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2009/06/30

最近目に付く「妙に安い弁当」

不況のせいで、最近、妙に安い弁当が目に付く。さっきテレビをみていたら、大手スーパーのジャスコでも「278円弁当」の販売を開始した、という。
私は、なるべく弁当を会社に持っていくようにしているが、時々は疲れて作らないこともある。そんなときは、会社のビルの地下のレストラン街を歩いてお弁当を調達する。どの店頭に並ぶ弁当も、おしなべて500円が目安となっている。500円程度の値段で、魚の半身など、けっこうおかずも詰まっている。これでは大した儲けにもならないだろう。しかし、この間見かけた弁当屋さんには驚いた。なんと、390円なのである。とりどりのおかずに、そこそこの量のご飯が詰められており、彩りも美しく、女性には十分な量である。390円を払って出ようとしたら、
「お茶がサービスで付いています」
と、伊藤園の「おーいお茶」という缶のお茶を一本つけてくれた。
げ。この缶茶だけで1つ100円くらいだ。となると弁当代は正味290円。人さまのビジネスを心配するのもなんだけど、これで本当にやっていけるのかなあ?ジャスコも、いくら大量生産でコストを抑えているとはいえ、278円で利益が出るのだろうか?

私が初めて安さにうなった外食は、リンガーハットである。以前勤めていた会社から少々歩いたところに店舗があり、時々ランチを食べに行ったのだが、当時は、ちゃんぽんや皿うどんが380円(プラス税で399円)だった。安く、ボリュームもあり、野菜もたっぷりで、「これを家で380円で作れと言われたって絶対にできない!」というすぐれものだった。その分、人件費を節約しているらしく、注文が出てくるのが非常に遅かったけど、値段が安いので、全く文句が言えず、客は皆、出てくるまで辛抱強く待っていた。その後、物価が高くなり、450円に値上げしたところ、客足が激減して大変だったらしいが、今は回復しているだろう。450円だって十分安いと思う。

<余談>長崎って不思議な食べ物がある土地だと思うが、しかし、「ちゃんぽん」はともかく、あの細い揚げ麺がなぜ「うどん」なのか、全然意味がわからない。どなたかご存知だったら教えてください。

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2009/06/29

指紋をけずってまで日本に入国したがる中・韓の輩ども

指紋切除で入国狙う 成田空港 生体認証すり抜け手口
6月29日15時21分配信 産経新聞
 入国審査時に指紋を読み取り、過去に強制退去処分を受けた外国人らのリストと照合する「生体情報認証システム」をすり抜けるため、指紋の一部を切除するなど改変し、成田空港から不法入国を図るケースが相次いでいることが29日、入管当局などへの取材で分かった。

 昨年、不法残留で強制退去処分となった韓国人の女が特殊テープを指に張り付け、同システムをすり抜けて青森空港から再入国していたことが判明。警戒を強める中での新たな手口の登場に、関係機関も対策に追われている。

 入管当局は今年から、青森空港事件などを受けて認証システム頼りの審査を見直し、指紋読み取り機が異常を察知した場合は、入国者の指紋を直接肉眼でチェックする方法に改めた。

 この結果、成田空港では1月以降、指紋の一部を切除した後に縫い合わせたり、やすりのようなもので指紋を削った中国人の男女計4人を相次いで発見。千葉県警が、この4人を入管難民法違反容疑で逮捕し、いきさつを詳しく調べた。

 県警によると「中国で、5千元(約7万円)で医者に手術してもらった」などの供述を得ており、中国側の密航あっせん組織が関与している可能性もあるとみて、動向を注視している。

 東京入管成田空港支局は「出入国が活発になる夏の繁忙期を控え、今後も厳重な警戒を心がけたい」と話している。

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おお、いやだいやだ。外国人を配偶者に持つものとして、こういう不法入国者どもは断じて許せない。それはともあれ、日本とは、中国人、半島人らアジアの外国人にとって、いかに魅力に富んだあこがれの土地かが痛いほどわかる。指紋をけずってまでも入国したくなる国が、世界中にいくつあるというのだ。
入管はいくら厳しくしてもいい。なにせ、ある時の法務大臣など、「友人の友人がアルカイダだ」などと気の遠くなるほどバカな発言をし、世間の顰蹙を買ったものの、当人はその発言のどこが悪いか理解できていなかった。彼は、「本当のことを言ったらいかんのか」とまで発言した。入国管理の最高責任者である法務大臣が、テロリストらがどこから入ってくるのかを全然わかっていなかった、ということだ。そして、偽造パスポートで滞在する犯罪者一家を「かわいそう」と言って支援するお人よしまで沢山いる。こんなおめでたい国がどこにあるのだ。ちなみに「お人よし」に相当する英語はない。いかに日本人的な性質かがわかる言葉だと思っている。
その元・法務大臣の兄さんのほうは、「日本は日本人だけのものではない」と発言し、外国人参政権にもかなりの理解を示しているという。おいおい、日本をどうしたいのだ。「ものだ」という言葉の強さ、定義、度合いにもよるので一律に言うのは語弊を生じるかもしれないが、日本は日本人のものである以上、日本人「だけ」のものだといっても筋違いではない。

以前にも述べたが、「森川キャスリーン事件」の判決で、最高裁判所は、「国家は外国人を受け入れる義務は無い。外国人の入国は当然に認められたものではなく、日本国の裁量による」とした(1992年11月16日)。これを覆す最高裁判例はまだ出ていないから、この判例が日本国の外国人の入国、在留に対する今日までの指針であり解釈となっている。従って、当然にこの国で日々を暮らす権利があるのは日本国籍を有するものだけである。外国人がいくら働いて税金を納めても参政権もない、などということは、帰化すれば解決できる。帰化を条件にすることはなんら不当でもないし、自国以外に居住するということは、国によって制度に違いはあるものの、根本的にそういう不満や制度上の不備の甘受を強制されるものなのである。

中国人による犯罪が後を絶たない。昨日も恵比寿の飲み屋で中国人の男が口論の末、刃物で日本人を殺した。勿論、この男はオーバーステイ(ビザの滞在期限切れ)だった。移民の大多数は、常に、貧しい国から豊かな国に、また、治安の悪い国から治安の良い国に流れることを忘れてはならない。

2009/06/28

ぐあ~、住民税が上がった

住民税、つまり、「都道府県民税」と「市町村民税」は、ある年の1月から12月までの所得額に対して計算され、給与所得者については、その翌年の6月から翌々年の5月の12ヶ月に渡り、給与天引きで支払いがおこなわれる。私の今月分の給与明細にも、「平成21年度給与所得等に係る市民税・県民税特別徴収税額通知書」が入っていたが、その額を見たら、なな、なんと、これまでより1ヶ月に付き
16,850円
も高くなっているではないか!げ~。年にすると、去年より196,400円増えた。
しかも、
「横浜市では、緑の保全及び創造に資する事業の充実を図るために、平成21年度から『横浜みどり税』を実施します。市民税均等割が3,900円の方は、うち900円が『横浜みどり税』となります。(裏面もご参照ください)」
なんて書いた、毎年見てはいるけれど、例の細長い紙が入っていた。

痛いなあ・・・ 一応「昇給」もあったのだけど、これで完全に吹っ飛んでしまった。
前にも書いたけど、その前に、市役所職員のバカ高給料を下げてよね・・・。

「横浜みどり税」って一体なんだ。いつの間に可決されたのかわからない。まあ、そんな税金を取るくらいなら、せっせと緑を増やしていただきたい。
しかし、これは実家のある団地に4月くらいにあった話だが、「さつき」「つつじ」の苗が50本くらい、横浜市から急に送られてきた。団地の管理人も、どこにどう植えたらよいのか見当もつかない。もともと、管理はしっかりしており、植木はたくさんある団地なのだ。そこへ、必要かどうか尋ねられもしなかった「さつき」や「つつじ」の苗が「植えてください」とドーン。これって、典型的なお役所仕事ではないか。税を取った、さて、配る先と、苗の種類を市役所で考えた、次は、税金で苗を買い、税金で配った、さて、これで仕事は終わり、今年度の活動報告書にもしっかり記載することができる、ってか。送られたほうが有難がっているかどうかなど、まったく業務外のことらしい。ただ予算を消化すれば仕事になるというのか。まったくお粗末もいいところである。

2009/06/27

数字のケタ区切り

私の知人に、南米で育った日本人がいる。
彼は、地元の学校に通った放課後、日本人学校に通ったというので、一応日本語の読み書きはできるけれど、漢字のミスが頻繁にある。それはやむを得ないとして、もう一つ、普通の日本育ちの人と明らかに異なるのが、数字の桁区切りの仕方である。

例えば、我々は「千二百三十四点五」と表記するときは、
「1,234.5」
と書く。しかし彼の場合、コンマとピリオドの使い方がまるで逆なのである。
「1.234,5」
と書く。なんでこんな基本的なことを間違っているのだろう、と長らく疑問に思っていたが、後年、桁区切りについては、世界の共通ルールはないということ、スペイン語圏では、日本や英語圏とは逆に、小数点が「,」(カンマ)であり、3桁区切りには「.」(ピリオド)を使うことを知り、ぶったまげた。道理で小数点以下を「コンマ以下」と言うわけだ。そう言えば、昔、スペインの支社から送ってもらった計算書の数字の桁区切りが、当時の私の目から見たら滅茶苦茶で、「頼むから小数点と桁区切りのカンマの区別くらい付けてくれ」と怒りのメールを返信したことがあったが、いま思うと、ひどく無知で失礼なことをしたと反省している。
なお、フランス語圏に至っては、3桁区切りにはカンマもピリオドも使わず、ただスペースを開けるだけだそうだ。だから、上記の数字は、
「1 234.5」
と書くようだ。おまけに、スイスとルクセンブルグだけは、3桁くぎりには「アポストロフィー」を用いるので、
「1’234.5」
と表記される。スイスからメールが来るたび、マジで間違えていると思っていたが、いずれの表記でも、万国共通ルールとして採択されており、間違ってはいないとのことだ。はあ。世界は広いなあ。参考になるサイトを表示しておく。

http://homepage1.nifty.com/tabotabo/ccc/syosu.htm

ところで、日本のように、「万進法」の数字表記を取る国に、3桁区切りで数字を表記しても少しも便利ではない。数字に弱い私など、6桁を超える数字になるとパッと読めない。100,000なら10万、と読めるが10,000,000,000をパッと見で読める人がいれば、職業がら、余程毎日大きな数字を見る人に違いない。
私は 朝日新聞のホンダカツイチ元記者の論調は好かないが、彼が「万進法の日本では、カンマは4桁ごとに打つべきだ」と主張していたのには大賛成である。上述の10万だって、4桁区切りなら10,0000となるし、上述の100億なら、100,0000,0000と区切れば、数字に弱い私でもパッと読めるではないか。千進法の海外にあわせて読みにくくする必要はないと思う。この点では、日本と中国あたりが頑張って主張してもらいたいものだ。

2009/06/24

牛乳イコールカルシウム、ではないぞ

私の勤務先に、私同様、アメリカ人の旦那様を持つ女性がいる。気が合うので、よくお昼ご飯を一緒に食べる。
ところで、私の職場では、「病気にならない生き方」(新谷弘実著 サンマーク出版)を熱心に回覧していたおじさんがいた。同書の中に「牛乳を飲んでもいいことは何ひとつない」と書いてあったのには、私は素直に肯いた。もっと昔、私が太っていたころバイブルにしていた「鈴木その子式ダイエット」の本でも禁止していたから、私は以前から牛乳はなるべく飲まないようにしていた。それ以降、アレルギー性鼻炎も以前よりおさまったようだ。

ところで、冒頭の彼女は、乳房にしこりを発見し、さまざまな検査を受けた。結果的にはシロだったのだが、その後、冒頭の本を読み、乳製品の摂取を控えたら、しこりがだんだん少なくなってきた、とのこと。彼女は従って、牛乳を飲むのをやめる、と家族に宣言したら、彼女のアメリカ人の旦那様が反射的に、
「それじゃ、カルシウムはどうやって摂るんだ?」
と叫んだそうである。はは~ん。
「うちの旦那って、カルシウムイコール牛乳、だと思っているの」
とのこと。牛乳には信仰に近いものを持っているとか。私が
「ほかにもいろいろカルシウムを含む食品がある、って知らないの?」
と聞くと、
「そうなの。全然知らないの」
とのこと。

飽食の時代であっても、カルシウムだけが唯一日本人に不足している栄養素だそうだが、牛乳を飲まなくたって、和食にはカルシウムを摂れるおかずはいろいろある。手元にある食品成分表を開いて、一度に可食しやすい分量別(かっこの中のグラム数)でのカルシウム含有量を見ると、

いわし丸干し(50g) 600mg
厚揚げ1枚(120g) 300mg
ししゃも(50g) 220mg
小松菜 加熱前 (50g)145mg
乾燥ひじき(10g) 140mg
ごま(10g)120mg
凍り豆腐(20g)118mg


・・・などなど、米飯に合いそうな副菜がずらっとならぶ。アメリカではこういった食品は日常食ではないからなあ。和食がいかにすぐれているか、改めて悟る。

ただし、これらはいかにも「昔ながらのおかず」である。昨今はこれらを食べる機会が減ったのも、我々のカルシウム不足の一因だあろうか。昔の日本人は牛乳なんか飲まなかったが、味噌汁のだしをとったあとの煮干もしっかり食べ、日に当たって外でよく体を動かして働いていたから、今のように簡単に骨折する子供はいなかったのではないか。

そういえば、これらのおかずは、緑黄色野菜以外では、昔なら「乾物屋さん」で売られていたものが多い。かんぶつや・・・・ 今や、「乾物屋さん」なんて、滅多に見なくなった。調理に手間と時間をかけない、あるいはかけられない人が増えた時代の流れとはいえ、よき和食の文化がすたれているようで、寂しい。かくいう私は、ご飯の上に、ゴマとちりめんじゃこをかけてカルシウムを補給している。

ところで、冒頭の彼女によると、牛乳を生産する酪農家では、雌牛を早く成長させ、早く乳を搾りたいがため、エサに成長促進ホルモンを混ぜているという。そういうホルモンが入った牛乳を飲むと、女性の場合は胸に、男性の場合は前立腺に、とにかく、生殖に関する部分に異常が出やすい、と話していた。こわいなあ。そういえば、牛乳の消費量が多い西欧各国では、乳がんが多い。

2009/06/23

「桐島洋子」論と「亭主に洋の東西はない」事実

いまから30年くらい前のベストセラーだが、桐島洋子の「聡明な女は料理がうまい」を読んで、「私は将来こういう女になる!」という像がほとんど固まったと言ってもいい。ひねたガキだった私に、本当に、影響を与えた本だった。いわく、

* 料理を粗末にすることこそウーマン・リブ(←ふ、古い!)に反している、
* 有能な職業人である女ほど、また有能な主婦である
* 女は料理の能力を男並みに退化させてはならない
* 忙しいから家事に裂ける時間は少ないが、短い時間に火の出るような勢いでチャッチャカと、むしろ一日家にいる主婦より手際よく家事を処理してしまう

等々、彼女らしい勢いのある主張が並んだ。
私は、「よし、大人になったら家事をしながら仕事もできる有能な女性になるぞ」と誓ったものである。幸い、母が料理の達人だったこともあり、台所仕事は割と早くから覚えた。
桐島氏はしかし、同時に、自分の書いている文章がかなり強がっていることも認めており、彼女自身も仕事と家事(と子育て)に追われる日々に、「奥さんが持ちたくなる」と正直に書いている。しかし、屈服せずに、男の2倍も3倍もがんばるくらい働かないと、社会を変えられない、とも述べていた。
「短時間で、集中して、がががーっとやる」という方針は、私にとって、家事だけでなく、仕事においても基本姿勢となっている。実際、私はあまり残業することに価値を置かない。定時が来たらさっさと帰る。その代わり、日中は集中して仕事を仕上げる。土日も絶対仕事はしない。

そういうわけで、私は、自分が結婚しても、旦那に家事を手伝ってもらおうとは思っていなかった。子供がいたら別だろうけど、二人きりなので、短時間でガガガーっと片付けてしまえる量なのも事実である。
しかし、新婚当時を過ごした京都では、
「ご主人がアメリカ人なら、よく家事を手伝ってくれはるでしょう?」
というワンパターンの質問を、何度聞かれたかわからない。前にも述べたが、京都の人間は、視野が非常に狭く、また、ガイジンとみれば必ず英語の先生だと思いこんでいるので、いつも「ご主人はどこで教えてはるんですか」とも何回も聞かれた。で、家事をするかどうかの質問には、
「い~え、ダンナは家事なんかしませんよ。家では、ごろごろして、パソコンやって、ビデオ見て、ぶりぶり屁こいて寝てます」
と答えた。京都人は、きょと~んとしたが、
「はあ・・・・ そないなら、何も、わざわざ苦労してガイジンはんと結婚なくてもええやおまへんか」
と言われてしまった。これは100%正論だったので、何も言えなかった。

桐島洋子に影響を受けすぎてしまった私は、友人からもしばしば「あなたって、給料を運ぶ女中さんね」と言われる始末で、ちょっと自分の生き方、考え方に対する価値観がゆらいでしまった。そこで、夫に、
「あなた、お皿を洗ってみる?」
と聞いたところ、彼は簡単に「No」と言った。
「でも、たとえば、私が熱出して寝込んだらどうするの?」
と聞くと、
「弁当を買ってくる」
とかとんちんかんな回答をする。
「でも、慣れておいたほうがいいよ」
と諭すと、
「そんな日本の小さいキッチンでは洗えない」
だの、しまいには
「指が痛い」
という究極の言い訳をして逃れようとした。これには結構笑えた。
その後もちょこっと聞いてみたら、こんな本音を言った。
「せっかく日本人と結婚したのに、家事なんかやったら日本人と結婚した甲斐が無い」
はは~、やっぱりね。洋の東西を問わず、男ってやっぱりこんなものなのね。私は父が全然家事をしない親父だったし、母から「男に家事は期待できないからね」と言われて結婚したので、最初からアテにはしていなかったけど、こういうのが男の本音だとつくづく悟った。ま、女は一生主婦業があるから、男と違ってぼけにくい、というのが私の持論だし、そもそも私、アイロンかけ以外の家事は好きだ。

その後、私が本当に熱を出してダウンしたことがあった。私がうんうんうなっている横で、彼は、寿司屋から、寿司折を1つだけ買ってきて、一人で食べていた。
「私の分は?」
と寝床から聞くと、夫は
「食べるのか?」
と聞いてきた。まったく、妻がダウンすると自分の分だけ食べ物を買ってくるって、日本人の亭主とそっくりである。母に話したら、
「男って、どこの国でも変わらないのねえ」
と、ひっくりかえって笑っていた。

2009/06/22

ああびっくりした。市長に悪口メールを送る市職員

今朝もまたiPhoneで産経新聞を読んでいたら、横浜市長と大阪府知事の対談が出ていたので、じっくり読んだ。すると、中に、ぶったまげるような話があった。
民間に比べてあまりに非常識な職員の言動やふるまいについて語る中にあったのだが、

中田横浜市長「ぼくの所にも『お前みたいな若造に何がわかる。このばか』ってメールが職員からくる。民間企業だったら考えられない。さらに驚くのは、匿名ではなく、部署名も実名も書いてある。つまり職員は自分達は守られていることをわかっている」

市長に「ばか」メール・・・・唖然・・・・・

橋下知事「平気なんですよ。ぼくも昨年、さすがに頭にきたのが何件もあって、『これについては注意くらいでけへんの』と聞いた。『いや、上司に対する物言いだけで注意、戒告というのは難しい』と言われた。」

して良いことと悪いことの区別のつかない愚か者に注意することすらできないらしい、公務員の制度って。
もちろん、そういう輩はごく少数だろうとは思うが、ひとこと、


ふざけるな~。
民間企業なら首になってるぞ!


それとも、こんなことでいちいち唖然としている私の方がおかしいの?

2009/06/21

こわれゆく父 ③切手代がわからなくなった

先日、夜、実家へ寄ったら、玄関先に、父が書いた、何かの応募はがきが置いてあった。
誰か外に出る人がいたら、ついでに投函するように持って行くならわしなので、私が持っていこうかと手に取ったら、切手が茶色いのに気づいた。
「これ、10円切手だよ。しかも、上下さかさまに貼ってあるよ」
と母に言った。母は、
「これじゃ、出したら戻ってきてしまうねえ」
などとちょっとずれたことを言ったので、私は
「普通、上下さかさまに貼らないでしょう?それに、はがきが10円じゃないってことも、わからなくなっているんじゃないの?明日起きたら聞いてごらんよ」
と言った。
翌日、母にその後のやり取りを聞いたところ、父は
「じゃあ、80円貼らないといけないんだなあ」
と答えた、とのこと。そこまでボケてきた。

ちょっと昔の医学だったらとっくに死んでいた父。それが、抗がん剤が意外なほど効いて、今日まで永らえている。しかし、こんな状態で80,90まで生きても、家族はあんまり嬉しくない。実家のすぐ近所の家では、奥さんが脳内出血で倒れて数年、ただただチューブで生かされている。医学は、単に、1日でも長く生かすことを治療と考えている。確かにそれを怠った場合、殺人罪に問われうることも理解している。
日本人の平均寿命は世界トップクラスで、女性は85歳、男性は79歳と聞く。しかし、そのうち、寝たきりにもならず、自分の身の回りのことを最低限自分でできるような状態までを仮に「寿命」とカウントするなら、それは何歳なのであろうか。

ちなみに、父に介護認定が再度降りたが、前回同様、「要介護1」であった。母は、日中、父に、デイケア施設に行って数時間でもいなくなって欲しいのだが、根っから非社交的な父は、
「おら、やだ。そんなとこ、行かねえ」
と言って拒否する。せっかく要介護認定が降りたのに、全然使い物にならない。

2009/06/20

「障害」「障碍」「障がい」「challenged」

よくご訪問くださるkoreyjpさんから、おとといの18日、「障害者」ではなくて「障がい者」というかな交じり表記についてのご意見をたまわった。非常にセンシティブな話ではあるが、あえてふれてみようと思う。
「障害」という字は、かつては「障碍」と書かれていたそうだ。「碍」は常用漢字にないので、なじみが薄いため、辞書を引いてみたら「礙」(←石へんに疑問の疑)という字の俗字、とある。で、さらにその「礙」を引いたら、「さまたげる、じゃまをする」とあった。ふむ。「障害」の「害」という字が良くないという主張であれば、「障礙」か、せめて「障碍」に戻すことも一案だろう。その方が「障がい」などという日本語として醜悪な記載を見るよりいい。

私の母は障害者手帳を持っているが、これは、高齢女性にありがちな股関節の変形が生じたためであり、昔からのものではない。この手術を受ける前に、事情に精通した執刀医が、障害者の申請をするように勧めてくれた。その医師の申請書により、無事に母には障害者の認定が降りた。そのあとで、人工関節に取り替える手術を行った。しかし、どういう制度なのか詳しくわからないけれど、障害者の手術ということで、普通なら200~300万円ほどかかる手術費用が、ほとんど税金でまかなわれ、入院手術の間は却って黒字になったほどだった、と母は語った。税金を納めてくれている横浜市民の皆様にお礼を言いたい(私も払っているけど)。貧乏な実家においては大変助かったのであるが、こういう形で障害者手帳を利用するのが果たして100%正当だったのか、多少良心の呵責を感じないでもない。

話がそれた。

いつのころからか、「おし」「つんぼ」「めくら」「びっこ」「ちんば」「かたわ」などの言葉が「差別用語」とされ、公の場から一切追放された。代わって、「○○の不自由な方」「○○障害者」という表現がされるようになった。私は別に面白がっているわけではないことは念のため断っておく。従って、「めくら判」「めくらめっぽう」「片手落ち」という言葉もNGになったが、果たしてこれらの言葉はなんと表現したらよいのだろう。最初のそれなど、私は揶揄するつもり半分で「目が不自由はんこ」と言っているが、他の2つは「めったやたらに」とか「不十分」とか言わないといけないのであろうか。そういえば、2年くらい前に「メクラウナギ」「イザリウオ」といった魚の和名も、「メクラ」「イザリ」という言葉が差別用語だとして変更されたとか聞いたが、ちょっと首をかしげたくなる。それなら「アホウドリ」とか「コビトカバ」はどうなったのであろう。
ことの根本問題は、それらの障害を負った人たちを「ばかにする」態度と精神にあるのであって、言葉を狩って呼び方を変えればよくなるといった話ではない。たとえば「やーい、この○○が不自由な人!」と口にしたとしても、○○に障碍がある人をさげすんだ精神が治るわけでもない。人間みな、自分もいつ障害を持つかわからない身だとわきまえて、そういった人たちを助けこそすれ、下に見るような態度をとってはならない。呼び方は、大切なマナーの問題のひとつではあるが、次元としてはかなり表面的である。

以前にもちょっと引用したが、私がかなり心の支えにしている、曽野綾子さんの「人びとの中の私」というエッセイ集の中に、こんな一節がある。ただ、少なくとも30年は経過している著作なので、曽野氏がいまもこれと同じ考えをなさっているかは保証できないが。

このごろのジャーナリズムは、「ビッコ」「チンバ」という言葉さえ使ってはいけない、というような的外れを言う。しかしこの世には、ビッコもチンバもいるのである。私はメクラに近い近眼の上に、白内障まで加わり、夫は、幼児の時の病気の結果、片耳ツンボである。ビッコもチンバもメクラもツンボも、承知の上で、その個人の一人ひとりに、さん然として輝くような部分が必ずどこかにあることを思えば、それらは大したことではない。

そのような弱点を持っているご自身の発言として聞くと、うなってしまう。先日、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝をした辻井伸行さんなどは、実にこの例ではないかと思う。

言葉狩りについては、アメリカは、この分野ではほとんど超先進国であろう。koreyjpさんへの私のコメントの中でもちょこっと書いたが、かつては「cripple」(これは特に手足に障碍がある場合を指す)、「handicapped」「disabled」などと言った表現が、最近ではよく「politically correct」(政治的、道徳的に正しい)的表現として、「challenged」と言うようになってきている。「Challenging」ではなくて「challenged」という過去分詞形になっているのは、「神から挑戦を受けた」という、選ばれし者たちだということらしい。
しかし、これに関しては、時代の風潮を受けて作られた造語だけに、かなり揶揄の対象となっている。たとえば、

「short」(低身長)
「fat」(肥満)
「ugly」(ブス、不細工)

というのは失礼だとして、

Vertically-challenged(垂直方向に挑戦を受けた人)
Gravitationally-challenged(重力方向に挑戦を受けた人)
Esthetically-challenged(美的に挑戦を受けた人)

などというパロディー、揶揄が広く知れ渡っている。
無理した造語が滑稽だという好例である。日本はこれ以上この轍を踏まないで欲しいと思う。

2009/06/19

母「すわ、大腸ガン?」

老母がある日、「お通じが出にくい。出ても、細いのしか出ない」と言った。
私は「まさか、大腸ガン?」と青くなり、父のガンを発見してくださった父かかりつけの胃腸科・外科医院に行くよう命じた。検査の前には、厳しい食事制限があったし、また、前夜には、下剤も大量に飲んで、腸をカラにしなければならない。
検査当日は、私も会社を半日休んで付き添った。結論から言うと、ガンはなかった。老父がリンパ癌でよぼよぼなため、母にまでダウンされたらどうしようもなくなるところだった。
医師は、レントゲン写真を見ながら、
「(腸は)きれいなもんですよ。これならあと5年は調べなくて大丈夫です」
と言った。母の老齢を考え、結果がシロだったら、これで生涯最後のガン検査にするつもりだったから、仮に生きていたとしても、6年後に再検査するつもりは、もうない。
お通じの困難なのには、粉薬を処方していただいた。
いやはや、あんなクソ頑固で痴呆の入ったよぼよぼの父を面倒みてくれるのは、世界中で母しかいない。母がダウンしたら、私が仕事を辞めて年老いた両親の世話をしなければいけない。

ガンの疑いが晴れた記念というわけでもないが、母と一緒に高島屋へ包丁を買いに行った。母は料理の達人だ。まだまだ腕をふるって欲しいし、「もうちょっといい包丁が欲しい」と言っていたので、先月、私が母の日にプレゼントした商品券1万円分を持って行った。
いくつか手に取らせてみたが、私もひそやかに気に入っており、いつかは買おうと思っていた、全体が金属の、つまり、持ち手も木ではなくて、一続きの金属でできている包丁を選んだ。やった~。このタイプだと、木の持ち手と包丁の継ぎ目がないので、そこが傷むことがない。その後、母は「あの包丁、とっても気に入っているの」と喜んでいた。良いプレゼントになって、私も嬉しい。私が料理好きになったのは、若いときに読んだ桐島洋子のベストセラー「聡明な女は料理がうまい」の影響も大だが、母が無類の料理上手なことにもある。洋食は私が作ったほうがうまいと思うが、未だに、どう頑張っても、酢の物と味噌汁の味は母に及ばない。

しかし、夫は、「You are too close to your parents(あるいはto your mother)for your age」と言って私を非難する。まあ、そうかもしれないね。でも、私でなければあの年老いた両親の面倒をみてやれる人はいないんだもん。ひがませてごめんね。あなたをないがしろにしているわけじゃないのよ。
でも、私が男だったら、これって「マザコン」と言われるのかしら。