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2008/06/30

産経新聞月曜版

産経新聞って朝読毎に比べればメジャーではないかもしれないが、私は月曜日だけ買っている。
ちなみに同紙には夕刊はない。「買う」といったらイコール朝刊である。

月曜日には、私が好きな作家の曾野綾子さんのエッセイが載っているのだ。
彼女のものの見方は、ときには「あれ?」と首をひねることもあるし、ときには宗教色(彼女はキリスト教徒)を強く感じることもあるが、卓見が多い。彼女の著作で最も多く繰り返して読んだのは「人びとの中の私」である(集英社文庫)。

さて、もう一つの楽しみは、1面の「ひなちゃんの日常」という漫画である。
この作者の方自身、このくらいの幼児をお持ちなのだろうか。
ひなちゃん、察するところ、2、3歳くらいの女の子なのだが、こういう童女のあどけなさ、純朴さ、素直さ、そして、大人の目から見てクスっと笑えるようなしぐさやカタコトの物言いを、実にうまく描いていて、読むたびに心がほっこりなごむ。
ちなみに、この作品は、日本漫画家協会賞大賞受賞を受賞したそうな。やっぱり、見ている人は見ているんだなあ。

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2008/06/27

餃子とビール(ご飯は不要)

餃子とビールって、この世の最高の組み合わせの一つだと思う。

結婚したばかりのころ、ある週末の日の晩御飯に、餃子を作ったところ、アメリカ人の夫が腰を抜かさんばかりに驚いた。
「え~~~?餃子って、家で作れるの~~~?」
アジア系移民を除き、アメリカ人は、中華料理になじみはあっても、それはつまり、外食で食べるものか、あるいは、せいぜい冷凍食品を買っておき、チンして食べるものであり、自分で作るという概念がないらしい。まあ、無理も無い話ではあるが、その点、日本の主婦を考えてみると、和食はもちろん。中華料理もしょっちゅう作るし、パスタやピザといったイタリアンやら、フランス料理「もどき」を作るのも珍しくないので、世界的に見ても、料理のバラエティーが広いことはちょっと自慢していいのではないか、と思う。
それからしばらくの間は、毎週土曜日の夕飯が「餃子とビール」になった。山のような餃子を作り、二人であきれるほど食べた。

さて、「ビール片手に餃子」と言ったら、あるとき、ある人に、
「ご飯は食べないんですか?」
と驚かれたことがあった。
餃子を「ご飯のおかず」として食べるものだと思っている人、案外いるのだな、と思った。
私の実家では、私が子供のときから、餃子は餃子だけで食べていた。子供だったので、お供は水とか麦茶。
あるとき、親戚の男の子が遊びに来たので、母は餃子を沢山作って出した。私ら家族がいつもどおり、餃子だけでバクバク食べ始めたところ、その子はびっくりして、「ご飯が欲しい」と私の母に頼んだ。そのとき、我が実家にご飯の用意があったのかどうか、記憶が無い。

炭水化物をおかずにしてご飯を食べる、というのは、どうしても(文字通り)いただけない。
餃子の場合は、皮が炭水化物なので、これがご飯の代わり。だから、ご飯を食べたら、炭水化物過剰になる。
これと似たようなケースでは、焼きそばのときにご飯を食べる人がいるのが、どうしても理解できない。
昔勤めていた職場で、お昼ご飯に、コンビニで買って来た焼きそばとおにぎりを交互に食べている人がいた。
私と、私の隣にいた女性は、おせっかいな話ではあるが、その人に
「何で焼きそばとおにぎりを一緒に食べているの?」
と聞いたら、聞かれた彼女は、なぜそのような質問が成立するのかが分からず、顔中「?」マークにしていた。
聞けば、彼女の実家では、焼きそばというと、必ずご飯も炊いて一緒に食べるのがあたり前の組み合わせなのだ、という。
はぁ・・・
別に、人がどう食べようと、関係ないことなんだけど、でも、それじゃあ、栄養的には、チャーハンをおかずにご飯を食べているに近いと思うんだけどなあ。

2008/06/25

「おくび」って?

クイズ番組が好きで、TVをつけてやっていると、つい見入ってしまう。

ところで、昨日の放送の「タイムショック」で、
「おくび、って何?」
という質問が出た。私はとっさに「表情!」と答えたのだが、回答者であった国立大学在学中の女性タレントが、ぱっと
「げっぷ!」
と答えたことと、それがまた正解だったことに、2度びっくりしてしまった。
おくび・・・・が、げっぷ?何でじゃ?
語源は何なんだろう。「あくび」と関係あるのか?

ところで、私は昔、西洋人は、口から出る音を非常に忌み嫌うため、放屁よりむしろ、おくびの方が下品とされている、という、よく聞く説を信じていた。
結婚してから、これがまったくのウソ、というか、少なくともわが夫に限っては絶対にあてはまらないことを知って、愕然とした。
夫のおくびはスゴイのだ。ぐわぁぁ~~っぷ!ぐわおぉぉぉぉっぷ!げぇぉぉ~~ぷ!
彼は、無糖の炭酸水(ガスウォーター)を食事のときに飲むのが好きなのだが、それを飲んだ後など、一層強さを増す。
私が、
「白人は、人前でげっぷなんかしないと思っていたのに!」
というと、彼は
「誰がそんなこと言ったんだ」
と言って私を馬鹿にする。
ついでに言えば、放屁もすごい。私の父のように、ところ構わず、ばんばんする。エレベーターの中に「残り香」を置くのが好きだし、交差点で人が沢山信号待ちをしているところでやらかすのも好きだ。周りのみんなが驚くのを見るのが楽しいらしい。
私の父は、人前で裸になったり、平気で放屁をする下品な輩で(父はそれがユーモアだと勘違いしている)、私は、アメリカ人と結婚することになったときには、
「ああ、これで父の下品さから逃れられる」
と安心したものだった(当時は、上述の説を信じていたもので)。それが、見事に裏切られた。彼は、血のつながりもなく、国籍も文化も違う私の父に、いろんなところでミョウに似ているのだ。

あーあ、がっかり。オヤジに洋の東西はないらしい。

2008/06/24

男性の目、女性の目

町を歩いていて、私が「あ~、あの人、足がキレイ」と思う女性とすれちがったとき、私はこっそり夫に「あの人、足きれいね」とささやく。
でも、アメリカ人の夫は大抵「けっ!細すぎる」という。

女の私の目から見た「美脚」と、男である夫の目からみた「美脚」。サイズが少なくとも二回り(といってもけっこう曖昧な単位)彼のほうが許容範囲が大きいようだ。

私は、若いとき、ひどく太っていた。今にして思えば理由は簡単で、生活のわびしさをほとんどすべて食べ物で晴らしていたからだ。親の転勤で、見知らぬ田舎の高校に転校させられた私には「青春」なんてなかったからなあ。
20代の終わりに夫と結婚し、国際結婚の仕方もビザの申請の仕方もわからず、苦労してへとへとになり、あっという間にガリガリにやせてから、太らなくなった。

以来、人から「細いですね」「やせていますね」と言われるのが通例になったが、私には一向に信じられない。若いとき、10年近く太っていたというコンプレックスは、今後も絶対に払拭されることはないだろう。だから、私にとって、いまだに「やせ=美」である。細いことは勝利の証である。「食欲」という邪念に打ち勝った誇りである。

足だって、細いのが美しい。あんまり病的にガリガリなのもなんだが、ほっそりした足を自慢げに出しているのを見ると、いいなあ、と思う。私が若いときには、でっぷりと脂肪が乗った太い足しか持っていなかった。
夫はアメリカ人なので、肥満の女性は見慣れている。だから、大抵の日本女性はきゃしゃすぎるくらいきゃしゃに見えるのだ。
やっぱり、そんな夫の「細すぎる」という論評は鵜呑みにするまい。

2008/06/20

パレスホテル、鳩山大臣+朝日

昨日深夜、パレスホテルで火災があったそうだ。
「火災」というほど大げさなものではなかったそうだが、宿泊客がバスローブのまま建物の外に避難しているのがテレビで映し出されていた。宿泊客の中には、あの「塩爺」さまもおられた。

私の勤務先と近いので、今日、仕事帰りに同ホテルの前を通ってみたが、外側からは、なーんにも変わったところはなかった。お詫びの張り紙でも出ているかと思ったが、外から見た限りではなかった。中に貼ってあったかもしれないけど、まあ、皇居のまん前の名門ホテルで、大ごとにならなくてよかった。

さて、Yahooを見ていたら、朝日新聞夕刊の「素粒子」というコラムで、鳩山法務大臣のことを「死に神」と評していた、との記事を見た。
また、朝日ったら。
前々から、この新聞は偏向著しいと思っていたが、この物言いは何だ。
裁判で、おそらく死刑判決はそのほとんどが最高裁まで、何人もの法の専門家が審議を尽くした結論である。
死刑の執行書にサインするのは、れっきとした法務大臣の職務である。

久しぶりに六法全書を引っ張り出してみた。

刑事訴訟法第475条【死刑の執行】
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
②前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。(以下略)

かくのごとく、鳩山大臣は、定められた責務を粛々とこなしているだけだ。なかなか命令書にサインしない歴代の法務大臣も多かったと見え、今、死刑囚は日本中で100人を超えている、という。6ヶ月以内の執行などまず行われないとは知っているが、とにかく、法に定められた職務を行っている大臣に対し、「死に神」と揶揄する大新聞の幼稚さと偏りよ。あきれてものも言えない。

だいたい、死刑の執行に対して、マスコミのあおり方はどうだろう。まるで、してはいけないことをしたかのごとくの書き立て方、報道の仕方である。厳重に抗議したい。

2008/06/19

リス in the US

なぜ、日本には、その辺にリスがいないのだろう。
なぜ、アメリカには、その辺にリスがいくらでもいるのだろう。

これは、私が初めて夫の母校であるコロンビア大学(NY)に連れて行ってもらったときのことである。
キャンパスの芝生に、リスがぴょんぴょんと飛び跳ねているではないか。それも1匹や2匹ではない。あちこちにいくらでもいるのである。
私は、大学だから、特定の小動物を保護しているのだと信じ込み、
「あー、リスが!リスが!!」
と、狂喜してリスを追いかけまくった。夫は、きょとんとしていた。
「だから、何なの?」と聞く。
「だから、リスが!」と私。
「だから、何なの?」と夫。
「だから、リスがいるから!」と私。夫、あいかわらずきょとん。
話がまったくかみ合わなかった。

私は、そのときまで、アメリカには、公園があったり樹木がはえていれば、リスがいるのなんて全く当たり前であることを知らなかったのだ。これに反し、夫は、日本にはその辺にリスがいないことを全く知らなかったのだ。リスは「可愛らしい小動物」という認識である私に対し、アメリカ人にとっては、ネズミかスズメ、極端に言えば「害獣」くらいの感覚でしかないことを知り、私はまたまたびっくりした。
「日本では、シマリスが、ペットショップで売られているのよ。1匹50ドルくらい」
と教えてやると、夫は激しく腰を抜かした。
「たかがネズミ1匹に50ドル~~~~?」

その後、アメリカを何回訪れても、町の公園はもちろん、街路樹にだってリスがいるのはごく当たり前で、私以外に誰も注意を払っていないらしいことも知った。可愛いのになあ・・・・・
ナッツの成る木ばかりではないのに、彼らは一体何を食べているのだろう。

サンフランシスコは、その全体が半島の上にあるが、その先端の北西部に「Cliff House」という眺めの良いレストランがあり、そのすぐ横の岸壁には、「地リス」が沢山住んでいた。全く木も生えておらず、水もなさそうな乾燥した岸壁にまで住むリスがいるなんて、なかなかリスの世界も不思議なものだと思った。ピーナツを買ってきて与えると先を争って食べていたから、リスはリスらしい。だが、地面に穴を掘って住むなんて、なんだか「リス」というより「プレーリードッグ」みたいだな、と思った。

2008/06/15

「こわい」と「可愛い」の区別がこんなに至難だなんて

英語の発音の困難さに比べれば、日本語の発音のほうが英語に比べて簡単だと(かつては)思っていた。が、彼らには当然に存在する区別を区別しない努力(例、LとR、SとCとTHなど)をするのはかなりジレンマを感じることらしい、というのは結婚して初めて知った。また、英語はどちらかというと、なんというか「音色の加減」や「つながり方」が大事で、強く発音すべきところを強く発音すると、それ以外の部分はけっこう曖昧でも通じてしまうのに反し、日本語は、1文字1文字の発語をはっきりさせないと通じない。

前置きはさておいて、夫が日本で生活を始めたとき、私がびっくりしたことの一つが、英語を母国語とする者にとって、「こわい」と「可愛い」の区別が死ぬほど困難だ、ということだ。試しに、夫以外のNative English speakersにも「こわい」と「可愛い」とを発音して聞かせたが、彼らには「どこが違うの?」と聞かれる始末。これには心底驚いた。「こわい」は、急ぎ加減で3文字、「可愛い」は多少ゆっくりに4文字発音しているにもかかわらず、である。
彼らに発音させると、どちらも「クゥワァーイ」のように言う。ちょうど「QUIET」から「ET」をのぞいて「U」と「I」の間を伸ばした感じだ。しいて言えば「こわい」の発音に近く、日本人の誰に聞かせても「可愛い」の発音には絶対に聞いてもらえない。
まさか、かわいい女の子に向かって「アナタハ、コワイデスネ」と言ったり、愛らしい赤ちゃんにむかって「コワイアカチャンデスネ」なんて言ってしまったら元も子もないので、私は考えた末、夫に
「こわい、はそのままの発音で仕方ないから、可愛い、だけは、『わ』ではなく、『いい』にアクセントを置いて発音しなさい」
という指導をした。
それから彼は、舌を噛みそうな顔をしつつ、可愛いものに対しては、「カゥワァイ~~イ」、と、私の指導どおり、「イーイ」を必死で強く発音し、最低限、「怖い」と誤解されることだけは防ぐことに成功したのであった。

2008/06/10

日本女性ってこんなにタイ料理好きだったっけ?

今日、たまたま新宿に出る用事があったので、ルミネ地下2階の「ゲウチャイ」でタイ料理を食べた。
「ゲウチャイ」は、屋台風の気軽なタイ料理レストランチェーン。お皿がプラスチックなのがいささか残念だし、割れないお皿を使っていて量もそんなに多くない割には値段が高い印象は免れないものの、とにかく気軽に入って食べられるので、重宝していた。
「していた」と過去形で書いたのにはわけがある。このチェーン、少し前までは横浜ルミネの上にも入っていたので、タイ料理が食べたくなると、定期券でちょこちょこ通っていた。しかし、数ヶ月前に、周囲の数店舗とあわせて閉店してしまったので、今ではみなとみらいまで行かないと横浜の支店がなくなってしまったのだ。

今日、新宿ルミネ支店に入ってびっくりしたのは、客がほとんど全員女性だけだったことである。
男性は、と見ると、彼女に連れられて入ってきたとおぼしき若い男性が1人か2人。あとはもう、全員女性客ばかり。
私も含め、「おひとりさま」の女性も多かった。
いつから日本女性ってこんなにタイ料理好きになったのなか?
それにしても、女性が一人でフラっと入れる飲食店はそんなに沢山ないので、こういう店はありがたいと思う。
欲を言えば、もう少々値段を下げてくれないかなあ。

2008/06/08

スピード社製の水着とコロンビア大学の水泳の授業

男子平泳ぎの北島康介選手が、スピード社製の水着を着用し、200メートルで世界新記録を出したそうだ。
彼は実力のある選手なので、水着がそのすべてではないだろうとは思うが、実際、同社の水着を着てこれほど世界記録が出るなら、一体「記録」とは何だろう、と考えさせられる。
ご存知の通り、水泳は、コンマ以下にしのぎをけずる競技である。
競技としては、いっそ全員が同じ水着を着ないと平等に審査できないのではないか、と思う。
ある水着を着ると速くなって、その他の水着はそうでもない、というのがあっていいのだろうか。

ところで、水着といえば、アメリカ人の夫と結婚したとき、びっくりする話を聞いた。
彼は、NYのアイビーリーグの名門、コロンビア大学卒なのだが、1年か2年生のとき、単位に水泳の授業があったそうだ。その水泳の授業なのだが、なんとなんと、全員「裸」で受けた、という。
それを聞いた私はのけぞって、
「なんでーーー???? 何で水着を着ないの???」
と聞くも、彼は
「何が悪いの?どうせ水に濡れるんだし」
「いや、そういう話じゃなくって」
と言っても、話が全然かみ合わない。コロンビアはいまは男女共学だが、当時は男子大学だったので、同じ男たちが生まれたままの姿で水泳をすることの何がおかしいのか、と言う。
日本人だったら、いくら同性の前とはいえ、もうちょっと羞恥心があるよな~、と思った一件であった。

2008/06/04

トマトソースパスタは「煮て作る」べし

今夜9時から放送した「今日の料理」では、冷凍した食材を使った料理を取り上げており、中で、冷凍トマトを使った「トマトソースパスタ」を紹介していた。私の場合、トマトソースは、トマトの水煮缶を使ってあらかじめ作っておき、小分けにして冷凍しておくのだが、今日のレシピでは、パスタを茹でるかたわらで、生のトマトをくずしジップロックに入れて冷凍したトマトを使ったソースを作っていた。「あまりトマトを煮過ぎないほうが、フレッシュなトマトの味がしておいしいのだ」ということだった。
さて、その先生、パスタが茹で上がったので、茹で鍋からパスタを引き上げていたが、私はそれを、トマトソースの鍋の中に入れるのかと思いきや、ありゃりゃ、お皿に盛り付けてしまった。そうだそうだ、日本では大体、トマトソースパスタは皿に盛ったパスタの上にソースをかけて食べるのが一般的だったのだ、と、そのすぐあとで思い直した。

イタリアで年の半分を暮らすという料理研究家の有元葉子さんが本に書いておられたことなのだが、本場イタリアでは、パスタの上にソースをかけて「自分で混ぜよ」という出し方はほとんど見かけないそうだ。あちらでは、ソースの鍋の中に固めに茹でたパスタを入れ、それこそ「煮る」ようにじっくりとからめてパスタに味をしみこませてから出すのだ、という。

これを知ったあと、私も同様の作り方をしている。表示の時間から、煮る時間を引いたタイミングで茹で鍋からパスタを引き上げる。それからソース鍋に入れて煮からめる。私はパスタは「アルデンテ」というやつより、やややわらか目に茹でたほうが好きだから、やわらかくなるまで、パスタの茹で汁なども入れて水分の調整を計りながら煮上げる。

もちろん、ボンゴレとか、塩味系のパスタでは必ずしも煮ないとは思うが、トマトソースの類では、煮からめて食べると、パスタに味がしみて、とってもおいしい。
おかげで、巷の喫茶店などで出てくる、「ソースをかけただけ」のパスタは、味気なくて食べられなくなってしまった私である。