FC2ブログ
2009/04/29

マスク、血液型、華氏

豚インフルエンザのせいで、メキシコではマスクが品薄だという。

マスクといえば、アメリカ人は、花粉症とか風邪が流行る季節に日本に来ると、「日本にはお医者さんがこんなに沢山いる」と言って驚く、という話を聞いたくらい、一般人がマスクをつけるという習慣が無いらしい。
私の夫も、SARSなどが問題になっていたときにあちらにいく必要があったときは、日本からマスクを沢山買って持っていったっけ。そしてこの豚インフルエンザ発生下ではどうなのだろう。
「ねえ、アメリカには、マスクって売っていないの?」
と聞くと、
「今は、drug storeとかに売っていると思うよ」
とあいまいな返事。もともとこの人は、医学に激しく無知で、姉さんが医者の割には、この方面にあまりにも知識や関心が無い。生来丈夫だったことに加え、アメリカでは医療費がバカ高いので、日本のようにちょっとした病気で気軽に病院に行く習慣が無いのも拍車をかけているのかもしれない。それに、医学用語だってラテン語ばかりで、ぱっと読んで理解するには、かなりの学識を要するらしいのだ。たとえば、漢字で「関節炎」「肝炎」と書けば、関節の炎症、とか、肝臓の炎症、と、漢字を読める人ならすぐ見て取れるのに対し、英語だといきなり「arthritis」とか「hepatitis」なんてアルファベットを並べられても、ぱっと見ただけでは意味なんか分からないだろう。漢字という表意文字はなんと優秀であろうか。
ところで、余談だが、「医学に無知だ」という点では、彼の義父、つまり私の父親とそっくりで、この二人、生まれた国も人種も違うくせに、なんでこんなにそっくりなんだ?と思うところが多々ある。これに関してはまたいつか書こうと思っている。

さて、アメリカにはマスクをつける習慣が無いことを私が奇異に思い、「変な国だねえ」と言うと、夫は
「アメリカは、日本と違って、病気のときは外に出ないで家にいるんだ。日本みたいに病気でも会社を休めなくてマスクをつけて出る国と違うんだ」
などと、はなはだ時代錯誤的な反論をかました。ばかめ。我々日本人だって体調の悪いときは仕事を休むわい。アメリカには、花粉症がないとは思えないし、SARSや鳥インフルエンザがはやったときでも、一般人が予防的にマスクをつける習慣がないってのは、変だなあ。

夫は、私と結婚したとき、自分の血液型を知らなかった。これにはびっくりして、さっそく献血センターに連れて行って献血させ、タダで(←夫の場合、これが大事)血液型を判定してもらったが、欧米人はたいてい、死ぬまで血液型を知らない人だらけだと知って再び驚いた。また、夫に「あなたの平熱は何度くらい?」と聞いたこともあったけど、これも答えられなかった。そもそも家に体温計なんかあったことがない、という。彼の家は超がつく赤貧というかどケチ家庭であったが、いくら貧乏でも、子供のいる世帯に体温計がないなんて、日本では考えられない。それに、いまだに「華氏」という時代遅れの単位を使っているから、だいたい、百度を超えたら「高熱」と考えるのだ、という。子供が発熱したときに、1度どころか1分の単位で熱の上下を心配する日本の親たちに比べ、なんともおおざっぱな話だ。ちなみに、華氏の百度はセ氏だと大体38度弱である。

とにかく、日本では普通に売っているものが海外では案外売っていない、という例は多いだろうけど、その一つがアメリカのマスク、ということだ。

スポンサーサイト



2009/04/28

豚インフルエンザ (swine flu)

また新種のインフルエンザが出た。今度は「豚インフルエンザ」だという。
鳥があり豚があり、次は牛か馬か。人間と新しい病気の闘いは果てしなく続く。

英語の話になるのだが、夫に「豚インフルエンザって英語でなんと言うの」と聞こうと思った。が、私が調べもせずそのまま聞くと、怠慢をバカにされるので、必ず事前に(ある程度は)推測をつけてから聞く(←私も結構気を使っているのですよ)。鳥インフルエンザのときは、「bird flu」でも間違いではないけれど、「avian flu」と教わっていたので、「またまた、動物の形容詞としてpigとは違う言葉を使うに違いない」と思い、
「swine influenzaって言うの?」
と聞いたら、
「Just “swine flu” is fine」
という答えが返ってきた。あ、そうか。そうだね。Nativeの英語スピーカーでも、「インフルエンザ」は長い言葉らしく、普通は単に「flu」と呼ぶ。日本語の「インフルエンザ予防接種」は、英語だと「flu shot」で済む。英語で言う方が短くて良いなぁ。

英語の場合、「○○の」という動物の形容詞になると、言語とはまったく違う用語を使う場合があるので、結構困る。上述のとおり、鳥は「bird」だけど「鳥(類)の」という改まった形容詞になると、「avian」なんて全く違う言葉が出てくる。犬はご存知のとおりdogで、「犬(科)の」という形容詞だと口語では「doggy」でいいけれど、フォーマルに言うなら「canine」(ケイナイン、のような発音)となる。発音が同じことから、ときどき犬のことを「K9」と呼んだり書いたりしているのは、そのためだ。
「Cat」に対し、「猫(科)の」という形容詞は、「feline」という、これまた超改まったような言葉だ。「馬の」などという形容詞もあり、それもまた「horse」とは激しく異なって「equine」という。もし「馬インフルエンザ」が発生したら、「equine flu」と呼ばれるはずだ。しかし、「equine」なんて、どうにもこうにも馬とは連想しがたい単語だ。英語って、なんでこんなにアングロサクソン語やらラテン語やらが混ざり合って溶けないでいるんだろう。ちょっと頭に来ている私である。日本語はいいなあ。名詞のあとに「の」をつければ、そのまま使えてしまう。「犬の」「猫の」「馬の」「人間の」「春の」、等々。






私ら結婚したとき、私のその当時の勤務先の人から、写真の、豆の形をした時計をプレゼントにもらった。夫は、サンフランシスコで日本語学校に行っていたので、「の」という助詞の使い方を習っており、すぐ
「まめの、とけい。まめの、とけい」
と、カタコトの日本語で繰り返しているのが可愛かったが、はて、「豆(科)の」って専用の形容詞があったかしら。そう思っていまオンライン辞書を引いたが、「leguminous」などという、植物学者でもなければ一生使わなそうな単語が出てきた。普通の会話では、単に「bean XX」と言えばいいようだ。しかし、この時計の場合も「bean clock」と言えば言えるのかもしれないが、いきなりそれを聞いて理解できる人はいないであろうし、厳密には、「豆の形をした置時計」なので、しいて訳せば「a clock in the shape of a bean」とでもなるのだろう。が、ここまで訳すと「豆の時計」で済む簡単明瞭な味わいがすっかり消えてしまう。「インフルエンザ予防接種」では英語に負けるが、「○○の」という、同格を表す「の」という日本語の助詞は、簡潔さと的確さにおいて、英語に比べ、すこぶる偉大である。うーん、いいなあ。

豚インフルエンザの話から始まって、助詞の「の」にまで脱線しました。では。
2009/04/27

子沢山な人

少子化だ、少子化だ、と叫ばれてはいるけれど、今の時代でも、たまに子沢山な人はいる。

私の勤務先に、つい最近、4人目の子が生まれた男性社員がいる。4人目と聞いただけで結構衝撃的だったのだが、さらにその上の子供たちの構成を聞いて驚いたのは、男、男、そして女の子がいることだ。
女性社員の間で、ヒソヒソ話をした。
「普通さぁ、3番目に女の子が生まれたら、ああ、これでいいや、って打ち止めにしない?」
「そうだよねえ、止めるよねえ」
「4人目だよ、4人目。サラリーマンで育てていけるのかねえ」
「奥さんの実家がお金持ちなんじゃない?」
といったおしゃべりばかりで、誰ひとりとして「おめでとう」の一言も言わない。本来なら、祝福すべき話なのに、悲壮感すら漂う始末だ。舛添大臣か小渕優子あたりから表彰状が出そうだが、会社の中でお祝い金を募ったものの、あまり賛同者がいなかった。

私の母は、非常に出血し易い体質で、私の前に兄を産んだとき、途方もない出血を起こし、大量の輸血で辛うじて生き延びた。余談だが、たまにエホバのナントカという邪教の勧誘が来ると、母はいつも「私は輸血していなかったら、とうの昔に死んでいました」と言って追い払っている(いいぞ、母)。そのあとに身ごもった私は私で、なかなか産まれて来ず、過熟児になってしまい、これまた死ぬような思いをして母は産んだ。これによって、我が母は、私が幼稚園児のころから、
「あんたとお兄ちゃんを産んだ時は死にそうになった、死にそうになった」
と、遠慮会釈もなく、出産の大変さと恐ろしさを繰り返し私に吹き込み続けた。私はすっかり縮み上がってしまい、このとき既に、一生涯子供は産むまいという決心を固めたのである。私、わずか5歳。母は、私がまだ出産適齢にあったとき、ごくごくたまーに、私が産まないことをなじったことがあったが、私が産まない理由を説明すると、
「私の育て方が悪かったのね」
と、ポツンと言った。

話がそれたが、今時でも3人4人と産む人は、子供が好きという以外に、我が母と違って、お産が軽いのだろう。しかし、私は、その子供たちがみな小学校高学年から高校生になったときに、1ヵ月に米を何十キロ買うのか、ハンバーグをおかずにするときには、ひき肉をキロ単位で買うのかな、など、つい、下世話な心配ばかりしてしまう。万が一、子供たちがみな、私立の学校に進学したら、塾通いやお稽古ごとをあれこれやりだしたら、などと考えると、今時のサラリーマンが4人も子を持つなんて、すごすぎてついていけない私である。

2009/04/26

I have no green thumb

私には、緑の親指がありません・・・・・
ではなくて、「園芸の才」がありません。

英語のidiomで、「園芸の才」のことを「green thumb」という。草木に一日触っていて、指が緑色に染まってしまうほどになるところから派生した言葉らしいのだが、それはともかく、私は花の類は結構好きなのに、どうにもこうにも園芸の才がない。昔、ハーブを育てようと思いたち、苗を買いに行った。「日当たりの良いところで水を切らさねば育つ」のようなことを書いてあったので、「お、これなら私でも育てられるかも」と思い、買ってきて育ててみたところ、どうも、育つどころか、みんな枯れてしまう。やむなく、園芸の才のある実家に枯れそうな苗を持って行き、
「ね~、これ、私が育てると何回挑戦しても枯れてしまうんだけど、なんとかならない?」
と、預けてきた。しばらくたって見に行くと、枯れそうだったそのハーブは、ジャングルのように育っていた。何でだろう?




上の写真の花は、実家からもらったものである。名前はわからない。小菊のよう、というか、小さめのマーガレットのようだ(名前をご存知でしたら教えてください)。実家で赤いツツジを育てており、赤いつつじの横にこの赤い小菊を置いておいても見栄えがしないので、私にくれたのだ。もうここまで育っており、あとは水さえやればいいらしいので、引き受けることにした。こんなふうに沢山咲いているのが可愛らしい。

とにかく、私には、切花を買ってきて花瓶にさしておく、とか、すでに誰かが育ててくれた植物をもらいうける以外、草花を手元に置いておく手段がないようだ。トホホ。
2009/04/25

剛クンへ

私は、別に、芸能人へ「清廉潔白」なんて求めちゃいない。芸でみんなを楽しませてくれればいいし、それに、そういう方面に長けている人って、往々にして、世間一般の良識などからズレていることも多いし、ズレっぷりが伝説にすらなっている人すら多々いる。それはそれで、私に関係ない限り、聞いていておもしろい。また、「うわさ」ではあるけれど、ジャニーズ事務所に所属する少年タレントは、事務所のトップの方に「掘られる」そうなので(注:「うわさ」どころか、最高裁まで争った結果、そのトップの方の同性愛行為を認め、その方が敗訴した訴訟がある)、最初からそういう、ただれた世界からスタートしてしまうと、世の中を見る目が狂ってしまうのかな、とも思う。

剛クンだって、スターとはいえ、普通の男性だ。色々悩みやストレスがたまっていたのかもしれない。34歳ともなれば、妻や子供がいていい年齢だが、事務所の方針なのか何なのか、デキ婚をした木村クン以外、メンバーでは誰も結婚していない。
男が酔っ払って尻を出したり服を脱いだりなんて、別に、珍しい話でもなんでもない。まあ、大騒ぎして近所の住民に迷惑をかけたかもしれないが、剛クンの弁じゃないけど、裸になって何が悪い、だ。日中の繁華街を素っ裸で歩いていたならまだしも、誰もいない未明の公園だ。それに、裸なら、こちらが見ないでいれば済む話(剛クンの裸と分かれば見ちゃうかもしれないけど)。それなのにわざわざ逮捕して、「容疑者」呼ばわりする必要があったのかなあ。
大騒ぎをして支離滅裂な発言をしていたことと、芸能人であるから、麻薬を疑ったことは明らかだし、自宅の捜索もそのためにしたのだろう。さすがにそれは白だったね。
お詫び記者会見なんかしなくたってよさそうなものなのに。昨日今日ばかりは、無名の大衆である我々は、無名であることのありがたさを悟ったかもしれない。無名人だったら、酔っ払って騒ぎ、裸になっても、一晩、虎箱にぶちこまれ、翌日目が覚めたところで警察官に説教され、放免になるのが関の山だろう。有名税は、痛いねえ。
まあ、今回のことは、天の神様が、
「このまま調子に乗って飲みすぎると、肝臓を壊すぞ」
と警告してくれたものと受け取っておいたらどうかな。また落ち着いたら復帰してくださいね。人間、死ぬまで失敗と間違いを繰り返す生き物なんですから。
しかし、こんなことでNHKのニュースまで大々的に報道するなんて、日本は平和ですね。

2009/04/23

頼り無さそうな官房長官と「池田教」

新聞記事から。


=========================
河村官房長官は22日朝、衆議院の解散・総選挙の時期について、公明党が「東京都議会議員選挙が行われる7月中旬は避けてほしい」と主張していることに配慮すべきとの考えを示した。
河村官房長官は22日朝、都内のホテルで行われた講演で「これ(都議選)が国政選挙と本当に関係あるかどうか。しかし、政権与党を一緒にやっている公明党がそう言うのですから、これを無視はできないだろうな」と述べ、公明党から、都議選周辺での解散・総選挙となった場合は「自民党の応援をする暇はない」と警告を受けていることを明らかにした上で、「無視はできない」とした。(後略)
==========================


この河村というヒトが官房長官になったとき、「何者?誰?」と思った方は多かろう。これといった役職を踏んできたわけでもなさそうなのに、なんでいきなり指名されたのかわからない。4月8日、北朝鮮のミサイル打ち上げに「立派に打ちあがった映像でございました」と発言をし、記者団から失笑を買った御仁である。そして今度はこれだ。公明党にそんなにすりよって、恥ずかしいというか情けないというか。それよりもこの発言が事実だとしたら、公明党こと池田学会は、自民党を、警告、というか、ほとんど脅迫したということだ。麻生さんだって、太田代表に総選挙の時期を7月の都議選からずらすように懇願されたって名言を避けているのに、なんで官房長官が「配慮する」なんて、麻生さんの足元をくずすような発言をするのか。そんなに脅迫されたのか。北側元国土交通大臣は「警告なんかしていない」と否定していたが、その場の雰囲気では、受け取る人の取りようによっては「お願い」にも「警告」にも「脅迫」にも聞こえる。

父方の親戚に、池田学会の狂信的信者の夫婦がいる。選挙の前になると、何年ご無沙汰していても、急に電話をかけてきたり、呼んでもいないのに来たりするので、親戚中から嫌われている。この奥さんのほう、もとは普通の女性だったが、だんなの宗教を原因に反対された結婚を押し切った結果、すっかり洗脳されてしまった。ある選挙前に彼らが私の両親を訪問してきたとき、父が思い切って「オレは共産党だから」と宣言して、やっとこさっとこ電話も訪問もなくなった。

池田学会は、信濃町を置く東京の都議会選挙は、国政と並ぶ重大選挙として、学会員が血眼になって選挙運動をくりひろげるのだという。だから、衆議院選挙がその前後に重なれば、選挙運動が手薄になるから、というのがここ最近の脅迫の理由だそうで、本当にいやらしい。
そもそも池田学会の考え方で根本的にズレているのは、「頼んで回れば投票してくれる」と思い込んでいることだ。選挙の前になると電話がかかってくることが、巷でどれほどジョークのネタにされ、揶揄されているか知らないのであろうか。もちろん、「選挙命」の彼らであるから、選挙となれば運動をしないわけにいかない気持ちもわからないではないが、普通の感覚を持つ人は、「公明党の○○さんに投票して」といわれて単純に投票するほどバカではない。

だいたい、憲法の定める政教分離に反して、なんであんな宗教政党が堂々と与党にいるのか理解できない。いまの麻生政権だったら、池田学会の力を借りずとも、自民党単独で政権を維持できるはずだ。この機運に乗じて、この宗教政党と縁を切ったらどうか。
いつも思うのだが、池田はまだ生きているのか?生きているとしたら何歳だ?電車に乗ると、うんざりするほど池田学会系の雑誌の中吊り広告がぶら下がっており、目をそらす場所を見つけるのが大変なほどだ。みーんな信者からぼりとったカネで出した広告。ご苦労なこった。

2009/04/22

毎日「カジュアルデー」とアイロンかけ

外資系の会社には全然珍しくないが、私の勤務先は、毎日がカジュアルデーである。
つまり、TシャツGパンで出社しても一向に構わないわけで、事実、男女を問わず、そういう身なりで仕事をしている社員が多い。勿論、社長を始めとしたおじさま組や、お客様に会いに行く営業マンはスーツ姿である。しかし、営業マンも、お客様にアポがないときは「これから海に行くの?」というような格好で会社に来る。

私はオバサンなので、いくらカジュアルが許されているとは言え、さすがにGパンTシャツで出勤はできない。スーツこそ着ないけど、丸の内を歩いていても浮いていない程度の格好で通勤している。
とは言え、Gパンで出勤できたらさぞかしラクだろうなあと思うことが多々ある。何より私は、家事の中でもアイロンかけが一番嫌いだからだ。ちょっとはいただけでアイロンをかける手間と煩わしさ。どうせかけたって、着たらまたすぐシワになるに決まっているのに、それに、多少シワが寄っていたって、他人がそんなに気にするわけではないのに。私がシワの寄ったスカートをはいている人を見たって、「あ、あの人、きっと朝の電車で座ったのね」くらいにしか感じない。そして絶対にそれ以上なにも気にならない。だのに、どうして自分の服のアイロンかけは、手が抜けないのだろうか。

夫のワイシャツ(注:これは勿論和製英語で、我が家では結婚当初からbusiness shirtと呼んでいる)のアイロンかけも死ぬほど嫌いだ。結婚当初はクリーニング屋に出していたが、超どケチの父親に育てられたどケチ夫は、クリーニング代を払いたくないので、週末の洗濯のときに他の衣類と一緒に放り込んで洗ってしまう。私が、
「頼むからクリーニング屋に出してよ」
と言っても、
「クリーニング屋に出すと、襟を洗い過ぎるので襟がいたむからいやだ」
という、彼の亡き父親並みの言い訳をいう。私が
「アイロンがけが大変なのよ」
と抵抗したところで聞くようなヤカラではなく、
「それならアイロンなんかかけなくてもいい。シワシワのまま会社に行く」
とほざいた。そんなことさせたら、
「あいつのカミさん、あんなシワシワの服着せてよく平気だな」
なんて言われるのが目に見える。そういうつまらない見栄もあって、さんざん言い合いをした結果、ワイシャツのアイロンかけ1着につき旦那から100円もらうことで決着した。全く、超どケチの父親に育てられたどケチを夫に持つと、こんないさかいばっかりである。
私はつくづく、妻に給料の全額を渡し、そこからいくばくかの「小遣い」とやらを「もらって」(←変な話!自分で稼いだカネなのに)生活している世の男性諸氏が信じられないのである。どうして日本人亭主の奥さんは、亭主のかせぎを全部手中におさめることができるのだろう?

2009/04/21

都合のいい「うつ病」

昔、私がまだ20代半ばくらまで、セクハラなんて言葉は存在しなかった。もちろん、パワハラなんて言葉も概念もなかった。学生の、こと女性の就職面接や環境に関して言えば、時代は確実に良くなってきている。が、あまりに打たれ弱く、叱られるのが下手で、すぐ「パワハラだ」などと主張し、最後は「うつ病」を訴えて休職する若い人の例が、増えてきているのではないか。「うつ」を隠さなくても済むようになった時代の変化は大変良いことだが、安易に「うつ」に逃げている人がいそうで気になるのである。誤解のないように、真のうつ病にかかった患者を非難しているわけではない。念のため。

精神科医の香山リカさんは、「うつ病だと診断されて喜ぶ人はうつ病ではない」と喝破しておられる。また、新聞にこんなネタが載っていたので苦々しく思っていたので、記憶とともに転載するなら、あるところに住む若い女性は、自宅最寄り駅から北に行く電車に乗るとうつ病になってしまうが、南にいく電車には元気に乗れる、という。北には言うまでも無く彼女の勤務先企業があるのだが、北へ行こうとして電車に乗るとふらふらして乗れない、という。精神科医には「うつ病」と診断され、体を動かすためにフィットネスクラブへ通うことが奨励されているそうだが、フィットネスクラブへ行くために南行きの電車に乗るのは何の問題も無くできるのだ、という。なんか、都合よすぎる話だと思うのは、私だけだろうか。

私は、学生時代、本当に悩みの塊だった。いくつもの書物に救いを求めたのだが、出会った中で一番日本人としてしっくり来ると思った精神科の療法は、森田療法であった。
森田療法とは、「あるがままを認める」というのを根本としている。人前でふるえるのも、ふらふらするのも、汗がどっと出るのも、緊張するのも、あるがまま、そのまま認め、ふるえながらでも、ふらふらしながらでも、汗をかきかきでも、こちこちに緊張しながらも、とにかくそのまま逃げずに場に臨め、と説いていた。「書痙」といって、何か書こうとすると、手がふるえて、ミミズのようにのたくった文字しか書けない、という人たちがいる。これも精神的な症状の一種なのだそうだが、しかし、そういう人たちにも、「ふるえながらでもいいから書くこと」と諭す。ふるえながらでも書き続けるうちに、気がついたら普通に書けるようになっているという。人前でミミズのような字しか書けないのを必要以上に恥ずかしがることはなく、「済みません、私は手がふるえる症状なんです。見苦しいですが我慢してくださいますか」と最初に断っておけば、容赦してくれるはずだ。我々は、誰でも完全でない以上、こういう苦悩の過程にある人たちには寛容であらねばならない。

上述の、会社に行く方向の電車に乗るとうつ病になってしまう、という女性も、とりあえず、ラッシュアワーを避けたうえ、ふらふらしながらでも、行けるところまで何度でも乗って見たらどうかな、と思う。真の心の病であれば全くいたしかたないが、心の病を標榜して、ちょっと我慢や努力をすれば克服できることから簡単に逃げているだけの人がいるとしたら、由々しき問題である。上司も、パワハラよばわりを恐れて、若い人を叱るに叱れなくなる。
そして、休職し、結局は退職に至る人たちがどうやって長い人生を送っていけばいいのか、についても、やはり答えは出ていない。実家が裕福であることを祈るしかないのか。

2009/04/20

仕事のできない人は  

非常に根本的な疑問なのだが、仕事ができない人、あるいは、どうしても仕事をするのに向いていない人は、どうやって生きていけばいいのだろうか。
憲法第22条には「職業選択の自由」が謳われ、また、同27条では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とも定められている。つまり、自分に合いそうな職業を選び、義務としても働いて、その結果、同30条に謳われる「納税の義務」も果たすわけである。が、就労に耐える健康な体を持っていても、就労に向いた脳を持っていない人がどうやって生きていけばいいのかは、どの法律を見ても何も書いていない。当然だが、生活保護は、就労に耐える人には支給されない(されていたら怒るぞ)。

私の母の世代では無理ないのだが、私は、子供のころから、母に、
「男は女より偉いんだよ」
「男のバカと女の利口は同じなんだよ」
と言われて育ち、自分がどんなに男の子より成績が良くても、男の子は偉いものだと思って立てていたし、大学を卒業して就職して以降も、かなり長い間その教えにはまったままだった。
私の大学時代は、まだ男女雇用機会均等法なんかなかったから、男子の就職が終了したあとで、穴埋め的に女子に声がかかったが、女子の場合は、成績ややる気云々より、顔のかわいさと現役・自宅通勤が最優先であった。が、当時は「こんなものだろう」と疑問にも何も思わなかった。

就職してからほどなく、質問があって聞きに行ったおじさんから来た回答がどうもはっきりせず、他のパートのおばさんに聞きに行くとすぐ答えが得られるパターンをしばしば経験し、また、しょっちゅう休むおじさん、日の当たらない部署にどんどんたらいまわしにされるおじさんなどを見て、
「おかしいな、女よりもお馬鹿で仕事のできないおじさんが結構いるじゃん」
と、徐々に分かってきたのであった。なんとオクテであったことか。母の呪縛がいかに深かったか、だ。

そういう、仕事のできないおじさんであっても、おじさんだと、なぜか首にはならないし、どんなヒマな部署に異動させられても、転職先がないから、定年までずっとい続けるのであった。そういうおじさんたちにもなぜか必ず専業主婦の妻がいたし、なぜか、おじさんの年齢のわりには幼い子供(40過ぎて作った子供)が3人目ないし4人目にいたりするのも不思議な共通点だった。ああいうおじさんたちの妻は、どこが好きでおじさんと結婚したのだろう。

石原都知事の息子の石原伸晃議員は、日本に終身雇用制があるのは、「中高年の雇用を守るためだ」とおっしゃったそうだが、これはけだし名言である。上述の仕事のできないおじさんたちは、現代に就職せずに済んで、すべからく感謝すべきではなかろうか。彼らが現代に生まれていたら、おそらく非正規雇用のくちしかなく、従って、結婚もかなり無理であったはずだ。
女性であれば、仕事ができなくとも、専業主婦になる、という選択肢が今でもあるけれど、男性の場合には、専業主夫になれる門戸は激しく狭い。仕事のできない女性も救いようがないけれど、仕事のできない男性は、現代社会であっても、それよりもっと悲惨だと思う。

学校時代には、「仕事のやり方」「会社の勤め方」なんて教えてもらえない。どうしても仕事のセンスのない人、ことに男性が、社会に迷惑をかけずに生きていける方法って、ほんと、思い当たらない。

2009/04/18

「ガハハおばさん」に頭が痛い日々

私の部署に、1月から新しい人(女性)が入社してきた。

今の社内にもいないタイプだし、私がこれまで長い人生、一緒に働いてきたさまざまな人たちにもいないタイプだ。はっきりいってあまり真面目な部署のサラリーウーマン向きとは思えないキャラである。
独身だと言っていた。年は見たところ40代後半だ。これまで、自分の資格で、自宅で仕事をしていたが、それでは食べていけなくなったので会社員に復帰することを希望したらしい。応募してきた経路は全くわからない。

入ってきた初日から、変わった人だなあ、と思った。

初日なので、部署の全員でちょっと高いランチを食べに行ったが、一人で話を盛り上げてひとりでガハハ、ガハハと笑っている。あまりにくだけた態度でこちらが拍子抜けした。私がイヤミ半分で、
「随分リラックスしているんですね。もう10年くらい勤めているみたいに見えますよ」
と言うと、ケロっとして、
「ああ、あたし、緊張するってことを知らない人間なので」
と答えた。なるほどね。入社当初は不慣れで緊張する、ということが全くあてはまらない人もこの世にはいるのだ。
翌日からも、ガハハ、ガハハでうるさかった。一人で話をつくって、自分で受けて、一人で手を叩いて笑っているのだ。ほかに誰ひとりとして笑っていないのに、自分で話して自分で受けて自分で笑っている。随分安上がりな人だと思った。
ミーティングの場でもそんな調子だ。長年働いているのだし、他の会社での会社員経験もあるのなら、ビジネスの場ではもうちょっと丁寧な態度と言葉使いであってもいいだろうに、と思うのだが、ミーティング中に「この、クソ忙しい時に」だの、「知らねーよ」だのと、大人の女性が使うとは思われない言葉を乱発しては一人でガハハ、ガハハと笑っている。私は唖然とし、さすがにミーティング後、上長にきつく苦情を申し立てた。ほどなく、彼女には「オヤジ女」というあだ名がつけられた。

定時は、一応9時から5時半になっているのだが、海外からお偉いさんが来ているときか、早朝から会議が予定されている時以外、9時前に来ているのを見たことがない。本人は、5時半より遅くまでいるからいいと思っているらしいが、そうでもないだろうに、と思う。

上長は、彼女を、「この分野の経験が豊富な人」ということで採用をしたのだが、彼女が仕上げた書類を私がチェックすると、ミスタイプはあるわ、文章の前後が合っていないわ、英語になっていないところはあるわ、で、どれだけ直しているかわからない。会社独特の言い回しが違っている、とかいうなら、不慣れなうちはやむを得ないのだが、単に、英語を書いて、文章になっていない部分がやたら目に付くのである。私が
「このseeのあとにthe Productという目的語が来ているんですけど、see the Productsってどういう意味なんですか?」
と聞くと、
「あ、それはsellでした」
などという感じである。私は思わず、「Seeとsellじゃあ、全然違うだろ!書いたら全体を読めよ!」と憤るのだが、当人は気にしないタイプのようで、あっけらか~ん、としている。これで「経験豊富」を売りにされても、いままでどういう仕事をしてきたのか、首をひねってしまう。自分の資格でひとり働いていたときは、誰も書類をチェックしてくれる人はいなかったはずだ。それで果たして仕事になっていたのであろうか?いや、仕事にならなかったから会社員に復帰したと考えるのが妥当だろうなあ。

おまけに、困ったことに、知らないことでも、さも知っているように人に教えてしまうクセまである。最近、新しい派遣社員の人が入ったのだが、彼女が、部署のルールと違うことをしているため、私が「そうじゃないのよ、こうするのよ」と教えると、彼女は「○○さん(オヤジ女)にそう教わりました」という。このときばかりはたまりかねて、私はオヤジ女に注意した。

とにかく、彼女が来てからというものの、日ごろの仕事のときでも、ミーティングでも、一人でガハハ、ガハハと笑ってうるさいし、がさつで軽率な仕事ぶりと態度と言動を存分に発揮されっぱなしなので、私は会社に行くのがいやでたまらないのである。ああ、頭が痛い。