論者である(下記8月24日の弊ブログのとおり)。

http://blogs.yahoo.co.jp/mymomomi/33091414.html

「別姓にしたい」という夫婦だけがそうすればいいことで、「同姓にしたい」夫婦はこれまでどおり同姓にすればいいだけの話。保守ブロガーの多くが「日本の家族制度の崩壊」「家族の一体間をそこねる」などと猛反対しているのであるが、何故反対するのか、私には皆目理解できない。私自身が夫婦別姓なので、別姓でなんとも思わない。姓が同じであっても、崩壊した家族は崩壊しているし、一体感もなくなっている。姓が同じかどうかの問題ではなく、当人たちの実態、気持ち、心の問題である。これまで、泣く泣く夫の(まれに妻の)姓に変更し、あれこれ不便をかこってきた人たちの苦労が解消される。
実名を挙げて恐縮だが、NHKの渡邉あゆみさんというアナウンサーは、生まれたときが「久能木」で、最初の結婚をして「黒田」、その後離婚したがずっと「黒田」を使っていたところ、再婚して「渡邉」になられた。通常、男性では絶対ありえない改姓である。ほぼ100%、女性ばかりがこんなふうに結婚離婚再婚を姓の変更で示し続けるのは、男性が喜んで妻の姓に変える風潮が普通にならない限り、女性にとって不平等なことこの上ない。いまどきは、職場では旧姓を通称として使えるところも多いが、その「使い分けをする」という手間自体なくせる。お互い一人っ子で姓を変えたくなくて婚姻届を出せずにいるカップルも晴れて結婚できる。「○○家に入る」という、結婚に対する従来の家制度の名残も少しは薄まる。繰り返すが、同姓にしたい男女はこれまでどおり同姓にできるのである。別姓にしたい人のことはほっておけばいいではないか。

さて、これは、私が「国際結婚」関係の本を読んでいたときに出ていた話である。
日本に住む韓国・朝鮮系の人たちは、日常生活で、本名とは別の姓を通称として使っていることが多い。例えば、本名が「朴」、通称が「徳山」だとする。そして、妻が日本人で、私のように別姓を選択し、戸籍上「鈴木花子」のまんまだとする。そうなると、彼女は、人と会うごとに、内心、
「この人と私は、私が『朴さんの奥さん』だと思っているのか、『徳山さんの奥さん』だと思っているのか、それとも『鈴木花子』だと思っているのか、いつも瞬時に判断するクセがついている」
とのことだった。3つの姓を使い分けるのは、上記の夫婦別姓だけの問題ではなく、その背景も中身も、なかなか複雑な話だ。

民主党の話でついでだが、中心人物の千葉景子法務大臣は、拉致犯人の辛 光洙・元死刑囚の釈放嘆願書に「署名」していた件につき、
「うかつだった。誤解を招く結果になったのは大変申し訳ないという気持ちがある」
と述べたという。しかも、なぜ署名したのかについては、
「どういう状況で署名したか、その経緯は調べている段階だ」
と述べたという。死刑囚の釈放嘆願書という、ものすごい書類に自分が署名した理由すら覚えていないらしい。まあ、もともとこの人は、北朝鮮ラブの社会党員で、土井たか子、村山トンちゃんをはじめ、128名もの国会議員署名したのだからな。128人も・・・。許せん。
あ、ついでに、菅直人も署名したそうだ

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2009/09/28

自慢話おババ

私の親戚に、よそのことは口が裂けてもほめないが、自分の身内、とくに孫の話となると、1時間でも2時間でも自慢話を続ける老女がいる。私の亡父がごく若いときから最も近しくし、かつ世話になった方なので、それは有難いと思っているし、だから邪険にはできないのだけれど、電話をかけたり、逆に、かかってきたりすると、閉口してしまう。私と会話をするわけでなくて、犠牲者はもっぱら母である。このヒトは、一人娘でわがままに育てられたせいかどどうか、視野が非常に狭い。昔は旦那さん(婿)の仕事がかなり羽振りよかった時期もあり、貧乏なわが家が、自分と同じように、じゃんじゃん着物を買ったり、世界中旅行に行ったりしないのが全く理解できないので、「なんで買わないの」「なんで旅行に行かないの」と、自分と同様の行動を取るよう強要してはばからないという、まことにズレた人である。他人をおもんばかる、他人の立場を考える、他人と自分の違いを理解する、といったことが、いい年をして、驚くほど欠けているのであった。そういったところが、他の親戚にも煙たがられていた。

さて、先ほど実家に行ったら、母が電話中であった。聞いていると、「まあ~、それは将来が楽しみねえ」「東大に入るかしら」「すごいわ」などと、相槌を打たされている。電話機の上に表示されている電話番号を見たら、電話の相手は、果たして、その老女であった。私は黙って紙の上に
「また自慢話?チャイム鳴らす?」
と書いた。母がうなずくのを見て、私は玄関に回り、ピンポーン、と押した。母は
「あらあら、宅配便が来たみたい。じゃ、また」
と言い、ほどなく受話器を置いた。

ひひひ、ざま~みさらせ。

しかし、毎回ピンポーンでは、早晩ばれるだろう。2度くらいは使える手かもしれないが、そのあとはどうしようか。

2009/09/26

すわ、母がぼけたか!?

父が死んで3週間たとうとしている。男が先に逝き、女が残るという図は極めて妥当である。女は家事に困らないし、孤独に強いから、身の回りの整理が終わり、生活資金に困らなければ、あとは結構楽しい未亡人暮らしが待っていてくれるはずだし、そう願いたい。

しかし、私の友人や、よくご訪問くださる桜花さんからも聞いていたとおりなのだが、母のボケ症状が思いやられる自体が出現し、いささか青ざめている。

父が死に、役所などの手続きが多々生じている。書類は母の直筆が良しと判断した部分以外すべて私が書き、郵送すればいいものはすべて郵送で済ませるが、出頭するもの、あるいは出頭したほうがベターなものは、書類を書き、説明文を書き、母にはくどいくらいに口頭でも説明し、準備万端にととのえてやった、これですんなりいくはずだ、と思っていた。

ところがどっこい。

神奈川区役所に行って欲しい仕事があった。今月第2週の私の忌引き中、私が区役所に行って父の後期高齢者医療保険証を返却しようとしたら、市から5万円の葬祭費補助が出ることがわかった。それにはさらに追加の証書が必要だったので、申請書類だけもらってきて、あとは母に来させることにした。ついでに、父の遺族年金の申請のため、母の所得証明書(非課税証明書)も1通必要だったので、2度も区役所に行く必要は無いから、母に
「いい?(A)最初、区役所の1階の152番の窓口に行って5万円をもらう手続きをしてきて。通帳も葬儀社からの領収書も見せてね。次に(B)3階の納税課へ言って、この年金センターからもらったパンフレットに赤丸がついているでしょ、この赤丸のついている書類をください、って納税課の人に言ってもらってきて。1通たしか300円くらいだったと思うわ」
と、百万回も説明をした。母は「わかった」と言い、24日に区役所に行った。
私が会社でお昼を食べていると、携帯に母から電話が入った。なんかよく聞き取れなかったが、とにかく午前中区役所に行き、5万円の葬祭費の手続きをしてきた、次は年金センターに行こうかと思う、という。私は
「それでいいから。年金の仕事は今夜書類をチェックしてからでいいから、1日1つだけ仕事をすればいいから。今日はもういいから」
と言った。これで母が区役所で(A)および(B)の用事を済ませたと思った。
ところが、その夜、母のところへ行き、聞いてみると、まるでトンチンカンなことを考え、行動していることが判明して愕然とした。私は(A)と(B)とは完全に別々の目的であるけど、区役所に行くなら1度で済ませればいいと思って言い渡しただけである。それが、どこをどう押したらそういう解釈になるのかわからないのだが、母は、5万円をその場でキャッシュでもらえるものだと信じ込んでいたのだ。しかも、なぜかその5万円は、区役所の3階に行ってもらうものだ、という、途方もない解釈をしていたのである。しかも、「どうしても納得が行かなかった」と言って、私に電話をよこしたあと、午後、また同じ152番の窓口へ行き、私が先にもらって記載しておいた5万円の葬祭費の申請用紙をもう一度書いて置いてきた、というのだ。
私「何でまた同じ用紙を書いてきたの?何で『これはさっき書きました』って言わなかったの?」
母「言ったの。でも係の人が『また書いてください』って言うから」
私「そんなはずはないでしょう!それに、さっき出したなら何で同じことを2度もしにいくのよ?」
母「なんか納得が行かなかったから」
私「係の人は何て言っていたの?」
母「あとで連絡します、って言ったの」
私「それってどういう意味?」
母「1~2ヵ月後、振込みをするので、はがきで連絡するってことみたい」
私「だったらそれでいいじゃないの。なんで午後また行くの」
母「あんたが3階に行け、と言ったから、そこへ行けば5万円がもらえるのかと思って」
私「(血管がぶち切れそうになる)3階でお金がもらえるなんて、そんなこと、一言だって言っていないでしょ!だいたい役所がその場で現金を渡すわけはないでしょう!」
母「そんなこと言ったって・・・」
私「で、3階で非課税の証明は取れたの?」
母「取ってない」

私はゆでだこになった。(A)と(B)は全く別々の用事である。それを口がすっぱくなるほど説明したつもりなのに、なぜ母は「3階に行くとお金がもらえる」と考えたのか、荒唐無稽を通り越して、精神状態を疑う事態となった。
母「(うつむきながら)私ももうぼけちゃったのかしら・・・・」

少々落ち着きを取り戻すと、金切り声をあげても、全く解決にならないことは了解したので、金曜日の午後、半日有給休暇を取り、母に同行することにした。

まず3階で母の非課税証明を取る。私は見知らぬ他人と話すのは苦手なのだが、昔から、職務上、お役所の窓口では、目一杯愛想よく多弁にふるまうことをルールとしている。こうすると、向こうも気をよくして、私の知らない専門家としての知識を、あれこれ教えてくれるからである。果たして今回も、
「ああ、年金の手続きに必要なんですね。だったら、戸籍謄本も住民票も無料で取れるんですよ」
と、ぶったまげるような情報をいただいた。私は思わず、
「えええ~~、そんなこと聞いたこと無いですよ~~~!」
と叫んでしまった。先日、住民票も戸籍謄本も5部ずつカネを払って取ったけど、せっかく区役所に来ているので、それならば取らずに帰れるか、と思った。
1階の住民課に行って聞くと、社会保険庁提出用と、労災の申請のために職安に出す場合は、戸籍謄本も住民票も無料で取れる、と話してくれた。そんなこと、知らないよ~。まあ、唯一の自衛策は、使用目的の欄に細かく書きこむことだというのが判明した。

さて、昨日母がまぬけなことをしてきた152番の窓口に行くと、
「昨日2通出した方ですか?○○さんですか?」
と言われ(名前を覚えられていた)、母が出した方の書類を返してくれた。ついでに、窓口の人に、
「あなただけでなく、この係の全部の方におっしゃっていただきたいんですが、年寄りには、もっと噛んでふくめるくらい、こと細かく説明してくれないとわからないようです」
などと、今後のためにも、言い方をこういうふうにして欲しい、というお願いを沢山してきた。幸い、窓口の男性は、非常ににこやかな方で、今後気をつけます、と言ってくれた。

さて、その足でタクシーを拾って年金センターへ行き、父の遺族年金を母に支給する手続きをしてきた。この書類もあらかじめ私が書いておいたので、スムーズに行った。
びっくりしたのは、今後、母に振り込まれる年金の額である。これまで、母には年77万円程度だったのが、今後は、もう、その辺の若手正社員なんか真っ青なくらい振り込まれることを教えていただき、私らは仰天した。年金財政などとうにパンクしているというのに、この金はどこから出るのやら。とにかく父が死んでくれて一番の喜びと言っていい。母は、「どうしよう、私、お金持ちになっちゃうわ」とニコニコ顔である。

考えてみれば、母も後期高齢者なので、役所の手続きがおバカになっても仕方ないのだな。私の有給休暇が減るのを我慢すれば、付いていってやるのが一番いいし、それしかないようだ。

そうこうしているうちに、横浜家庭裁判所から私の携帯に電話がかかってきた。父の遺言状の検認申立てをしたのだが、まだ除籍謄本1通と改正原戸籍1通が足りないから、取って送ってくれ、という。ったく、家裁の人はヒトの謄本をしらみつぶしに読むのが得意だこと。しかし、除籍謄本も改正原戸籍も1通750円もするので、ふところが痛む。
というわけで、まったく見も知らず、行ったこともない青森県某市の父方の謄本を取るために、今日、請求の書類を発送した次第。あ~。

2009/09/23

弔問客は、お早めにお引取りを

昨日、亡父あての弔問客が3人きた。いずれも昔の部下だった人たちである。
私は、深いわけがあって、父の昔の会社関係の人たちと顔を合わせたり、もてなしたりするのが大嫌いである(詳しくは1月12日に書いた「正月になると思い出す」にあるのでご参照までに。
http://blogs.yahoo.co.jp/mymomomi/28425292.html)。
そんなわけで、母に悪いなと思いつつ、弔問なのだから、30分くらいで帰るだろうと思い、私は実家へは行かず、もてなしは母に任せてしまった。「帰ったら電話ちょうだいね」と言っておいた。
1時半ころ来る、という話だったが、2時になっても3時になっても母から電話がない。4時半になってやっと、「いま帰ったわ」と電話が来たので、びっくりしてしまった。なんと3時間にわたり、かつての部下たちによる「お茶のみ会」が延々くり広げられていたと言うのである。かつての部下達もみな老人になり、あそこが悪いのここが痛いの、という「病気自慢大会」となったという。1時半に来るというので、てっきり昼食も済ませてくるのだと思っていたら、母が果物とか茶菓子など出すと、むさぼるように食うので、
「ひょっとして、お昼まだですか?」
と聞くと、みなまだだという。その日の朝はたまたま「寿司太郎」でちらし寿司を作っておいたので、それと吸い物を出したら、みながつがつ食べた、という。
はあ~~~。夫を失って憔悴している母のところへ、老人男性3人も来て、お線香を上げたらそそくさ帰るかと思えば、3時間も居座っておしゃべりしていたとは。1時半に来る、っていうのに、昼ごはんも食べて来なくて。こういう無神経、大嫌いなんだよね、私。なぜ疲れている母の身を考えず、長っ尻を決め込むのか。やっぱりその場にいなくてよかった。いたらキレていた。
母が疲れきっていたので、母の晩御飯をつくってやった。

今の世代には考えられないことだが、父の世代だと、月曜日から土曜日まで(まだ週休2日が普及する前)一緒に働いて、日曜日にまた部下達を家に呼んでマージャンすることなんかザラだったのだ。会社の人たちは家族も同様、と思われていた時代で、料理の達人であった母は、なんだかんだと食事を作って彼らをもてなしていたっけ。私も給仕にこき使われた。みな「支店長は、奥さんでもっている」と言っていた。
今は、正月であろうとなんであろうと、よほどのことがなければ、休日に上司の家になんか行かない。そういう簡単な時代になってよかった。

2009/09/22

遺影の話

父が他界し、父の本に続き、昨日は靴をごっそり処分した。ただ、私は「靴なんてもう誰もはかないんだから捨てなさい」と言っても、母は「この靴、いい靴だから」とか「生前お父さんが最もよくはいていた靴だから」とか言うので、2足だけ残した。母によると「玄関先に男の靴がないと防犯上危ない」とか言う。よく、防犯対策に、表札に男の名前を書いたり、洗濯物で男物のパンツを干したりとかいうテクと同義のことを考えているらしいが、いざ泥棒が入ってきたら、靴なんぞ見ないぞ、母よ。

さて、2年前、父ががんの診断を受けたときに、私は遺影の用意をしようと考えた。
その診断を受ける半年ほど前、私は
「ちゃんとした夫婦写真を写真館で撮ってほしい。遺影にも使えるから。費用は私が払う」
と懇願し、写真館できちんとした写真を撮ってもらったことがある。しかし、母はきちんと着物を着て行ったにもかかわらず、頑固で万事あまのじゃくな父は、普段着姿のままだった。
「なんでスーツを着ないの」
と攻めても、白と言えば黒といい、右と言えば左という性格の父は、
「いいんだ、いいんだ、これでいいんだ」
と言い張り、結局、その姿のままで写真が出来上がってきた。母の写真は大変良く撮れており、遺影にもこれを使ってほしい、と母は言う。しかし、父のは普段着姿であるからして、絶対に使えないとは言わないが、ちょっとださい。写真館や葬儀社に頼めば、首から下をスーツ姿に差し替えて写真を作ってくれるけれど、本人のスーツでない姿を遺影に使うのもちょっとナンである。
私は、父が写っている過去のスナップ写真を探し出し、中で1枚、スーツを着てほほ笑んでいる父が入っている集合写真を見つけた。それを持ってヨドバシカメラに行き、父の顔だけ遺影サイズに引き伸ばし、背景は塗りつぶして明るいグレー1色にしてほしい、と注文したところ、理想的な状態で仕上げてくれ、同時にCDも焼いてもらった。費用は、葬儀社に頼むのとは段違いの安さである。
今回、葬儀に使ったのは、2年前に作っておいたその写真である。父の死亡年齢より10歳以上若い、65歳の「爺盛り(?)」のときの写真だったので、ちょっとサギっぽいかもしれないが、老い衰えてからの写真を掲示するより、健康だったときのもののほうが、ずっといい。弔問客も、くちぐちに「この写真、いいですねえ」と誉めてくださった。ほっ。
ちなみに、両親の写真を撮ってもらった写真館の人は、
「人間、65歳を過ぎたら用意しておくものです」
と言っていた。あとは、5年に1回くらい撮り直していくことを勧めていた。急死などで、ろくな遺影が用意できない場合もあろう。遺影を用意しておくことは、何ら縁起の悪いことではないのだ。

2009/09/21

だから、辻元なんぞを入閣させたこと自体がバカ

今日の産経新聞(iPhoneで読んでいます)から。

「副大臣、やだ、やだ!」社民大混乱
頑固に「護憲」を掲げる社民党が、鳩山首相が率いる連立政権でさっそく足をひっぱり始めた(注:やっぱりね)。社民党きっての論客である(注:え?誰が?)辻元清美衆院議員の国道交通副大臣起用を巡っても大混乱。組閣直後に副大臣辞任というハプニングが起きる寸前だった(注:それでも良いのに)。社民党は衆参12人の小所帯だが、外交・安保政策だけでなく、政権運営面の「火種」になりかねないドタバタぶりに、民主党からは「付き合いきれない」(党幹部)というため息が漏れている(注:だったら付き合うべからず。社民と連立したのが判断ミス)
18日午後、国会内の社民党控え室で、辻元氏は国土交通副大臣就任を駄々っ子のように拒み続けた。
辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」
阿部知子政審会長「そんなのダメ!やりなさい(注:いやがっているのにむりやりやるよう説得するなんて、国民にも同省官僚にも失礼ではないか)
辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃっているんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」
 混乱は17日夜に始まった。前原国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた(注:え?前原じきじきに辻元を指名していたの?人を見る目がない)辻元氏は、社民党国対委員長であることを理由に断り、対応を重野幹事長に一任した。これを受け、重野氏は党首の福島瑞穂氏と協議しようとしたが、電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまった。
 ところが、福島氏は閣議後の記者会見で、「サインはしていない。平野博文官房長官からは『調整中の方がまだ何人かいる』とのことだった」と署名の事実を否定。最後は署名したことを認めたが、なぜ辻元氏の意向を踏まえず署名したのかは定かではない(注:変な話。福島がウソをついているとしたら、辻元にもちょっとは同情の余地がある)
 辻元氏の抵抗を受け、社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議の決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドでは「できません」ときっぱり拒否。重野氏は国民新党幹部に「連立政権として十分な意思疎通ができていない」と不満をぶちまけたが(注:おいおい、自分の党の内部のことを他の党にぐちるなよ。恥ずかしいぞ)、もはや白旗を揚げるしかなかった。
 社民党の混乱に民主党幹部は「党内の連携ミスの責任をこちらに押し付けられても困る」とあきれ顔。辻元氏が国対委員長に固執した理由は分からないが、辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、翌年2月に有罪判決を受けた。自民党幹部は「内閣に入ってくれたほうが攻撃しやすい」とほくそ笑んでいる。


与党になり慣れていないとはいえ、こんな小所帯の政党で、こんな連絡ミスは、あまりにお粗末だ。
福島瑞穂も、弱小政党からなら1名でも余計に入閣者が欲しい心理につられてであろうが、当人に確認も取っていないのもまずいし、サインしたしない、でウソをついているとしたら党首としてあるまじき行為だ。
しかし、辻元のような女を副大臣に指名したという前原も随分変わった趣味をお持ちである。辻元の詐欺罪に対しては、今年2月に執行猶予があけたし、近々失職するであろう彼女のお友達の外務委員長ムネオ君よりまだマシだろうが、早くもこの内閣で足をひっぱり出してくれるとは、さすが辻元だ。
50歳近くなって「やだ、やだ、やだ、やだ!」は見苦しい限り。

2009/09/18

神田神保町界隈

昨日、遅めのランチを食べに、1時半ごろ、会社のビルから神田神保町方面に外出した。
会社のすぐ近くに、「如水会館」という、なんとも真面目そうな名前のビルがある(黒田如水とは関係ないらしい)。オフィスも何社か入っているが、基本的には宴会、法要、会議、貸しスペース、レストランを業としているようである。
このビルの前を通りかかったとき、入口にフジテレビの中継車が停まっていた。はて、誰かの会見でもあるのかな?ひょっとしてのりピー?いえ、まさか、こんな真面目そうなビルでそんなことやらないでしょ、芸能人の会見といったら、大体プリンスホテル系だから・・・と思っていたら、なんとなんと、本当にのりピーの会見がそこで開かれたのだった。あ~びっくり。

父の遺品やらがらくたやらを、できるだけこの「シルバーウイーク」中に片付けようと思っている。
父は、浮世絵が好きだった。骨董市などにひょこひょこ出かけて、気に入った絵を買っていた。しかし、父以外には、誰も浮世絵に興味がなく、母などは、父が壁に飾って眺めていた絵を、「幽霊みたい」と言ってひどく嫌っていた。父が壁にかけていた絵は、すべて棺に入れて燃やした。葬儀後、父の部屋を整理していたら、浮世絵のガイドブック数点ともに、古い浮世絵がさらに何点か出てきた。1枚8,000円、などという値段が付けられていたが、これが相場なのか、ぼられていたのか、さっぱりわからない。
いずれにしても、我々遺族には興味がないので、私の会社から近い、神田の古書街の浮世絵を取り扱う店舗で売ることに決めた。カネにならなくとも、捨てるよりはマシか、という程度の感覚である。価値がわからないので仕方ない。

今日、ランチタイムに神田古書街に行き、あらかじめインターネットで調べておいた浮世絵取扱店3軒を訪問し、本と絵を引き取ってくれるかどうか、問い合わせをしてきた。1軒だけ、「本は扱っていません、浮世絵だけです」と回答した店があったが、いずれにしても、それら3軒とも、鑑定して引き取ってくれる、という。神田古書街のすぐ近くに勤務先があって、便利なことこの上ない。ありがたや。

今度の日曜日には、それ以外の父の本を引き取ってもらうべく、ブックオフの集荷引き取りサービスを頼んである。ほとんど司馬遼太郎と山崎豊子の本ばかりだ。私も司馬遼太郎は嫌いではないが、父の蔵書全部を保存しておくほどの意欲もスペースもない。山崎豊子は、文章が非常に読み難いので苦手だ。
今日、神田古書街を訪ね歩いていたとき、神田古書街のインフォメーションセンターに立ち寄ったら、そこに居た係の老人に、
「趣味は一代、って言いますからね」
と言われて、なるほど、と思った。「自分には宝であっても、他人にはクズと心得よ」という話も聞いたことがある。まことそのとおりだ。自分が死ぬときには、捨てられても惜しくないものばかり、最小限に残すようにしようと思う。

2009/09/17

「Make」という動詞

いつもはシンガポールオフィスにいるアメリカ人上司が今週来日しているので、今日ひさびさにOne-on-one meetingを持った。この人の英語、独特のなまりがあるので、ひどくわかりにくい。私だけでなく、みんながそう言うので私の能力不足ではなさそう。安心。
ま、それは置いておき、終わり際に「あと何か質問はないか?」と聞かれた。この人からは、明日夜、みんなで飲みに行こうというメールが出ていたが、父の病気中から夜のつどいはずっと遠慮しているため、
「I cannot make it tomorrow night. Sorry」
と言った。彼はもちろん「That’s OK」と言った。
ふっと口を出たフレーズではあるが、自分で言ったあとで、英語の「make」という動詞はつくづく使い勝手がよい単語だと思った。私が言ったのは「出席できない」という意味で、「I won’t be available tomorrow night」と同義である。このように、指定した時間に間に合わないとか、出席できないときに「make」を使うのは、日本語とは全く異なる用法で面白い。

我々日本人が中学校で一番先に習う「make」の使い方は「つくる」であるが、それにもちょっと思い出がある。うちのアメリカ人の夫は、世間一般の例にもれず、尾籠な話が大好きなのだが、私が、お尻の穴を日本語では「肛門」ということ、そして、その漢字を、
「月は『flesh』で、工は『make』で、門は『gate』だよ。ウンコを出すときの肉体の門なんだよ」
と説明したら、
「ああ、英語でもウンコをするとき『make』って言うよ」
と言った。面白い。

あと「make」で面白い使い方だと思うのは、
She will make a good wife(彼女はいい奥さんになるよ)
という表現である。「なる」なので、日本人は「become」を使ってしまいそうだが、こういう場合、大体「make」である。昔、アメリカで
「Never make a pretty woman your wife」(美女と結婚したらダメ)
という楽しい歌がヒットしたそうで、
(If you wanna be happy
http://www.lyricalcontent.com/98827/lyrics/jimmysoul/ifyouwannabehappy.html
これに反する結婚をした(?)わが夫は、新婚当時よくこのフレーズをくちずさんでいた。この場合も「妻にする」は「make」である。
ほかにも、
「Don’t make me mad」(あたしを怒らせないで)
という使役形のmakeもひんぱんに使うから、私にとって、「make」は「つくる」より「なる」「(そのように)する」「実現させる」といった方がダントツに使用頻度の多い動詞である。ちなみに、making agreements(契約を締結すること)が私の仕事でもある。

2009/09/14

法名料を節約できた、の巻

父が逝って1週間。母に、
「今、独身じゃ~ん」
とひやかすと、母も、
「あら、そうね。ナンパされたらどうしよう」
と切り返すようになった。女は男より孤独に強いので、この調子でいけば、楽しい未亡人ライフを送ってくれそうだ。

母の里では「曹洞宗」が宗派なのだそうだが、父方は「浄土真宗」である。全く信心はないけれど、「葬式仏教」よろしく、横浜郊外にある浄土真宗のお寺にお坊さんを頼んだ。檀家、ということではないが、父の母が死んだときにもお願いしたお寺である。

さて、浄土真宗の場合は、死者に付ける名前を「戒名」ではなく「法名」と呼ぶ。それも、付け方が結構簡単に見えるのだ。姓のように頭に付けられるのは、男性の場合は「釋(しゃく)」、女性の場合は「釋尼(しゃくに)」に決まっている。名前にあたる部分によく出てきそうなのは「浄土」の「浄」の旧字体の「淨」である。祖母の場合は、あのバーサンに到底似合わぬ「釋尼淨耀(しゃくにじょうよう)」という美しすぎる法名を頂戴してしまった。なんとも恐れ多い。坊主丸儲けとはいうが、「耀」1文字を選ぶだけでウン十万円も払わされた。

それに懲りた、というわけではないが、簡単なので、父は、生前から法名を用意していた。「釋 淨○」といい、「○」は父の「○夫」という下の名前からそのまま取った。
私がお寺の住職さんと葬儀の段取りについて電話で相談していたとき、
「法名のことなんですが、」
と切り出された。私は、
「ああ、父はもう法名つくってあるんですよ。」
と言った。電話の向こうの住職さんは、急に声の調子が「がっかりモード」になった。
「でも、法名は、お経の中にある文字から取らないとならないんですよ」
とおっしゃるので、
「父のは、釋 淨○って言うんです。○は、本名からそのまま取ったのですが」
と私は答えた。住職さんは、なおさらがっかりした口調で、
「その文字なら、お経の中にありますから、それをそのまま使いましょう」
とおっしゃった。心の底で
「ちっ、儲けそこなった」
と思っておられたのが、電話を通じてビビビと伝わってきた。
そのせいで、というわけではないだろうが、実際に葬儀にいらしたのは、副住職さんだった。

2009/09/13

納棺士

先ほど、銀行ATMから葬儀代金を振り込んできた。葬儀費など、世間の相場でいくらぐらいするのか、そもそも葬儀費には相場があるのかどうかもわからない。その葬儀場を選んだのも、ただただ単に家から一番近いからだ。仔細は葬儀社に任せた。

葬儀の費用の明細をもらったとき、一番ぎょっとしたのは、湯灌(ゆかん)、つまり、遺体を洗って服を着せる、という作業の費用だった。8万円もするのである。
「4人くらい納棺士がいて、その人らの日当が2万円、ってことなんじゃないの?」
と私は母に言ったが、それにしても、わけがわからない。

父の湯灌のときは、母と私が立ち会った。納棺士は、男性1名、女性2名だった。畳の下から、風呂桶のようなものと水道が出てくる仕組みになっているようで、所定の時間に行ってみたら、風呂桶の上に、バスタオルがかけられている裸の父が横たわっていた。我々が末期の水をつけると、あとは、体を丹念に洗ってくれた。胸から膝までは、我々に肌が見えないように、バスタオルを持ち上げて洗ってくれる配慮だった。別に、裸を全部見たって良いのだけど。
洗い終わったら、我々は一時退場させられた。その間に、風呂桶のようなものは畳の下に収納され、父は、母が持参したスーツを着せられ、畳の上に寝かされていた。死んで体が硬直しているのかと思っていたが、着替えはできる程度らしい。

しかし、この世の中には、選択できる職業は他にもゴマンとあるのに、1年365日、死体にさわり続ける、という、彼ら「納棺士」の職業選択の動機は一体何なのだろう。給料は間違いなく高かろう。しかし、それだけで続けられる職業とも思われない。暗いし、楽しみはないし、ときにはまともでない死体もあるだろうに。

モックンの映画のお陰で一躍世間に知られることとなった「納棺士」。本当に、世の中にはいろんな仕事があるものだ。