FC2ブログ
2008/07/31

「GHTI」って何て読む?

書いたとおりに読まないことが多い、英語という言語。

さて、「GHTI」は、書いたとおりに読めばよい英語なのでラクでしょ。
何と読むかおわかりでしょうか?
「グチ」ではありません。

正解:これは「FISH」と読みます。

なぜか。

"Enough"という語がある。「gh」は「f」の発音。
"Nation"という語がある。「ti」は「sh」という発音。

以上でございます。
明日のランチは「焼きGHTI」定食でもいかがですか。

スポンサーサイト



2008/07/30

尼さんお助けの一件

昔話をひとつ。

大手町にある、某法律事務所に履歴書を出していた私は、面接の日を迎え、東京駅を降りた。
いつも早めに家を私としたことが、面接時間まであまり余裕がない状態だった。
てくてく目的の事務所をめざしていると、ある外国人の老尼(シスター)と目が合った。
普通、日本人なら、外国人に道を聞かれるのを避けるか、逃げてしまうのだろうけど、あいにく私にはそういう習慣が無い。
その尼さんは、たどたどしい日本語で、私に
「ココワァ、オオテマチデスカァ?」
と聞いてきた。私は瞬間的に、この人は入国管理局に行きたいのだろうと思い、聞いてみたら、そのとおりだった。
今では、東京の入国管理局は、品川のはずれのちょっと不便なところにあるが、当時は、大手町の合同庁舎のひとつにあった。
私は、道端に立っている地図を指差し、入国管理局への行き方を教えてやった(勿論英語で)。
交差点を2つ行って、この角を左に曲がって、等々と。
そうこうするうちに、面接の時間が迫ってきた。
まずい。
焦った私は、日本に不慣れそうなその尼さんを置いて走り出した。
すると、尼さんは
「Excuse me, excuse me!」
と、必死にすがりついてきた。
面接に遅れそうな私は困りつつも、宗教関係者を邪険にしたらバチでもあたるかと思い、改めて行き方を教え、また走りだそうとした。それでも、その尼さんはなお、
「Excuse me, excuse me」
あ~~~、面接に遅れるぅぅぅぅ!

結局、私はその法律事務所の面接に合格し、そこを皮切りに、キャリアが開けていった。
尼さんを助けたおかげだ、とは言わないまでも。
あのお年を召した尼さん、その後、どうしたかしらん。
ふっと思い出して書いてみた過去の思い出である。

2008/07/28

ひとことで言えない英語(不便)

英語だと簡単にひとことで言えても日本語ではそう行かない言葉もあると思う。
が、今日は、日本語では簡単にひとことで言えるのに英語では言えない場合を少し。

「あさって」
「おととい」
「再来年」
「おととし」

それぞれ、
the day after tomorrow = 明日の翌日
the day before yesterday = 昨日の前の日
year after next = 来年の次の年
year before last = 去年の前の年

などと言う。
とにかく、必ず3、4語必要なのだ。
わずらわしいなあ。

「悔しい」
「なつかしい」
なども英語では非常に言いにくい言葉だ。私の夫も、これらの感情はそのまま日本語で
「ナーツカシですねえ」
などと言う。

英語民族が悔しさを感じないとか、何かをなつかしがらないということはないはずだ。
ただ、それを一つの特色ある独立した感情として切り取って表現しないだけではないか、と思っている。

「立ち読み」「立ち小便」という言葉を、来日してまもないころ夫はひどく面白がった。英語話者は、日本人ほどそれらを単独の行為として切り取る価値を見出さなかったようだ。むろん、英語話者も本屋に行けば「立ち読み」をしているし、非常時には「立ち小便」もするだろう。しかし、それら専用の英語表現はない。前者には「browse」という訳語があてられるようだが、それは日本人の想像する「立ち読み」を特定する語ではなく「ぶらぶら見て回る」「ひやかして歩く」なども意味もある。「インターネットのウエブページを見て回ること」という意味に至っては、「立ち読み」にはほど遠い。
「立ち小便、って英語で何て言うの?」と夫に聞いても、「うーん、stand and pee、かなあ」などと言う。「面白くないねえ」と私が言うと、「うん、面白くない」と認めた。

日本語は、ちょっと楽しい。(けど、びろうな会話ですみません)

2008/07/27

世界最短のエスカレーター



大きなBook Offと大きな100円ショップがあるので、たまに、川崎駅東口の「モアーズ」に行く。
写真は、そこにあるギネス認定済み「世界最短エスカレーター」。
高低差わずか83.4cm。
せいぜい6段くらいしか表面に出ていない。
歩いて上り下りしたほうがよほど速そうな気もする・・・

2008/07/26

こういう男らの心理が理解できない

秋葉原の25歳の男といい、今回起きた八王子の33歳の男といい、
「仕事がうまくいかない」
「世の中がいやになった」
というのは、まだ理解できる。いろいろ同情すべき過去があったかもしれない。それは追って公判にて弁護人が陳述するだろう。しかし、
「だから人を殺そうと思った。誰でもよかった」
という結論に至る、その流れがどうしても理解できない。

なぜ「人を殺す」のか。なぜ「誰でもいい」のか。
見知らぬ無辜の人を殺すことで何か解決されるのか。
それが正当な行為だと思ってやっているのか。
女にはどうしても理解できない。

女性がそういう状況になると、行動は内に向かいやすい。
自殺したり、子供のある人だと、子供を残していくのを哀れみ、子連れで、というパターンもある。
別に、自殺したり子連れで云々を正当化しているわけでは断じてない。誤解なきように。
ただ、少なくとも、女性には「世の中がいやになったから、見知らぬ他人を殺める」という発想がまず無いのだ。

普通に生きている男性諸氏にも理解できない心理かもしれないが、最近の若い男性にこういう事件が散見されるにつけ、世の若い男性の間には、「人を殺すことは何があっても許されない」というごく当たり前の原則が緩んでいるおそれが感じられる。おちおち外を歩けないような日本になって欲しくはないものだ。

2008/07/23

皇居のお馬さんたち


私は競馬のケの字も知らないのだが、ユキチャンというメスの白い競走馬にだけ興味をもったことは以前書いた。(http://blogs.yahoo.co.jp/mymomomi/22293427.html)

さて、白馬といえば、皇居にすくなくとも2頭飼われているのを私は見ている。

http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-01.html
上記の宮内庁のサイトにもあるとおり、海外から新たに大使が日本に着任すると、天皇陛下へ信任状を奉呈するために皇居へ参内することになっているのだが、参内の際には、車よりも馬車を希望する大使が多いのだという。確かに、馬車のほうが風雅である。
少し前までは、馬車は東京駅の丸の内側(赤レンガ)から出て皇居との間を往復していたはずだが、赤レンガは今、2011年まで修復工事に入っているので、馬車を停めるスペースが無い。なので、お堀端の明治生命館から出ているようだ。

さて、添付の写真は、私が昨年丸ビルにある某オフィスに臨時で働いていたとき、なんとも幸いなことに、その最終勤務日に撮れた馬車の列である。ここでの仕事を辞める前になんとか実物を見ておきたいと思っていたところ、たまたまどこかの国から大使が着任したらしく、実にラッキーだった。丸ビル最上階に近いオフィスだったので、天皇陛下に不敬だと思うくらい宮殿も見えてしまう高さだったのだ。

本当に豆つぶのようにしか見えなくて申し訳ないのだが、皇居坂下門を出、外苑を経て、行幸通りにさしかからんとしているこの馬車ご一行のうち、先頭から3頭目の先導馬と、馬車の真後ろを歩く馬が白馬なのである。内堀通りの車がこのご一行のために全部ストップさせられている光景も貴重だ。

私の現在の勤務先は、丸ビルから1kmほど離れてはいるものの、やはり皇居に面したビルの中にある。このビルから、皇居東御苑にある馬場が見下ろせるのだ。あのとき丸ビルから見下ろした白い馬も、栗毛の馬も、みんな1日数回、パカパカと運動しているのが眺められる。
税金で養われている、高貴なお馬様たちだ。宮中に使われる税金については、私はある皇族一人の移動に異様なほどの警備が敷かれていたのを目撃して以来、納税者の一人として納得できないのであるが、こういう風雅なシステムは維持していただきたいものだと思っている。

2008/07/22

ボランティア活動

私の夫はニューヨーク出身で、今でも親族の多くがクイーンズ区やブルックリン区などに住んでいる。
ある年、その1軒を訪問したとき、その家の中学生の女の子、シェリルちゃんが、髪を長く伸ばして束ねていた。髪を伸ばしたくなる年頃なんだろう、と思っていたら、さにあらず。
これは立派なボランティア活動なのだと知った。
ガンの治療などで、髪の毛を失ってしまった人たちに、かつらを作ってもらうよう、かなりの長さに伸びたら、切ってプレゼントするのだという。
これは、お金もかからず、子供にもできて、実に良いボランティアだと思った。
アメリカの子供たちは、こうして、小さいころから、何かしらボランティア活動にかかわるよう言われて育つことが多いのかな。元大統領という肩書きの方でも、ボランティア活動をしておられるし。

私の場合は、ボランティア活動というものに直接従事してはいないが、自分が興味のある慈善団体と、それから、過去に大地震にいくつか遭遇してきた経験から、地震があると、日本赤十字にお金を振り込むようにしている。本当にわずかで申し訳ないくらいなのだが。

2008/07/21

大分県教員採用試験

巷を騒がせている大分県の教員採用1次試験が20日に終わったそうだ。
今年以降合格して採用される先生たちは、
「私は平成20年の採用試験組です」
などと、合格年度を堂々主張して教職に就くことができる。本人もさることながら、保護者たちも子供たちも安心だろう。

しかし・・・
大分県だけの話じゃないだろうな。
私が昔住んでいた県でも、先生の子供って、なぜかその多くが先生になっていた。
都会ほど就職先の多くない田舎では、先生になる倍率が、軽く10倍を超えたりするのに。
いい先生もたくさんいたけど、中には、なんでこんな変な人が先生をやっているんだ、というような御仁もいた。
根っから子供が嫌いな先生、子供の心理が読めない先生、すぐどなる先生、教え方がむちゃくちゃな先生、等々。

大分県の受験者たちも「8回目です」「12回目です」なんてインタビューに答えている人が幾人もいた。
あの中には、本当は既に合格していたはずなのに、賄賂組に押し出されてしまった人が少なからずいたのだろうか。
「今年からは公平な採用試験になるので嬉しいです」
と話していた人がいたのが印象的だった。

2008/07/20

奇妙なスイカが4つ





横浜駅前の有名果物店のショウウインドウに陳列されているお高いスイカ様たち。
いくら贈答用とはいえ、ねえ・・・
誰か買う人いるのかな。

黄色=太陽すいか 参考品(価格表示ナシ)
たわら形=ゴジラの卵 10,000円
四角すいか=20,000円
ピラミッドすいか =50,000円(ひえ~)

2008/07/19

野茂投手、よくやった!本当にお疲れ様でした

野茂投手が、ついに引退を表明した。

彼が日本のプロ野球界に与えた影響は計り知れない。彼がいなかったら、イチロー、ダブル松井をはじめとして、こんなにも多くの日本人選手がメジャーリーグへは渡っていなかっただろう。日本人は南米、北米の選手に比べて、肉体的にハンデがあると思われていたが、技術的にすぐれていれば、なんらメジャーリーグの中心選手に劣ることなく活躍できることを、彼は、そして彼に続いた選手達は証明してみせた。
野茂投手がメジャーリーグを目指した当時、マスコミの野茂評は全く好意的なものではなかったと記憶している。また、当時(1994年)は大リーグが「スト」をやっており、渡米しようにもなかなかビザが取得できなかったはずだし、さらに、やっと渡米できたあとでも、最初の数試合はなかなか勝ち星に恵まれなかった。野茂のスタートについては、根気強く彼を使ってくださったラソーダ監督に預かるところが大きい。であっても、年俸も近鉄次代の10分の1以下になるなど、最初から障壁が多かったのに、なお粘り強くメジャーリーグに挑み続けた精神のタフさには頭が下がる。

自慢じゃないが、私は、イチローと野茂の初対決を、セーフコフィールドでナマで見た(余談だが、観客席の私の姿がNHKのBSに写ってしまったことを帰国後会社の人から聞き、ビデオを借りて確認、たは)。私の写真の日付によると2001年5月5日になっているが、ネットで調べたら5月2日、らしい(なぜだ?)。とにかく、野茂は当時ボストン・レッドソックスに在籍しており、イチローとの初対決をむかえた。結果・・・

背中にデッドボール!(注:これは和製英語です)

イチローが「痛ってえ~~~~」と、大口をあけて天をあおぎ、もんどり打って苦しんでいた光景が目にうかぶ。翌日のシアトルタイムスのスポーツ欄の表紙も、そのときのイチローの写真だった。

あれからもう7年もたったんだな。

野茂さん、ほんとうに球史に残る素晴らしい野球人でした。今後もあらたな道で活躍してくれることを祈ります。あなたが1998年9月18日にロッキーズ相手にノーヒットノーラン(これも和製英語)を達成したときに報知新聞が出した号外、私はまだ持っています。今後もずっと持っています。