FC2ブログ
2008/08/28

マニュアルどおりの挨拶は逆効果

海外旅行に行くときは、HISでチケットを買っている。
それはいいのだが、この会社のマニュアルで定められているのだろうけど、用事を終わって店を出るとき、店員たちは、必ず現在形で
「ありがとうございまーす」
と言うのである。いかにも紋切り型で、全然心がこもっていないし、正直、この言葉を聞くのが大っ嫌いである。
客は、用事を終わって出ていくのだから、過去形で
「ありがとうございました」
と言ってくれたほうがよほど自然だ。だが、この会社の方針で、きっと、過去形で言うと、もう縁が終わってしまうとかいった印象を与えかねない、とかなんとかいう理由で、絶対に現在形の「ありがとうございます」を言うようにしつけているのが見て取れる。でも、キモいんだよなあ。不自然だし、本当にマニュアルどおりに言わされているという感じで、逆効果だぞ、HIS。何年も前からずーっともんもんとしていたが、こういう苦情を言うのもナンなので我慢している。

もう一つ、嫌いな挨拶をする店舗がある。ブックオフである。
どの支店に入っても、店員全員が、
「いらっしゃいませこんにちは」
「いらっしゃいませこんばんは」
を数分に1回の割で連呼するのだ。ったく、うるさいの一言に尽きる。6時過ぎたらこんばんはと言え、というふうにマニュアルで決まっているようだが、私は「いらっしゃいませ」と「こんばんは」は全く違う挨拶だと思っているのに、この店舗ではすべて、この2語を必ず連結して使う。本やCDを棚に詰めながら、あるいは、レジに立ちながら、とにかく、念仏のように、「いらっしゃいませこんにちは」と叫び続ける。勿論、客の顔を見ながら言っているわけではないので、心は全然こもっていない。これなら言わないほうがよっぽどスマートだし、言わされている感じが非常にいやで、あたかも「早く出て行け」と言われているような気すらする。
もう一度言うが、客への挨拶は、その人の顔を見ながら、心を込めていうべきで、マニュアルどおりにシャウトすればいい、というものではないぞ。なんとかしてくれ、HISとブックオフ。

スポンサーサイト



2008/08/27

農水大臣って鬼門なのか

農林水産大臣、って、鬼門なのかなあ。
松岡さんは自殺してしまったし、その後に就任した赤城さんたるや、到底東大卒とは思われぬほど答弁も言い訳もお粗末だった。
そしてあの、「集団レイプをするやつは元気があっていい」という素晴らしい発言をした太田さん。
このオヤジ、顔もなんだか「悪代官」みたいに見える。
今このオヤジが声を大にして言いたいけど言えないことって、きっと、
「事務所経費の水増しくらい、誰だってやっている」
あるいは
「このくらいのことをして何が悪い?」
ってとこかな。

2008/08/24

ハンズは何でも売っている


今日は、小雨もよう。
買い物があって、地元横浜の東急ハンズに行った。
そこへ行って、ふっと、折りたたみ傘の先についている、編み込みの「ひも」というか「輪っか」というかストラップが、昨日見たら急になくなっていたのを思い出したので、1階の傘売り場へ行ってみたけれど、ストラップだけでは売っていなかった。同じく1階に相談カウンターがあるので、その女性に聞いてみたら、彼女も電話で問い合わせをしてくれ、結局、4階のAの傘修理用品コーナーにある、ということが判明した。早速、4階のAへ行き、ゲットしたのが写真のこれ。わずか120円也。帰宅して、折りたたみ傘の先につけてほっと一安心した。

本当に、ハンズには何でも売っている。部品系で、「ありません」と言われた記憶がない。
うちのアメリカ人ダンナなど、ハンズを「この世で一番好きな場所」と豪語し、熱愛している。
1日中いても飽きないんだとか。ハンズの中で一番大きい渋谷に行こうものなら、入り浸りまくっては、何か発掘したものを買ってくる。
アメリカには、こんなにきめ細やかな品揃えをしている店ってないんだろうか。
日本人として、ちょっとうれしい。
もうハンズのない町には住めないなあ。

2008/08/23

ハゲよりもイヤなもの

前記事の続き。

髪の毛が少なくなって悪戦苦闘しておられる方々には申し訳ないのだが、私は、ハゲよりも「カツラ」が大嫌いである。
ああいうのをつけてごまかそうとする気持ちが好きではない。
病気などで不幸にして髪を失った方々がカツラでおぎなうのは大賛成なのだが、普通の男性が自然にはげたあとでカツラをつけるのが、どうもいただけないのである。
白人の若ハゲさんたちは、ある程度進むと、思い切って剃ってしまう人が多い。
剃るのが必ずしも良い案とは言わないまでも、ま、わずかながら残してバーコードにしたりするより潔いかな、と思う。

カツラは、不自然だから、絶対わかる。生え際が不自然だし、トシのわりに髪がこんもりしていたり、髪質がちょっと異なっていたり、長さが年中一定していたり、髪の毛の途中で段々になっているので、つけていると絶対にわかる。私など、ハゲと結婚したおかげで、町を歩いていても、カツラの男性に非常に目ざとくなってしまった。
「プロピア」という、従来の「かぶるカツラ」とは違い、はりつける形の「ヘアコンタクト」という製品のCMを見たときは、「おおー、私の特技のカツラ発見を裏切るくらいの特殊技術が登場したか?」と思ったけれど、この会社、先月、民事再生法を適用し、事実上倒産してしまった。ま、営業は続けているらしいが、「無理して髪があるふりをしなくてもいいんですよ」と天がおっしゃったように感じた。

すてきなハゲさんたち=
ショーン・コネリー
ユル・ブリナー(この人は役の上で剃ったのがあまりに評判よくて、以来亡くなるまで剃り続けたらしい)
チェイニー副大統領

ちなみに、私の夫は、
「Bald is beautiful(ハゲは美しい)」
と言葉をスローガンにして開き直っている。よしよし。

2008/08/20

白人はハゲやすい

昨日、「白人は毛根が弱い」と書いた。
もうちょっとはっきり言うと、白人はハゲが多い。
私が見てきた限りでは、白人男性の50%超は確実に若くしてハゲる気がする。どうしてなんだろう。髪が細くて、いわゆる「猫っ毛」なせいかな。私は都心で働いているので、よく白人サラリーマンを見かけるが、やはりハゲが目に付く。
私が夫と知り合った当時、彼の毛髪は既にさびしさを増している状態だった。私はハゲも出腹も全然好きじゃなかったけど、お互いの地味な家柄も共通していたし、彼がなぜか我が家の人間のキャラクターに似通っていた縁もあって、結婚するに至った。

今、Ri-upという、ミノキシジルを配合した育毛剤が日本でも普通に売られているけれど、夫は、1980年代後半からこれをアメリカで使っていた。アメリカでは、「Rogaine(ロゲイン)」という商標名なのだが、なんと、これは、当時、医者の処方箋がないと買えない商品であった。しかも、小さいスプレー式ボトルに入っただけで、1本50ドルもした。さらに滑稽なことに、彼の医師は、処方はしてくれるものの、処方箋を切るたびに、「あまり期待しないでくれ」と念を押していた、というのである(ひっひっひ・・・可笑しい)。
医師の念押しは的確で、夫は、少なからぬ金を費やしたにもかかわらず、せめてもの抵抗は全くの無駄に終わり、今は、頭頂部はほとんど地肌のみとなっている。一緒に出歩くときには、大体帽子をかぶってもらっている。

ハゲ用カツラの広告は、日本のほうがダントツに多い。日本もアメリカに負けないくらいハゲさんが多いけれど、アメリカよりもハゲを気にする人が多いってことか。白人がメジャーな国なら、ハゲるのはもう当たり前のことなので、達観してしまえるけれど、日本はハゲを嫌う人が多いからなあ。
ハゲの皆さんには悪いが、私もやっぱり、ハゲは不得手で、男性の髪の毛は年齢相応にあって欲しいと思っている。そんな私がハゲの夫を持っているということは、天罰か皮肉か。

2008/08/18

女性アスリートを支える夫たち

土佐選手、昨日のマラソンは残念、というより、悲惨だった。
あそこまでのひどい足の状態を隠して(隠さざるを得ない何かがあったのか?)レースに臨むなど、こう申してはなんだが、自殺行為と呼ぶに等しいのではないか。
大本命といわれた野口みずき選手が怪我で欠場せざるを得なかった裏に、男子をもしのぐ猛練習があったようだ。日本人はまじめだから、代表となると死ぬほど練習するが、練習のし過ぎで体をいためては、元も子もないのではないか。

さて、土佐選手といい、最近は、結婚しても競技を継続する女性選手が増えているのはいい傾向だ。
ヤラワちゃん、マーラ・ヤマウチ選手、バレーボールの杉山選手など。少し前まで、結婚イコールリタイアだったのに、隔世の感がある。
これらの選手には、妻の夢のために夫婦別居をしている場合もある。それでも妻の夢のために、妻を支えてやっているだんなさんたち、すてきだなあ。
選手としての寿命が限られているため、別居もそう延々と続くわけではなく、高齢出産が当たり前になっている昨今、引退後に出産しても遅すぎない。また、今回の女子マラソンの金、銀メダリストは両方ともママさんだ。出産後もなお挑み続けるなんて、大変なことだろうが、すばらしい。心から拍手を送りたい。
そして、彼女らのだんなさんたちにも、同じくらい拍手を送りたい。

ひるがえって・・・・
私の会社の同僚に、やはり国際結婚をしている女性がいるが、彼女も私と同じように感じていることには、「白人は毛根が弱い」ことはさておき、ちょっとしたものごとも頼めない、という悩みがある。
簡単な書類の記載も、会社や銀行、役所その他、もろもろへの届出も、不動産屋さんその他、交渉ごとが必要な当事者らとの交渉も、
「こういうときは男が出て行ってガツーンと言ってほしいのに~~!」
と歯噛みしながら、全部妻がやらねばならない。
その同僚の場合は、私と違って子どもが2人いるため、PTAや幼稚園の会合のたびに、半日か1日の休暇を取って出席せねばならない。時給で働く身で、かつ、夫が自宅で比較的時間が自由になる仕事をしているにもかかわらず、である。
姑や小姑からのイジワルから逃れていられる、異国の文化に容易に接していられる、英語で何と言うか教えてもらえる、などのメリットもあるけれど、私らは正直言って「夫を支えっぱなし」である。私は彼女ほどではないかもしれないが、どうも赤字気味だ、と思う。あんなに妻を支えてくれるだんなさんたちがウラヤマシイ、と思う(ここだけの話。夫はこんなブログ読めないから、安心して書いちゃうぞ)。

2008/08/15

今日は8月15日、会社の近くで

今日は8月15日。相変わらず暑い1日だった。

私は、盆休みを取る習慣がない。
田舎がないし、家にいても暑いので、8月は休まず涼しいオフィスに出勤する。

私の勤務先は、皇居のお堀端にある。
昼休み、ランチを食べに神保町方面に向かったところ、警察の車(なんという固有名詞なんだろうか。機動隊員が集団で乗る、金網でぐるぐる囲まれた大型移動車両)が何台も何台も、神保町の交差点に停まっているのを見てギョっとした。そして、その先には、拡声器を使った叫び声が響いていた。
そのエリアには、小学館、集英社、岩波書店など、大手出版社の本社が軒を並べている。
イヤでも聞こえてきてしまうので、ちょっと耳をかたむけてやったら、どこかの出版社に向かって、「ミギ」の方の方々が、
「靖国神社を解体せよ、とは、何事じゃ!ばかもの!」
など、抗議行動をしているらしいことがわかった。どうやら、標的としている出版社が、そういう記事を何かに掲載したらしい。

・・・よくないよ。やめなさいって。
こういうことは、単なる「暴力行為」であって、他人の共感を得るどころかその正反対でることが、わからない年でもないだろうに。
出版社に対する抗議行動であれば、きちんと言論で行うなり、不買運動を広げるなり、合法的に。
あんな行動を取られては、英霊たちも喜ばないと思うよ。

今日、こんな当たり前のことを、いまごろふっと思った。
戦争の「被害者」とされる国には「100%被害者だけしかいない」ということはありえず、また、その逆も真で、「加害者」とされる国にも「100%加害者だけしかいない」ということもないんだ、ということ。
攻め入った先で、現地の人に殺された人も多々いるだろうし、また、加害者とされる国であっても、夫が戦死した結果残された妻や子たちは「被害者」といえる。
そもそも、「戦勝国」だからといって「正」の立場に立ち、「敗戦国」を「罪人」「被告」として裁く権利がどこにあったのか、未だにわからない。勝てば、何万人殺していても正当化される理由はない。しかし、我が夫は、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下を、
「あれは、日本に戦争を止めさせるために行われた正当な行為だった」
と主張する。夫以外のアメリカ人に聞いても、全員口を合わせてそう答える。
あれだけ、州単位で教育制度がバラバラな国なのに、この1点に対する口裏の合わせ方というか統一的な教育の仕方は見事なものだ(ヒニク)。

そうではあっても、今日は60年を超える昔に思いをはせる日。
戦争を知らずに済んでいるいま、五輪という場で世界中が堂々闘っている。なんと幸せなこと。

2008/08/14

国際化社会に加われない日本 ③「謙遜」は、もうやめよう

私は、「自分や身内を低くおとしめて言う」という、日本古来の「謙遜の美徳」は、もういい加減、改めたほうがいい時代だと思う。

かつてはよく妻や息子のことを「愚妻」「愚息」などと称した。身内をあえてあえておとしめて表現することで、相対性理論により、相手方の地位が上がる。「いいお子さんをお持ちですねえ」とほめられても、テレ笑いなどしながら「いやー、そうでもないんですよ。成績は悪いし、悪ガキでどうしようもないんで」などと否定するのが常で、間違っても「はい、そうです、本当に自慢の子です」などとは決して言わないのがマナーだ。心の中では「お宅の子供とは比べ物にならないほどうちの子はいい」と思っていたとしても、おくびにも出してはならない。

身内を悪く言う習慣で、私はかつて、どえらい失敗をしたことがある。
その昔、夫の上司(イギリス人)とその奥さん(ドイツ人)およびわれら夫婦(アメリカ人+日本人)の4人で食事をしていたときがあった。何がきっかけでそういう話になったのか覚えていないが、私が夫の性格について、
「この人は神経質で困っちゃうんですよね」
と言ったことがあった。本当にそのとおりで困っていたし、日本人同士だったら、夫婦が相手方のことを「○○で困ってしまう」などというのは珍しくない。「ははは」などと笑って済ませたりもする。しかし、私がそう言った瞬間、その場の雰囲気が凍りついた。ドイツ人の奥さんが、しどろもどろに「I don't think so....」ととりつくろってくれたものの、一度かたまってしまった雰囲気がほぐれるのには、だいぶ時間がかかった。
そのあと、帰り道すがら、夫に「なんであんなことを言ったんだ!」とどやしつけられた。

小学校のころから考えてみても、クラス会議では、あそこが悪い、ここが駄目だといった指摘ばかりしで、良い点をほめあった記憶があまりない。幼い頃から自分や身内をくさし、たとえ実力があっても、人前ではとりあえず「未熟なので」「いえいえ、私の能力ではとてもとても」などと、演技であったとしても引き下がる。誰かに贈り物を差し出す際には「つまらないものですが」と言い添える。
北島康介君は大変貴重な例外として、日本人が国際的な場に出ると、どうも100%の本領を発揮できないように見える。私は、こういう、自分を低める「謙遜の美徳」がほんの少しであっても原因として存在しているような気がしてならない。小さいころから謙遜して育ってきた人間が、その習慣のない国の人らと競争すると、こと、西洋人に対する体格の不利を別としても、どうしてもぎこちなく、のびのびしていないように見える。

英語では「I am proud of XX (my son, my daughter, my wifeなど)」という表現はきわめて普通に使われるが、日本語では間違っても「私は息子を誇りに思います」なんて言わないだろう。しいて和訳をつけるとしたら、「息子はよくやっている(よく頑張った)と思います」といったところが日本人的には自然かな。英語にも「つまらないものですが」に近い、「This is something small for you」なんていうのがあるけれど、私としては「Hope you like it」、日本語でも「気に入ってくれるといいんだけど」と言うから、こちらのほうを言うようにしている。

日本人は、身内も、「鼻に付かない程度」にほめよう。決して「愚息」「愚妻」「だめなXX」などといわず、その他、くさす表現は、それが仮に真実に近いことであっても、聞いているほうは気持ちのよいものではないし、言われる身になればうれしくも楽しくもない。だから、もうやめよう。そういう習慣はいい加減終わらせていい。

2008/08/13

国際化社会に加われない日本 ②8月15日はつつましく過ごそう

小泉前首相が、8月15日に靖国神社に参拝に行ったのは2006年のことだった。
今調べてみて、あれからわずか2年しか経過していないのかと、少々驚いた。
その間にひとり、別の総理大臣が就任し辞任しているのだったな。

国のために犠牲になった、おびただしい数の命と、その貴重な犠牲の上に今日の日本が存在していることを、1年に1度はしっかり考える義務を我々の誰もが負っている、と思う。
かくして、戦没者を悼むのは、一国の首相であろうとなかろうと、人間として当然の行為であるし、あえて言うならば、首相ならなおのことであってほしい。

それにしても、首相や国会議員が靖国に行く行かないを、どうしてマスコミはこうも大げさに報道するのであろうか。ヘリコプターまで飛ばして、首相の車両を追跡し、レポートする。これではあたかも、韓国や中国に
「首相が靖国に行きますよ、さあ~、見てください、見てください。こんなことをしていますよ」
と、思いっきりあおっているようなものではないか。なんでそんなに中韓におもねるような態度を取るのか。参拝くらい、好きなときに静かにさせてやったらどうなんだ。
「参拝者の心情に鑑み、報道を控える」、ないしは、「さらっとしか報道しない」という態度は、およそマスコミには望むべくもないのだろうか。

ちなみに、私は、日本人の犠牲者とあわせ、日本軍の犠牲となったアジア諸国の犠牲者も悼んでいる。
もうすぐその日がくる。ちなみに、韓国オフィスから、
「8月15日は独立記念日につき祝日で休みます」
というメールが今日入った。

2008/08/10

国際化社会に加われない日本 ①国旗を崇拝しないよう教える教師がいる

私が、中国や韓国(最近の竹島問題のときもそうだった)の日本に対する抗議行動のうちで最も腹立たしいシーンは、彼らが日章旗を焼くことである。
こういうシーンを見て激怒しない日本人がいたら許さない。
かつ、抗議しない日本人も許せない。
日本人は、直情型の彼らに比べて性質がおとなしすぎるくらいおとなしいので、仮に中国や韓国に対する抗議行動を起こしたとしても、彼らの国旗を焼くまでのおろかなマネはしない。日本人のおひとよしぶりには、しばしば歯噛みするところだが、他国の国旗を焼いたり大使館に投石、投物(卵など)をしない等、品の良さを失わない点には、日本側に一日どころか百日の長がある。

アメリカでは、野球の試合の前にかならず、選手観客とも全員起立し、国歌の斉唱を行う。選手は帽子をとって胸にあてたり、観客も右手を胸にあてたりして聞いている。国歌のメロディーの美しさとあいまって、たとえようもなくじーんとする光景である。野球だけではなく、その他の競技でも国歌斉唱をしているのではないかな。もちろん、スポーツだけではなく、大統領が何かの儀式の際に、夫人とともに胸に手をあてて国歌に聞き入るシーンはおなじみだ。米国国歌「The Star-Spangled Banner」(1841年)は、メロディーは美しいものの、歌詞の内容ときたらかなり激しいもので、戦争のさなかであっても、星と縞をたたえてはためく旗を賛美するものとなっている。

革命のさなかの1792年に名もなき兵士により一夜にして作られたというフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞もすさまじい。作成された状況が状況だけに、歌詞が子供に歌わせるには激しすぎるとして、国歌の変更をという動きもあるようだが(Wikipediaより)、まだ実現していない。フランス人が誇りとする美しい歴史があるから、おそらく変えないだろう。

ひるがえって、私は日本に生まれ育ちながら、国歌や国旗を尊敬するようにという教育を受けた覚えがない。国歌を歌うときには起立するように指導された覚えもないし、日本人として誇りを持つように教育された記憶もない。
すこしネットを検索してみた。日付は古いのだが、1999年に時の日教組の委員長、戸田恒美氏による「非日の丸・君が代法制化反対」というサイトにでくわし、その内容の錯誤ぶりに唖然呆然とした。いまもおそらく考え方に差異はないであろうと思うので、わずかながら引用させていただくが、法制化に反対する理由として、過去に侵略戦争などのシンボルとして使用されていたこと、日章旗の元で戦争に送られたこと、そして、思想信条の問題となること等をあげている。
詭弁としかいいよいうがない。
過去にいかに血塗られた歴史があろうと、他国を侵略した歴史があろうと、それは日本国の二千年余の歴史のうちの一部であり、その一部をもって全否定をすべきではなく、また、そういった過ちを含めて国旗というものが存在すること、さらに、二度と戦争を起こしてはならないことを教えるのが教員ではないのか。もし戦争で血塗られた歴史を持つ国旗がすべて「悪」ならば、現在の世界各国のうち、百年前と同じ国旗を使用できる国はぐっと減ってしまうに違いない。
思想信条の問題についていうなら、笑止千万である、私が尊敬する作家の曽野綾子さんも、国旗を見て、あるいは、国歌を斉唱するとき(ないし国歌が流れてきたときに)起立しない日本人をたびたびその著作の中で憂えておられる。そういうしつけを過去60年以上に渡って行っていない教育の貧しさを嘆いておられる。
国旗国歌を敬うことは、思想信条の問題などではないはずだ。簡単に言えば「礼節」である。もしどうしても日章旗や君が代が嫌いなのであれば、それはそれで仕方ないから、その代わり、「公務員」および「教職員」にならなければいい。ほかに職場はいくらでもある(アサヒ新聞社など)。

自国に誇りを持つように教えない教育は、腰砕け日本人を作るだけだ。