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2008/12/31

派遣の話 つづき

人材派遣は、もともと、特定の26業務に限って認められたものであった。どのような業務かは、ネットで「派遣 26」と検索すれば出てくるので、あえて転記しないけれど、派遣法成立時には、
「労働者は常に正社員になりたがっているものだ。ただ、一定のスキルがある者であれば仕事に困らないであろうから、この26種に限っては、あえて正社員でないことを専門とすることも認める」
という立法趣旨であったと解している。

あまり知られていないが、「特定派遣」という制度もある。ほとんどの派遣は「登録型派遣」で、これは、ご存知のとおり、仕事のあったときだけ就労する形態で、常に仕事があるとは限らない。これに対し、「特定派遣」というのは、仕事の有無にかかわらず、毎月派遣会社からお給料を払われている派遣社員を派遣先に就労させる、という制度である。私も、これについては、以前ちょっと働いていた人材派遣会社に入るまでその存在を知らなかった。この制度は、ほぼ、エンジニアなどの技術者に限られていたが、それほどスキルがあるなら、わざわざ派遣という形態で働かなくともよいのに、と思っていたし、派遣会社の方でも「特定は全然もうからない」とこぼしていたので、この制度が拡大するとは思えない。派遣切りが問題になり始めたころに、「登録型派遣を廃止せよ」という極論を耳にしたが、それはまず無理だ。第一、派遣会社は絶対やっていけなくなる。

この26業務に限定されていた派遣制度が、1999年に原則自由化され、さらには、最後のタブーとされていた製造業への派遣が経済界の強い後押しの結果2004年に解禁されてから、それまでほとんど女性が占めていた派遣労働者の男女比が、簡単に半々くらいになった。解禁後は、様子見で、1年間に限り、そして、2007年3月からは、最長3年間までは製造業でも派遣社員を雇用することが可能となった。3年を超えて、同一ポジションに派遣労働者を使用することはできず、継続して使用する場合は直接雇用をしなければならない、とされている。ただし、常に正社員でなくとも、契約社員、バイト等、直接雇用であればその形態は問わないのであるが、立法者側の、「労働者は常に正社員になりたがっている」という根本理念は、法改正時にも変えられなかったわけだ。が、人の直接雇用を嫌う企業にとっては、雇い止めをする時期が、1年後から3年に延びただけだ。その、2007年3月以降に派遣された労働者の3年の期限を迎える2009年を前にして、金融不安により、かかる派遣の大量解雇が生じてしまったわけだが、3年の期限を迎え、果たしてどれほどの企業が直接雇用に切り替えるものか、あるいは、経済界が立法府に再度働きかけて、5年とか、果ては無期限に派遣期間を延長させるかひそかに注目していたのだが、こういった経済事情により、大量の派遣契約終了という事態に成り代わってしまい、結論を見ることはかなわなくなった。

雇う側も、「派遣は景気の調整弁。いずれ切るのだから」という気持ちなので、高いスキルに到達できる仕事に就かせないから、派遣労働者の側も、いつまでたっても専門的な技術を身に付けることができない。スキルのない状況から脱出できないでいる彼らにも責任がないとは言えないが、30過ぎても40過ぎても月並みな職務経験しかない者、特に男性が、これほど世にあふれた時代はかつて無かったはずだ。
やはり、派遣は、旧26業務のみに戻すか、あるいは、せめて製造業の派遣は全面禁止、ないし、定年以降の人材に限定してはどうかと思う。2007年3月の3年契約可に合わせるように、製造業に従事する派遣労働者による犯罪行為が増加してきたのも偶然ではなかろう。

ところで、彼らには身寄りのない人が多いようで驚く。住処を失って、背に腹は変えられないというのに、帰る実家も、身を寄せる兄弟姉妹親戚宅もないのだろうか。住処を失った派遣労働者に、空いている公営住宅を提供する自治体も現れ始めたが、これほどまでに頼れる親族も友人もない、あるいは何らかの理由で付き合いを断っている状態の者が多いのもいぶかしい。よほどひどい家族であればまだしも、あえてそういう状態の生活を送っている人がいるとしたら、これを機に即、改めるべきだろう。人間、一人では生きていけない。

最近、炊き出しをすると、あっという間になくなるという。スーパーやコンビニ、飲食店では、まだ十分食べられる弁当や食料品を日々大量に廃棄しているが、期間と場所を限定して、それらの食べ物を彼らに拠出するわけにはいかないのだろうか。コンビニ側だって、強盗の被害に遭うよりは良いだろう。

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2008/12/28

美容院が苦手

年末なので(?)美容院に行き、珍しくパーマをかけてきた。今はショートよりちょっと長いくらいだが、数年前まで、髪を伸ばして束ねるシンプルなヘアスタイルをしていた。これが一番お金がかからないので、またそれに戻そうかと思っているのだが、ひとつに束ねられる長さにするまでが、ちょっとまとまらなくて一苦労なのだ。そこでパーマをかけた。多少、まとめやすくはなったと思うが、パーマって高い。手間隙を考えたら仕方ないのかとは思うが、8000円近い金が出た。とほほ。

何歳になっても、美容院に行くのが苦手だ。
どう髪型を変えようと、別に代わり映えのしない顔だから、「今日は、どうしますか」と聞かれても、これといって答えようも無い。さして親しくも無い人と話をするのが好きでないだけに、髪をやってもらっている間、美容師と話をするもの苦手なので、よほどウマが合う美容師でもない限り、週刊誌に没頭している。それに、あまり同じ美容院に通い続けるのもどうか、と思うのだ。なにしろ、3歩あるけば美容院と歯医者とコンビニがある地域に住んでいるので、これほど美容院があるなら、時には違った人にやってもらったら新しい発見でもあるのでは、と思い、行く先を時々変えている。と、いままで通っていた美容院には、(経験は無いけど)浮気をしたような罪悪感を覚え、二度と足が向かなくなる。

美容院が苦手なので、「10分で1575円」という美容院で切ってもらったり、果ては、駅の近くにある「1000円床屋」で切ってもらったこともある。こういうところだと、あっという間に終わるので、美容師ないし理容師と必要以上の話をせずに済むから、気が楽だ。ただし、人により、技術にムラがあるのが難だ。また、人の出入りが激しいのか、しばらく間隔をあけてから行くと、全然見たことのない顔ぶれに変わっていたりする。「前回やってくれた人、いるかな」と思って行っても、再会できる確率はきわめて低い。

今日行った美容院は、美容師の腕前はなかなか良いと思うけど、美容院の内装がいまいち変なのだ。また、アシスタントのお兄ちゃんがシャンプーをしてくれるのだけど、これがまあ、情けないほど下手くそだ。「もっと力を入れてちゃんと洗わんかい!」と喝を入れたくなるほどだけど、そんなこと到底言えるわけないので、黙っている。
かつて行った他の美容院はというと、妻に逃げられたのか、毎日子供2人を連れてきて室内で遊ばせていたおじさん美容師とか、ひどく設備が古い上に、土日でも客が少ないので、広い店内が却ってわびしい美容室の、ヤンキー出身みたいなお兄ちゃん美容師とか、なんか、どこへ行ってもピンと来るところに出会えない。うーん、こんなに沢山の美容院があると選択肢がありすぎる上、もともと美容院に行くこと自体が苦手なので、場所選びに困っている。

夫のように「波平さん」ばりの光頭だと、こんな悩みを持たなくて済むのだけど。でも、全然うらやましくないぞ。

2008/12/27

クリスマス・ケーキ

「日本人は、変なひとたちですねえ」
と夫は笑う。キリスト教国でもないのに、なぜかクリスマスを祝い、クリスマスケーキ売り場の前に行列を作るのを見て、そう言う。
ネットで調べる限りだが、日本のような円形のケーキをクリスマスに食べるのは、どうやら日本だけらしい。夫によると「アメリカにはクリスマスケーキなんかない」そうだ。もっとも、彼はユダヤ系なので、キリスト教に一切関係なく育っているから、知識が不十分なところもあるだろうが。

日本では、クリスマスにはチキンも食べる、というと、夫はまた首をかしげる。ケンタッキーフライドチキンの前には行列もできる、というと、「げー」と腰を抜かす(ちなみに彼はケンタッキーフライドチキンが大嫌い)。
「日本人は、西洋の習慣をなんでもねじまげるんですねえ」
と、夫はあきれたように言う。

とにかく、日本には、海外の宗教的な祭祀を、商魂と結びつけてしまう才覚のある人がいたのは事実で、クリスマスケーキについては、どうやら「不二家」が始めたらしい。そして、2月になれば、日本のチョコレートメーカーの書き入れ時が来る。アメリカでは、男性から愛する女性へ、チョコとは限らず、なにか贈り物をする日なのだそうだ。
日本人の「西洋ねじまげ」をバカにする夫であっても、この「バレンタインデー」のねじまげだけは大歓迎で、
「これだけはアメリカより素晴らしい!」
と絶賛している。そうよね、あちらでは女性から男性にものを送る日なんて無いものね。

2008/12/25

英語名を名乗る中国人(似合わないだろ、って!)

私と同様外資系勤務だけど、私と違ってMBAホルダーである才女、oka*a*omoさんと話が合ったネタです。
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これは、私が京都から東京に戻ってきて、某米国系企業の日本支社に勤め始めて間もないころのこと。
台湾支社とメールし始めて気がついたのだが、台湾の社員の名前が、やたらVicky WuだのJimmy Tanだのといった「ガイジン名」ばかりなのである。それが初めて勤務したの外資系企業だった私は、台湾人だと、陳XX、周XXといった名前を名乗るものだとばかり思っていたので、私はてっきり、それらの人たちは、アメリカ本土出身で、本社から派遣されている中国系アメリカ人だと思い込もうとしていた。が、どうにも変だと思ったのは、そういった英語名の人たちに、お客様へ出す英文レターの内容を吟味してもらうために送ったところ、
「私らもnative English speakerではないから100%わからないけど」
と言ってきたときだった。しばらくして、外資系企業に勤める台湾人が、そういった英語名を会社で名乗るのはよくあることだと聞いて、無知だった私はのけぞってしまった。ついこの前までイギリス人だった香港人なら、中国名と英語名の両方を持つのはわかる。しかし、イギリス国籍でもなんでもない台湾人までが、かっこつけて英語名を名乗らなくてもいいではないか。おまけに、そういう人たちの中には、
「私は親に、私が会社ではMariaだという名前なことは教えていないの。だから、親から会社に電話がかかってきても、Mariaって言わないでね」
などと言い含めたりしていると聞いた。何なんだ?そうまでして会社で偽名を使うか?何アメリカかぶれしてるんだろう、と虫唾が走った。

まもなく、台湾だけでなく、中国本土の社員でも、会社で英語名を使う例がざらになってきた。ある日、北京のオフィスから日本に短期訪問してきた中国人社員がいたので、名刺を交換したら、漢字で印刷されている面には、「黄○○」という氏名が印刷されていたものの(補足:ちなみに、中国や韓国では、黄はファンと読みます)、裏面を見たら、なんとなんと、「Colin Huang」と印刷されているではないか。こーゆーのが大嫌いな私は、思わず
「Gee! Why are you Colin?(え~!何でコリンなの?)」
聞いてしまった。すると、彼の返答では、北京の学校の英語の先生(あちらでは米国人を招聘して英語の先生をしてもらっていたそうだ)が、英語の授業のとき、学生に、RobertとかKateとか、英語のニックネームをつけて呼ぶので、多くの学生は、それ以降もそのままその英語名を使うのだそうだ。しつこいようだが、そういうのが大嫌いな私は、意地悪くも、
「Strange! Very strange!(変!すっごく変!)」
と叫んでしまった。すると、その中国人のColin君というか黄君は、当惑したような表情で
「Don’t you do the same in Japan?(日本人も、こういう名前を使わないの?)」
と聞いてきたので、私は思いっきり
「NEVER!!!!!!! We always use our Japanese names wherever in the world!!!(絶対にありえない!日本人は世界中どこにいても生まれながらの日本名を使うのよ!)」
と声を張り上げてしまった。今思うと、黄君に悪かったけど、でも、私はそういうのとっても嫌いなの。ゴメンね、黄君。とにかく日本人はそういうアメリカかぶれの猿マネはしないのよ、わかってね。
黄君の説明によると、中国人が英語名を使うのは他にもいくつか理由があるそうで、自分で勝手に好きな名前をつけたり、海外留学したときに現地のホストファミリーにつけてもらったものを継続して使う場合もあるそうだ。なにしろ、中国人は姓が短い。みんな姓は漢字1文字で、発音しても当然短く、区別がつきにくい。おまけに、中国人の下の名前は、外国人にはきわめて発音が難しいため、英語名をつけて呼ぶのは、先生が生徒の名前を発音できないことによる救済措置という意味合いでもあるそうだ。しかし、我々のようなこんな平板なアジア顔に対して、先生はどうやってPaulだのElizabethだのという名前をつけられるのか、理解に苦しまないでもない。私のように、世界中どこの空港の入国管理でも「Japanese?」と聞かれるほどの古典的な日本人顔に、VictoriaだのChristineだのという名前が付けられたら、あまりに合わなくて蕁麻疹が出るぞ。

それからしばらくたったある日、香港から数名の女性たちが出張してきた。中に一人、妙に太って、容貌が不自由なオバサンがいた(ゴメン)。ちょっと高そうな服がぜい肉パツパツで、どうにも似合わなかった。さて、その香港人のオバサン、自己紹介をした。
「ハロー。私はダイアナよ。」
ダイアナ・・・・・ その場にいたみんな、凍り付いてしまった。

2008/12/23

カレンダーが来ない

毎年、今の時期になると、会社へ山のように届けられる取引先のカレンダーが、今年は激減している。

毎年、ダンボール箱に入れ「ご自由にどうぞ」と置いておいても、余って捨てていた企業カレンダー。それが、今年は、キャビネットの上にかろうじて3本ほど置かれている程度だ。

昨日、私が昔勤めていたA社の友人に会い、彼女からそのA社製2009年カレンダーをもらったが、彼女も「今年は、お客さんのカレンダーが全然こないね」。そして、そのなつかしのA社のカレンダーも、今年はなんだか印刷も地味だし、デザインもごく安上がり、プロのモデルの起用をやめ、代わりに社員を使っていた。
カレンダー制作をやめると、それで年末食べていた中小の印刷業者は、どれほど苦しいだろう。こんな年末が来ようとは、誰も思っていなかった2008年の年の瀬。

2008/12/22

宗教感覚


昔々、京都で新婚4年間を過ごしていた頃。
とにかく京都ではガイジンが珍しいものらしく、しかも、ガイジンだと必ず英語の先生だと決めてかかっていたので、「ご主人はどこで教えてはるんですか?」と何度尋ねられたかわからない。会社員です、と答えると、彼らはびっくりしていた。とにかく京都人は視野が狭かった。
もう一つよく聞かれて、「問題ありだなあ」と思ったのが、「お二人は教会で結婚しはったんですか?」という質問。しかし、当の私自身も、外国人と結婚していなかったら、こういう質問を、国際結婚カップルに対し、安直にしていたかもしれない、と思う。とにかく、このページを読んでくださる方には、外人だからといって、安易に「教会で結婚したのか」と聞かないように、ということを、ちょっと頭の片隅にいれておいくださるようお願いしたい。

「問題あり」と思ったのは、別に、私らが、婚姻届だけ出して結婚式を挙げていないせいではない。外人イコール教会という安易さ、そして、悪気もなにもないのは百も承知だけれど、宗教感覚の無さが、時として、信心深い外人を憤慨させかねないからだ。
私の夫はユダヤ系アメリカ人である。16歳のとき、ユダヤ教には大タブーの「チーズハンバーガー」を食べて以来、すっかり「たが」が外れ、無宗教化してしまった彼であるが、であっても、キリスト教とはかかわりのない世界で育ってきたので、ハロウィーンも、その「Trick or treat?」なんてのも、イースターも全く知らない。町中クリスマス一色に染まる12月になると「毎年、アメリカ国外に逃げたくなった」という。本質的に、キリスト教は嫌いらしい。
とにかく、どの宗教を信仰しているのかはプライベートな問題だし、日本人が、外人、特に白人を見て、短絡的に「キリスト教信者だろう」と思ったり、教会で結婚したのかと尋ねるのは、いかにもインセンシティブな印象を与えるので、是非やめてほしいと思っている。結婚式のことを尋ねたいのなら、あっさり「どちらで結婚されたのですか」と聞けば、あたりさわりがない。必ずしも「教会で」ばかり結婚式が行われるわけではない。
ついでに、いまの季節に関係した話だと、外人だからと言って、「メリー・クリスマス」と話しかけるのも私はどうかと思っている。日本人は、向こうからそう言われるのを待ってからの方が無難だろう。

私は特定の宗教を持たないが、縁あってこういう人と結婚したので、キリスト教およびイスラム教の祖でもあるユダヤ教の習慣はできるだけ理解しようと思っている。
ユダヤ人は、クリスマスは祝わないけれど、毎年、ちょうどクリスマスのころにかぶるタイミングで、「ハヌカ」という、1日分の灯油が8日間燃えたという故事にちなんだ静かな祭りを行う。通常使う7本立てのろうそく台「メノーラ」とは違い、この時期だけ、9本立ての「ハヌキア」というろうそく台を用い(上の写真)、1日1本ずつろうそくを立ててこれを祝う。今年は、イブの今日21日から28日までがハヌカである。西暦とユダヤ暦にはズレがあるので、毎年カレンダーを見てチェックしなければ、その年のハヌカがいつか分からない。
ロウのあと始末が大変なので、私は、ろうそくは立てるだけど燃やさない。とにかく、ハヌカもどきをする私を見て、無宗教化した夫はまた「へんな日本人ですねえ」と言うのだけど。

蛇足:京都を去り、東京に戻ってくると、上記の「英語の先生?」「教会で?」という質問をする人はほぼ皆無である。やっぱり東京人はさばけているなあ。

2008/12/20

小中学生は死ぬほど勉強すべし - 長野の思い出

ある朝、電車の中で、人の読んでいた新聞を覗いたら、小中学校(だったかな)で使用する教科書をもっと厚くする方向へ、などと出ていた。遅きに失した感じだ。私らの子供のころとは違い、今は土曜日も休みなうえ、薄い教科書で「ゆとり教育」なんぞして、本当にちゃんと必要な勉強しているのかどうか、まことに疑わしい。天然資源のない日本の唯一の資源が人的資源である。将来の人的資源を、そんな低レベルに育ててしまって良いわけがない。

私は、小学校3年生まで、東京から江戸川を1本またいだ松戸市で育った。3年を終えて、父が長野へ転勤になったので、4年生から、長野の小学校へ行った。転校して面食らったのは、そのあまりにもクソ真面目な県民性で、私の東京風のおふざけとか、はめはずしが皆目通用せず、私はクラスの中で浮きまくっていた。が、そのうち、朱に交われば、ではないけれど、私もどんどんクソ真面目になっていき、長じて東京へ出てきたときに、まったく東京流になじめなくなっていたという過去を持つ。

長野は、教育県として名高いとおり、とにかく勉強する県だった。それまでいた小学校では、新年度の学期は大体、4月の7日ごろから始まるものだったが、長野は、きっかり4月1日から始まったのだ。まずそれに我が家一同ぶったまげた。また、松戸では、新年度の初日は、1年生の入学式と、新年度を祝う校長先生の話などがあって、そのあと新しい教室に行き、明日から使われる教科書を配ってもらったあと、和菓子の「すあま」などをもらい、午前中で帰宅したものだった。それが、長野ときたら、入学式と校長先生の話と教科書を配られるところまでは同じだったが、新入生以外は、配られた教科書で、4月1日の3時間目くらいから6時間目まで、早速勉強だったのだ。すあまなんぞ無かったのは言うまでもない。

もっと驚いたのが夏休みで、東京では7月の20日くらいから8月31日まで、ほぼ丸々40日あったが、長野に行ったら、8月の1日から18日くらいしかなかったのだ。それでも、終業式のときには、校長先生が
「みなさん、明日から、長い、長-い夏休みに入ります」
なんで挨拶したものだから、あいた口がふさがらなかった。クラスのみんなに、
「東京では普通夏休みは40日くらいあるんだよ」
と言っても、誰一人信じてくれなかった。
「長野は冬寒いから、冬休みは長いんでしょう?」なんて聞く人もいるが、そんなことは絶対ない。12月25日くらいが終業式で、1月の初めの月曜日くらいに3学期が始まるから、東京と全く変わらない。

今でも長野には、「中間休み」と「寒中休み」という制度が残っているのだろうか。これは昔、農家ばかりだったころの名残で、田植えの5月のとき、それから稲刈りの9月のときに、3日くらい休日が与えられるのだ。といっても、土日にくっつけて休み、夏休みや冬休みと同様、てんこ盛りで宿題が出たから、全然ありがたくもなんともなかった。寒中休みも、寒さ厳しい2月ころに、3日くらい休むものだが、これはたぶん、暖房費の節約が目的だったのではないか、と見る。これも土日にくっついていたし、宿題がてんこ盛りで出るのも全く同じだったので、子供ながら「中間も寒中も、いったい何が休みじゃ」と腹が立った記憶がある。
春は春で、3月25日までびっしり勉強したから、春休みなんて1週間もなかった。ちょっと休んだだけで、すぐ4月1日の新学期が来た。

なぜ長野だけが、あんなにも桁外れに通学日数が多かったのだろう。学習の日数は、県の教育委員会で自由に裁量が利くものなのだろうか。

通学日数が多かっただけでなく、長野では、先生方も熱心だったので、私らは死ぬほど勉強した。そうしないと、ついて行けなかったのも事実である。勉強の苦手な子供たちには住み辛い県だっただろうが、私は、今でも、この長野時代に鍛えられた学力が人生のベースになっている。少なくとも、松戸にいたら、あれほど勉強するはずもなく、従って、長野に転校していなければ、私は今よりもっとおバカになっていたことは間違いない。それを考えると、おそろしくもなる。

かくして、私の結論は、子供は鼻血が出るほど勉強しなければいけない、ということである。一番伸びる時期、覚える時期に、「ゆとり」なんぞ与えていてはいけないのである。

2008/12/17

派遣会社、派遣労働者

ワーキングプアが深刻な社会問題化するにつれて、派遣という労働形態の是非が問われている。

私は、短い期間ではあったが、東京都内の某派遣会社の本社の正社員として働いたことがある。
夫の都合で京都に住んでいたその昔、東京と違って仕事がない土地柄で、やむなく、派遣労働者として働いた経験もある。東京に帰ってきてから何年もたったのち、奇遇にも、その派遣会社の本社社員として内勤の仕事を担当することにもなった。よって、派遣業界を、外からも中からもかじっている。女性社員が圧倒的に多いというイメージのある派遣労働者も、実際は男女比はほぼ同じだということもその会社で知った。男性が多くなってきたのは、日雇い派遣や工場などの製造に従事する人が増えたからである。

派遣という制度を原則全面的に禁止にする、というのは無理がある。単に、派遣の需要が多いだけでなく、世の中には、「組織に縛られたくない」「子供がいるので10時から4時で」「3ヶ月ごとに海外に行きたい」、などの個人的な希望を優先するため、あえて、フルタイム正社員やパートではなく、派遣で働く人も多いのである。そういう人たちにはまさにうってつけの就労形態といえる。特殊な技能を持っているので時給単価が高い人(同時通訳など)は、一般のフルタイム正社員くらいの年収は軽く稼ぐであろうし、自宅でできる特技(筆耕、翻訳など)を持っていれば、家庭との両立もしやすい。また、夫がきちんと稼いでくれる主婦が、家計の補助的に仕事をするには、スキルをなまらせないためにも最適であろう。

雇用主の立場からいっても、「明日1日だけ」といったド短期から、産休、育休、介護休業要員といったある程度の期間の欠員を埋めるには非常にすぐれた制度であるし、正式な採用手続きや社会保険加入手続きの必要も無く、あとくされもない。よくよく気に入れば正社員として雇用することもできるし、反対に、気に入らなければ、期間の更新をしなければ簡単に切れる。この簡便さゆえ、かつては、特定の専門分野(ポジティブリスト)に限って認められていた派遣が、産業界の強い要望に押される形で、原則、ある例外(港湾労働、警備、建設、医療の特定の部分で、ネガティブリストと称される)を除けば、どんな業種でも派遣可能なようになってしまった。

ワーキングプアの問題が発生しだしたのも、おそらくそのころからだろうと思う。要は、かつては、高度な専門スキルを持った人が短期間腕を発揮する制度だったのに、人件費が安く、切ったり増やしたりが簡単な労働者を、派遣会社を通じて簡単に調達する制度へ様変わりしたわけだ。
現在、社会で働く人の3分の1は派遣、バイトなどの非正規雇用だ、という。

秋葉原の25歳の男は自動車工場に勤める派遣社員、八王子の33歳の男は、犯行時には試用期間中の正社員だったものの、高校には1日も行かずに退学し、その後は職を転々としたという。
安定した正社員の職業に就けないから道をはずれるのか、はたまた、道を外れるような人間だから安定した職につけないのか。にわとりと卵でどちらともいえない。
しかし・・・・それらの殺人犯の話はさておき、かつて派遣会社の正社員として勤務した経験からすると、言っては悪いが、派遣スタッフには、全然使えない人、箸にも棒にもかからない人、救いようの無い人も思いのほか多かった。
なんと、東大法学部卒の登録スタッフもいたが、これまた使えない人で、仕事の依頼が来ないものだから、ときどき「何で私には仕事が来ないのか」と文句の電話があったけど、いくら学歴が高くても、仕事ができるかどうかは全く別の問題だということを実証したような人だった。また、なまじ東大卒だと、派遣などではかえってうとんじられる、とも言える。ネットでの相談でも、「うちに来ている派遣社員が働かないので(または、使えないので)困っている」という相談を時々見かける。派遣会社に対する批判も多いが、そういう、まともに就職の面接に行っても絶対採用されないタイプの人たちに、わずかでも就労の機会を与えてやっている、という功績は認められてもいいのではないか。

・・・・・・・・

ここまでお読みになって、アレ?昨日今日のニュースと比べて何かズレてるな、と思われたかもしれない。実は、上は、今年の8月に書きためておいた文章である。
それから4ヶ月以内に、金融不況が起こり、工場の作業員などをしていた派遣労働者が続々契約を打ち切られ、次の仕事も住まいのあてもなく、この寒空にホームレス化する事態に至るとまでは、想像もできなかった。
今日、35歳になる元派遣労働者が、コンビニ強盗で逮捕されたというニュースが出ていた。最近は食べ物もなく、水だけで過ごしており、所持金はわずか9円だったという。

2008/12/15

皇居・東御苑周辺

今日の東京は、と~~ってもいいお天気でした。
昼休み、ちょっと出歩いて写真を撮りました。

「篤姫」を毎週見ていたわけでもないけど、下の写真は、篤姫が江戸城にお輿入れしたときに通っていった、平川門です。皇居の東側にあります。




近くから撮った平川門です。篤姫は、何人のお付きと、何台の輿とともにここを渡ったのでしょうか。




月曜日と金曜日以外は、皇居東御苑が一般に公開されています。無料ですし、デートコースにもお勧めです。今日は月曜日だったので、入り口は閉じられていました。




ビルの上から、馬場も取りました。平川門の左側、木に囲まれている向こうには、皇宮警察が管理している馬の運動をさせる馬場があり、1日に何回もパカパカ運動をするお馬さんたちが木と木の間から眺められ、とっても風雅です。皇居のお馬さんたちについては、以前も一度書きましたが。





馬場とお堀のむこうには、丸の内のビル郡が見えます。
一番横広のビルは、三井物産の本社ビルです。




内堀通りをはさんで、平川門の反対側に位置する場所に、いま、丸紅の本社があります。
その辺から、三井物産ビルのあたりまでの広大な土地は、かつて、一橋徳川家の領地でした。
丸紅の横に、こんな碑が建っています。




最後に、篤姫には関係ないのですが、↓は、日本武道館の屋根です。工事中のビルにさえぎられて、屋根しか見えなくてごめんなさい。
昔、「屋根の上に~光るタマネギ~」ってな歌がありましたね。玉葱、見えますか?



2008/12/13

天皇陛下のご不例(2)

11日(木)に行われた宮内庁の発表によると、天皇陛下は、雅子さまの適応障害に関しても「皇室そのものがストレスであり、ご病気の原因ではないか」などの論調があることに深く傷つかれた、との説明だった。つまり、報道側に非を向けている。

この論調に首をひねったのは私だけではあるまい。そもそも、「皇室そのものがストレスの原因」と診断したのは、東宮妃の医師である。東宮妃は公人中の公人であるからして、国民には、当然に、正しい診断結果を公表しなければならない。それがあいにく、両陛下を落胆される内容であっても、事実は事実である。だから、報道自体にはなんらの責任もない。問題は、東宮妃の存在そのものである。

これまで、外部から皇室に嫁いで、これほどまでに皇室になじめずにいる妃は、後にも先にも東宮妃一人である。別に「ハーバード大卒」でも「キャリアウーマン」でなくとも、ごく普通の家のお嬢様だった紀子妃は、嫁いでから、出産を含め、きちんと皇室妃としての責務を果たされている。嫁いでしばらくの重圧は大変なものだったと思うが、「適応障害」になったという話は聞かない。かたや、東宮妃は、適応障害と発表されてから5年もたつのに、「ご病状は着実に快復されている」という宮内庁の答弁はすっかり聞き古されてしまったにもかかわらず、いまだ「ご体調に波が」あり、公務もドタキャンされるような状況が続く。ところが、私的なお出かけになると妙にお元気になるので、国民は、はっきり言って、東宮妃に信頼を寄せられないのである。これならば、きちんとした家庭をいとなみ、後継の男児をお持ちの秋篠宮家に次期皇位を継がせたほうがよほど安心だ。ついでに言わせていただくと、今の東宮では、あまりにお背が低すぎて、海外に出ると、周囲に埋もれてしまうので、見ていて辛い。秋篠宮殿下なら、その点の心配もない。
廃太子という制度は、皇室典範第3条を読む限り、不可能ではなさそうだが、実際の運用はまず不可能に近そうだから、妃の病気を理由に、東宮本人からの申し出という形にして決着するのが最も無難であろう。

今日の新聞を読んだら、東宮夫妻が、上記の声明を出された天皇陛下に対し、「謝意を示された」との記事が出ていた。私はてっきり、「謝罪の意」かと思ったが、よくよく読むと、「感謝の意」を示された、という内容だった。50歳近い、本当なら働き盛りの夫婦が、70も半ばになる両親に多大な負担をかけっぱなしなことに「謝罪」をしたのだと思ったけれど、そうではなく、「そういう配慮を示してくださった陛下に感謝の意を表した」のだそうだ。いい年をなさって、どこまで甘えているのかと思う。こんな夫婦が次期天皇皇后では、両陛下もそれは心配でたまらないだろう。自分達そのものが両陛下の憂慮の最大の原因であることを、お二人は理解されているのだろうか。

東宮も、「全力でお守りします」とプロポーズなさったのが裏目に出たのか、はたまた本来のご自身のご性格なのか、妃のなさることにただただ黙っているのが優しさだと、はき違えておられるように見える。私ども国民は「ひきこもり皇后」など見たくない。両陛下もあと何十年もご存命ではないというのに、彼ら、特に、東宮の自覚の薄さたるや、どういうことなのだろう。

東宮夫妻が、夫婦として自然でないと思う瞬間を度々見てきたが、中でひとつ、東宮が十二指腸のポリープ手術を受けられたときのコメントがある。東宮は、退院後のインタビューで「マサコが毎日見舞いに来てくれて嬉しかった」と述べられたが、この言葉には、うすら寒さすら感じた。夫婦だったら見舞いに行くのは当たり前だし、ましてや、妃は公務をしていないのだから、時間はたっぷりある。それなのに、50歳近い男が、わざわざマスコミにむけて、「妻が見舞いに来てくれて嬉しかった」などと言うだろうか。東宮の場合は、妃に「言わされている」か、「そう口に出して言わなければならない状況」にあると睨んだ。東宮は、口を開けばマサコ、アイコだが、両陛下のことと国民のことは、果たしてどのくらいお考えになっておられるのだろうか。