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2009/01/31

柴犬のリキちゃん

うちの近所に、小柄のオスの柴犬を飼っているお宅がある。
私は大の柴犬好きで、昔、その家のおばあさんが散歩に連れていたのころ、あまり他人に話しかけないタチの私が思い切って話しかけ、犬の名前を聞いてみたら「リキです」とのこと。本当に小柄なので、豆柴かと尋ねたら、そうではない、とのことだった。見た目も非常に可愛らしく、ぱっと見ではメスに見えるほどだ。その後、おばあさんとすれ違うと、にっこり目礼を交わすようになった。が、リキちゃん本人(本犬?)は、他人に触られるのが苦手だとのことで、遠くから眺めるにとどめた。

さて、時は流れ、そのおばあさんも亡くなり、今は初老の息子夫婦が1日何度か散歩をしている。その光景を見ると、私は占い代わりに「今日はリキちゃんを見た。ラッキーデー」と思うようにしている。しかし、リキちゃんもすっかり年老いて、体の線ががたがた、体毛もぼさぼさになった。が、顔立ちの可愛らしさが全く変わらないのは見事だ。

ある日のこと、信号待ちをしていたら、むこうからリキちゃんを連れた女性、つまり、亡くなったおばあさんのお嫁さんが来て、偶然にも隣に立った。私はリキちゃんの年齢はだいたい知っているのだが、思い切って「ワンちゃん、おいくつですか?」と尋ねてみた。そうしたら「14歳です」とのこと。え~、そんなトシには見えませんよ、とびっくりしてみせたが、「最近では、おしっこをするにも片足をあげられなくなって」と話してくれた。実際、別のときに、彼女のだんなさんがリキちゃんを散歩しているときに出くわしたが、確かにリキちゃん、4つ足で立ったまま、じょぼじょぼと排尿していた。メス犬だって排尿のときはかがむのに、オスが立ちつくしたまま「じゃー」では、いかにもさまにならない。
誰だって年を取るけど、犬は人間の7倍の速さで老いる。リキちゃんに残された年月も、もうあとわずかだ。自分の飼い犬でもないのに、陰ながらリキちゃんのことを案ずる私である。

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2009/01/30

若いお相撲さん3人

今週の月曜日だった。朝、いつもどおり、東海道線で横浜駅から東京駅の9番線ホームに着いた。電車から降りようとすると、若いお相撲さんが3人、開いたドアのまん前に立っていた。綺麗な着流し姿だった。が、ちょうど彼らの背中に、コンコース行きの大階段がある位置だったので、プラットホームが彼らの体の厚みだけ狭くなり、電車と彼らの間の隙間である歩行スペースが約1メートル50センチくらいになってしまった。そこを縫うように、大勢のサラリーマンたちがドッドッドと階段めがけて突進した。

私は、若いころデブで辛い思いをしていたので、太った人(お相撲さんは見た目ほど体脂肪は多くないとは存じていますが、一応太っていることに)、特に太った男性が大の苦手である。相撲も、進んで見ることはしない。「お相撲さんたち~、ラッシュアワーの東京駅をブロックしないでよ~」と思った。どうせ立つなら、プラットホームの狭いところでなく、もっとほかの場所に立っていて欲しかったなあ、と思う。日ごろ電車で移動する習慣のない人たちだから、そういうところ、気が回らなかったのだな。その前日が「千秋楽」だったので(「千秋楽」程度は知っております)、3人でどこかへ遊びに行くところだったのか。

しかし、皆が職場へ突進する朝のあわただしい時間だったこともあろうけど、誰一人、彼らに話しかけもしないで通り過ぎていったのは東京らしい光景かもしれない。これが大阪で、通り過ぎるのがあの「大阪のおばちゃん」だったとしたら、
「あれ~、兄ちゃんたち、どこの部屋の人?年いくつ?なんていう四股名?親方は誰やねん?これからどこ行くの?ちょっとさわってもええ?」
なんて、積極的に話しかけ、体にべたべたと触るのではないか。これに対し、東京では、見知らぬ人には話しかけないという鉄則がある。キムタクでも歩いていれば別だが、街で芸能人を見かけても話しかけず、遠くからそっと眺めているのがルールと言える。なまじキャーキャー騒いだり話しかけたりするのは、カッペでださい。

朝のラッシュアワーでお相撲さん3人を見ただけで、大阪のおばちゃんにまで話が拡大してしまった。
ではまた。

2009/01/29

2分の1の確率に弱い

なぜだろう。私は2つに1つの選択肢になったとき、大体、はずすようだ。
身近な例が手袋だ。この時期、玄関に何組かの手袋を置いてあり、出掛けに、着ているコートに合いそうな色のものを選ぶのだが、
「これは右側っ!」
と思ってひとつに右手に入れると左手袋だし、
「左側っ!」
と思って左手を入れると右手袋なのだ。皿洗いのときに手にはめるゴム手袋だけは、これを防ぐために、買ってきたらすぐ、左側のひじの近くに「左」と油性ペンで書き入れてしまう。

クイズ番組でもそうで、テレビで
「AとB、さあ、正解はどちらでしょう?」
という場面になると、だいたい私の選んだものはハズレである。あまりに2つに1つの選択に弱いので、
「今度から、自分が正解だと思うものの反対を選ぼう」
と決心し、そのようにしたことがあったが、そうなると、そうして選んだ「本心の反対」は、やっぱり大体間違いなのだ。それで仕方なく、また元通り、本心のとおりの選択に戻すと、それでもやっぱり間違える。
恥をしのんで言うなら、大昔、日本テレビの「ウルトラクイズ」に挑戦したことがあった。しかし、一番最初の「○か×か」の質問で見事に間違え、一度も勝ち抜かず、後楽園を後にしたことがある。私にとって、数学上の「確率50%」は全くあてはまらず、2つに1つの確率は限りなくゼロに近い。何なんだろう。

ちなみに、3択、4択になると強くなる、ということもなさそうなので、念のため書き添えます。

2009/01/28

カッコーの巣の上で

昨日、NHKのBSで「カッコーの巣の上で」を見た。何回目か覚えていないが、とにかく何度も見た上でまた昨日も見た。そして、全く見飽きていないということを改めて悟った。この映画は、私がこれまで見てきた映画の中でもベスト10に入る。
ジャック・ニコルソン。この映画の主人公は彼以外考えにくいと思えるほどのはまり役だ。当時彼は38歳。しかし、この人は、俳優というより「怪優」だなあ。この映画の成功は、脚本や設定もさることながら、彼のすさまじいまでの怪優ぶりにも負うことは疑いあるまい。そして、看護師長役のルイーズ・フレッチャーのもう、憎たらしいこと憎たらしいこと。あの状況で「今日の日程は予定通り続行します」なんて言ったら、私だって絶対にあの女を絞め殺している。ニコルソン扮するマクマーフィーが彼女の首を絞め始めると、画面を見るおそらく誰もが「そうだ、もっとやれ、もっと絞めろ、そんな女は殺せ!」と彼を応援し出す。
結局、彼女は絞殺されるのを間一髪で免れるが、絞殺しようとしたマクマーフィーの方が、病院の(ロボトミー?)手術により廃人と化してしまう。

「カッコーの巣」とは、精神病院を指す隠語だという。さすがにそんなところまでは訳されないが、字幕を見ると、放送禁止用語に触れない配慮だらけだ。例えば、crazyなんてのは、「気XX」とか「気がXう」などではなく、「イッちゃってる」「イカれている」等の俗語をあてていた。しかし、あのニコルソン、というか、マクマーフィーがいかにも言いそうなせりふだから、その面では違和感なかったけれど。

アメリカという国は、よくこんな映画をつくったものだ。こういう底力を持つところは、驚嘆に値する。
精神などに障害を負う方々の現状を見つめたりしようとしても、そのこと自体がさまざまな背景で難しい上、political correctnessを求めて、内容を見る以前に「言葉狩り」に走りやすい現代では、まず今後生まれない作品と言って良いかもしれない。

2009/01/27

歯磨きは食前に(も)

昔は、朝起きたらすぐ、だったが、今の時代、歯をみがくのは、食後に行うのが常識になっている。
が、ある本を読んでから、私はなるべく食前にみがくようになった。

食事をしていくと、3分くらいで、歯垢にひそむ虫歯菌が増殖してくる。これが「食後3分以内に歯をみがけ」と言われるゆえんである。が、ちょっと冷静に考えてみれば、虫歯菌が増えるのを防止するには、「食事を終えてから」3分以内にみがいても既に手遅れなのである。厳密に言えば、食事を2分59秒ごとに中断して歯をみがき、また食事に戻り、また2分59秒ごとに中断して、を繰り返さないとならないわけだが、こんな食事の仕方をする人など世界中探してもいない。よって、食事前に歯垢を除去しておくのが食事中の虫歯菌の増加を抑えるベストな方法なのだ、という。

そういわれればそんな気もしたので、私は、朝食と夕食の前にはできるだけ歯をみがくようにしている。ついでに言えば、食後もみがくので、要は1日5回くらい歯磨きをしている。「歯磨きは食前に」だけでなく、実際は「歯磨きは食前に『も』」というわけだ。私にとりえは少ないが、歯の美しさがほとんど唯一無二の自慢なので、このくらいは頑張らねば。日本人って、歯の美容に対する関心が低いのがホントに残念である。私は、アメリカに行くと、よく「きれいな歯ね。何かしているの?」と聞かれるが、日本でこんなことを言われたことがないなあ。

2009/01/26

図書館に著作権使用料を請求?

こんな発想が出るとは思ってもいなかったが、言われてみたら荒唐無稽ではないような気がしてきた。

知的財産権関係の勉強のため、とある著作権関係の書物を読んだところ、図書館に対し、著作権使用料に相当する料金を請求すべきだという主張があったのである。本来ならば、個々の読者がカネを払って購入することにより、著作権者に入るはずであった印税等の収入を、図書館が広く一般読者に無償にて閲覧させることにより、公然と侵害しており、かくして、図書館に対しては、閲覧者数相当分の著作権使用料を何らかの形で請求すべき、という趣旨である。

我々が図書館で本を借りたり読んだりするのも、実際は住民税(公共図書館の場合)や学費などで間接的に費用負担をしているので、必ずしも無償ではないのだが、仮に自分が物書きを職業とする人間だったら、と思えば、その気持ちも理解できよう。不特定多数に閲覧を許容する図書館という制度では、一体何人の人が各書籍に目を通したかの把握は、通常の貸し出し制度によってはほぼ不可能である。仮にそれを厳密にチェックし、著作権使用料相当分を徴収すべし、などという法律ができたとしたら、何らかの機械に頼らざるを得ないと思うが、そうなると、
「これを使えば読者数が正確にチェックできまっせ」
式の機械を開発して文部科学省あたりに売り込みに行く、あやしげな業者が出てきたりするかもしれない。そして、何よりも、そういう法改正につきものの新規「独立行政法人」ないし「財団法人」と、それに伴う「天下りオヤジ」をこれ以上増やす悪影響、ひらたく言うと「税金のムダ」を極力予防しなければならないので、趣旨には反対ではないものの、ただ同意と法改正を叫ぶのは危なっかしい。おそらく、基本的には、その図書館が購入した本の出版社ごとの冊数×年間入場者の数×一定の指数、といった感じで、個々の出版社に対し使用料を払い、それを出版社が著作権者に割り振る、とかいうイメージになるのでは、と思うが、「一定の指数」をどう決めるのかなどと、考えなければならないことは山積みであるし、やっぱり「天下りオヤジ」や「くだらない法人」が増えそうで、自分で書き始めて頭が痛くなると同時に腹が立ってきたから、この話はこの辺でやめよう。

ところで、著作権に対する概念がアジアより発達していると思われる欧州では、絵画がオークションで購入されるたびに、その画家ないし遺族に、購入代金の所定の割合が支払われる制度があると知った。これは素晴らしい制度ではないか。日本では、画家が売却したときに得られる代金がすべてで、それ以降、誰にいくらで転売されようと、画家や遺族には1円も入ってこないはずだ。図書館の件もさることながら、こちらの改正も考えた方がいいのではないか。(注:既にこのような制度が日本にも導入済みでしたら撤回します)

2009/01/25

ある女性店員

今日、「ポンパドウル」に立ち寄り、パンを買った。
「ポンパドウル」とは、横浜を中心として全国に展開するベーカリーのチェーンである。
そこで、とても背の低い女性店員を見た。140cmなさそうなくらいだった。彼女は、パンを載せたトレイを棚に置いては、あちこちくるくる動いていた。
身長が低いのは、一般に考えると、ポジティブな要素ではないだろう。しかし、彼女の場合、3段ある棚のうち、特に中段から下の棚にトレイを置くのが巧みで、背の高い店員のように腰をかがめる必要もないから、トレイを置いてから次の動作に移るまでが機敏なのである。ポンパドウルは、店ごとに焼き釜を設置し、パン生地作りから焼きまですべてその店内でまかなっているため、どうしても店舗スペースが狭い。そんな店内では、彼女のように身長が低い方がスペースを取らないうえ、棚のパンを選ぶお客様の目線の邪魔もしにくい。狭い店内の通路を通り抜けて懸命に働く彼女が好ましく見えた。この人は、意図してかどうかは分からないが、見事に低身長がメリットになる職場を選んだのである。思わず心の中で声援を送ってしまった。

2009/01/24

血液型占いの撲滅を

韓国や台湾でもその傾向はあるようだが、なんで日本人はこんなに血液型が好きなんだろう。ちょっと親しくなると血液型を聞くのは珍しくないし、Yahooのブログのアバターの下にまで、血液型の表示欄がごく当然かのようにある始末だ。おかしいと思わないのだろうか。
血液型占いというものがあるが、そもそも、血液型に、性格を決める要素など、科学的には認められていない。ABO式の血液型は、30種類ほどある血液型の分類の1種類にしか過ぎないことを考えると、それだけでも、この占いが、いかに非科学的なものかわかるではないか。

私の夫は、日本に来るまで、自分の血液型を知らなかった。私は驚いた。
「日本では、赤ちゃんが生まれるとすぐ血液型を調べるのよ」
と言っても、アメリカでは、一生自分の血液型を知らずに死ぬ人などざらにいる、という。
「そんなことで、交通事故とか、緊急事態になったらどうするの」
と聞いたら、
「それなら、そのときに調べればいいじゃないか」
という。
「日本では、血液型の占いまであるのよ」
と言うと、あきれてモノも言えなくなっていた。
彼の当時の上司はイギリス人だったが、その人も、あまりにも日本人社員から血液型を尋ねられるのに辟易し、ついには「Red(赤です)」と答えるようになった、という。これはいい手段かも。外国人にとって、「血液型は何?」などという日本人の質問は、きっと、「あなたの耳は何型?」「足のツメは何型?」と聞かれるのと同程度の不可解さに違いないのである。
ネット上のいろいろなQ&Aコーナーでも、
「私の好きな人は★型なんですけど、どうやって付き合ったらいいですか」
だの、
「・・・、で、こういうことをする人って、必ず■型なんです。どうして■型ってこうなんですか」
などという、無知ないし、思い込みの著しい質問があとを絶たない。一体全体、どうしてこんな傾向が定着してしまったのだろう。
ある日本人の政治家が、海外に行ったとき、現地で
「私は典型的な▲型人間でして、」
といったスピーチをしたことがあったという。それって、通訳の人は訳したのだろうか。訳したとしたら、そのあと、どれほど「しーん」となったであろうか。ほんと、恥ずかしい。私は、血液型を自分の行動の理由にする人は、絶対に軽蔑する。

にもかかわらず、昨年の図書のベストセラー第一位は、「●型自分の説明書」とかいう、またしても血液型関係の本だった。この困った傾向、なんとかならないものなのか。一部の血液型に対してかなり偏見があると聞くが、ばかばかしいだけでなく、とんでもなく失礼なことである。私は、1日も早い血液型占いの撲滅を祈念してやまない。Yahooほどの大手プロバイダーは、ブログなどに血液型の表示欄をつくるべきではないし、まず我々自身も、他人に血液型を聞く習慣を止めなければならない。私は、自分が血液型を聞かれたときには、
「私は血液型占いを信じていないの。だから誤解されたくないので、言わないよ」
と言い、そこでその人を黙らせるようにしている。

余談だが、私の夫の血液はRh-型である。ちなみに、英語では、Rh「マイナス」ではなく「ネガティブ」というので、ご参考までに。逆はもちろんRh「ポジティブ」である。

2009/01/23

ヒラリー・クリントン国務長官

うちの夫は、基本的に共和党寄りなのだが、それであってもなくてもとにかく、ヒラリーさんが死ぬほど嫌いである。なんでそんなに嫌うのかわからないのだが、とにかくもう、くそみそだ。
「万が一ヒラリーが大統領に選ばれたら、この世の終わりだ」
と常々言っていた。オバマが大統領になったのは、内心悔しくて仕方ないのであるが、少なくともヒラリーが大統領にならなくて救われた、と確信している。
私が、
「ヒラリー国務長官就任おめでとう。ひっひっひ」
と、わざと神経を逆なでするようにおちょくると、夫は
「Hillary as Secretary of State is going to be a fiasco.
Obama only appointed her to weaken her chances of running against him in 2012!」
と不愉快そうに言う。訳しますなら、
「ヒラリーの国務長官指名は大失敗に終わる。オバマがヒラリーを指名したのは、ただただ単に2012年の大統領選挙のときに、また対立候補として出馬するチャンスを(国務長官としての失敗を原因として)弱めるためだ!」
ということだ。
そこまで嫌わなくてもよさそうなものだがなあ。確かにとっつきやすいタイプの女性ではないが、8年間の大統領夫人時代に、相当の外交経験を積んでいるのだし、夫からのインプットも得られようから、外国に関心がある人間がきわめて少ないあのアメリカという国においては、かなり限られた中での人選だと思うのだけれど。

私は、次回でも次々回でもいいから、ライス女史が大統領選挙に立候補してくれないかな、とひそかに思っている。オバマが初の黒人大統領になったとはいえ、彼は、「奴隷の子孫」ではない。だから、長年の貧困や差別に苦しみながら代々アメリカの地に暮らしてきた黒人たちとは、彼自身、どうしても一線を画しているように見える。ライス女史が大統領になったら、奴隷の子孫たる黒人、及び、女性というマイノリティーの要素2点を完全にクリアする。コンピューターのように明晰な頭脳を持った彼女。出馬はまったく考えていない、とコメントしたそうだが、是非再考してくれないかなあ。

2009/01/22

すあま

12月20日に、「小中学生は死ぬほど勉強せよ」という一文を書いた。

その中で、私が長野に転校するまで通っていた松戸市の小学校は、始業式の日は午前中くらいで終わり、「すあま」なんぞをもらって帰って来た、と述べたが、その後に放送された日本テレビの「秘密のケンミンショー」を見て、「すあま」は西日本では全くなじみのない和菓子であることを知った。同番組中の「ヒミツのOSAKA」というコーナーで、道行く大阪の人々に「すあま」を見せて「これは何でしょう?」と聞いても、皆が「かまぼこ」と答えていた。「たれぱんだ」の好物がすあま、と聞いても、西日本の人には理解できなかったそうだ。

私は、横浜から西に住んだのは、新婚の4年間を暮らした京都のみである。当時は「すあま」の有無など関心もなく、というか、日本のどこにでも売っていると思っていたので、スーパーにあったかどうかも覚えていない。同番組によると、この和菓子は、東京は木場が発祥の地だそうで、京都の和菓子を最上とする関西には広がらなかったのだという。

「すあま」は、これである。↓ コンビニで売られているのは大体これだが、白一色、ピンク一色もある。




ちなみに、小学校のお祝いなどでもらう「すあま」だが、厳密に言えば、上の写真のそれではなく、「鶴の子」と言って、白い生地で1個、ピンクの生地で1個が1箱にセットで入っており、引き出物として本当に普通に使われるものだった。形も、平たい楕円形になっており、見た目もなんとなくおめでたかった。




ちょっと和菓子でも食べたいが、あんこが入っていると重く感じるときは、すあまがお勧めである。甘みもさらっとしていて、おいしいよ。西日本の皆さん、ごめんなさいね!