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2008/02/28

新潟の「ハツイ」「マサイ」さんという女性の名

新潟県のある女性で、下の名前が「ハツイ」さんというのを見たとき、ハハーン、と思った。
その後、たまたま買った野菜が新潟産で、生産者の氏名まで付いているものだったが、名前を見たら「○○マサイ」という女性だったので、これもまた「ハハーン」と思った。お二人とも若くない。
うちの父も新潟県で育ったのでわかるのだが、新潟弁では、「い」と「え」をひっくり返して言うのである。
今の若い世代ではそうでもないと聞いたが、50代か60代以上は「い」と「え」が逆らしい。
これにはほんと、不思議でならない。
うちの父が文章を書くと、「い」と「え」がことごとく逆に表記されているのである。
年の割りにワードをよく使うのだが、
「病院に入院した」
と打とうとして、大真面目に
「びょうえんににゅうえんした」
と入力するため、
「病円に入園した」
などと出てくるのだ。ワードは少しも悪くないのに、「変換できない」と言って助けを求めてくる。
都会に住んで数十年たっても、絶対になおらない。毎日新聞を読み、本を読んでも絶対になおらない。
最初から「い」と「え」が逆になることが分かっているなら、新潟以外の地では、自分の意図する「い」と「え」とを逆に発音ないし入力すればいいと思うのだが、とにかく絶対になおらない。
新潟の親戚から来る年賀状なども、ことごとく「い」と「え」を逆に書いてあるのは滑稽としか言いようがない。
「要領を得ない」は「要領をいない」だし、「迎える」は「迎いる」だし、「息子さえもが反対する」は「息子さいもが反対する」だ。一体、新潟弁って・・・・?
冒頭の2女性の名前も、親は、それぞれ「初枝」「正江」というような名前として付けたのだと思う。それをたまたま漢字でなくカタカナで申請してしまったものだから、一生、「新潟弁です」と名乗っているような名前をつけられて、ご本人達には悪いが、ちょっと気の毒だなあと思われて仕方ないのである。

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2008/02/24

「ギザ十」と「フデ五」

今日、財布をのぞいたら、たまたま「ギザ十」を発見し、うれしくなって「ギザ十保存貯金箱」へ入れておいた。
私はコインのコレクターなのである。
ちなみに、「ギザ十」とは、周囲にギザギザがついている十円玉のことで、昭和33年発行分までこのスタイルだった。
今日発見したものは昭和27年発行だから、50年間も人から人へ手渡され、使い続けられてきたことになる。
50年・・・コインの流通期間としては、すこぶる長い年月である。だのに、たいして磨り減りもせず、何かの縁で私の手元へ渡ってきた。

ついでに申すと、私は「フデ五」も集めている。
「フデ五」というのは、五円玉の「五円」という字が、ゴシック体ではなく、筆で書かれたような字体で刻まれているものの通称だ。これも昭和33年発行までである。こちらのほうは、たまに手に入るギザ十と違い、残念ながら、滅多にお目にかからなくなった。

2008/02/21

アメリカ人は血液型なんか知らんよ

某政治家がアメリカを訪れたとき、
「私は典型的なA型人間でして」
と、おバカなことをのたもうたそうだ。英語で「A型人間」なんて言うわけないじゃないか。
最初に断っておくが、私は血液型占いなんてこれっぽっちも信じていない。ABOなんて分類は、数ある血液型分類の1種類にか過ぎないし、そもそも、ABOという型には、人の性格を左右する因子などないのだ。

ところが、であるが、なんとなんと、わがアメリカ人夫は、40歳で日本に来るまで、自分の血液型を知らなかった。
結婚当初、私は腰をぬかした。
「なんでー??日本人は、赤ちゃんが産まれると、すぐ血液型を調べるくらい、血液型を知るのは絶対のことなんだよ!」
と私が言っても、「ケッ」などと言ってごまかしている。聞いたところ、アメリカでは、死ぬまで血液型なんか知らない人がゴロゴロいるそうだ。だから、日本人が挨拶代わりに血液型を聞く行為は非常に奇異に聞こえるし、答えられなくとも不思議な話ではないという。

しかし、いくら血液型占いに興味がない私といっても、万が一事故にでも遭い、輸血が必要になったらと思うと、彼を「献血センター」に引っ張っていった。無料で血液型を調べてくれるからだ。
最初に、比重を調べるため、少量の採血から始めるが、看護婦さんに、
「血液型は何ですか?」
と聞かれたとき、夫に代わって答えられなかったのがちょっと恥ずかしかった。

2008/02/19

粋家の「味噌らーめん」が好き

全く、男女が平等に働く時代だと、女性社員はいやおうなしに「オヤジ化」する。
男性社員が「オバサン化する」ということはないから、やはり会社と言うところは、もともとオヤジ的な要素でできたところなのである。これは疑いようもない。残業も男女にかかわらず、必要なだけする。いきおい、帰宅時間は遅くなる。
で、冷蔵庫にいろいろ食べ物があるにもかかわらず、夜遅く食べるのもナンだから、帰宅途中で何か食べてきてしまう。全くオヤジと同じである。今日は、東京駅構内の、京葉線ホームに行く途中にある「粋家」で食べた。
もともと、ここのとろーっと煮えた白菜の入ったスープが好きなのだが、難点は「チャーシュー」であった。ぱさぱさしておいしくないのである。それが、つけめんを除く大抵のメニューに入っているものだから、以前はしぶしぶ食べていた。アンケート用紙があったときには、「チャーシューがおいしくないので、チェーシュー抜きのメニューを作ってください」と書いて投書したことすらある。
そういう我が意をくんでくれたのか、見事に、チャーシューの入っていない、野菜が多目の「味噌らーめん」なるメニューができたではないか。ありがたや。しかも、これ、とってもおいしい。
そんなわけで、今日も味噌らーめんを食べた次第である。2回目だ。
女が一人で夕飯を食べるというのはわびしいものだが、東京駅など大きめな駅だと、一人で気軽に食べるところがいくらでもあって、この点、大助かりである。
本当は、早めに家に帰って食べられるのがもっとも人間らしいことなのだが。
かくして、働く女はどんどんオヤジに近くなっていく。ただ、女一人で飲むことだけは絶対にできないし、したいとも思わない。これをしたら、マジで「女の形をしたオッサン」になってしまうと思うから。

2008/02/16

「謝らない」中国という国の性格

昨夜、気の合う飲み仲間4名と一杯やった。
ふとしたことで、話が「毒入り餃子」におよび、ついで中国の話になった。
「中国人が人民服を着なくなったのはいつごろからだろう」
と1人の人が聞く。私も、中国といえば誰もが人民服を着、化粧もせず、パーマ(電髪)をすると珍しがられていた時代のイメージを色濃く持っている世代の我ら。私も、
「いまでも『毛沢東語録』なんて読んでいるのかな」
と聞いてみた。
そして、4人共通して中国に対し冷ややかな、というか、解せない思いでいる点がある。
「中国人は絶対に自分の非を認めない」
「謝らない」
ということである。これに関しては4人とも大いに意見が一致した。
私が以前勤めていた外資系企業は、アジア地域のHQをホンコンにおいていたが、まあ、彼ら彼女らの謝らないこと、謝らないこと。謝罪をしなければならないほどまずい立場におかれると、退社してどこかに行ってしまうのだ。そのくらい謝罪を嫌う。
中華思想のせいなのか何なのか、非を認めると一巻の終わりだと思っているのだろうか。
デール・カーネギーだって、人間関係の持ち方を解いたその著書の中で、
「自分の過ちは素直に認めよう」
と言っているというのに。アメリカ人もなかなか謝らない人種だが、そんなアメリカ人のカーネギーだったそういうふうに書いているというのに。
この間中国から毒餃子の件で来日した役人も、
「中国の食品は安全です」
なんて、涙まで浮かべて訴えていた。
しかし、現に被害者は出ているのである。すべての食品が100%安全だと確信をもって断言できる国はこの世にないのであるから、あんな涙まで見せるパフォーマンスをする前に、
「徹底的に捜査し、原因を究明します。被害にあわれた方々には心からお詫び申し上げます」
というのが筋ではないのか。米国でも、中国製のペットフードや練り歯磨きの被害が出ているのは記憶に新しいところである。

「本当に、北京五輪なんて開けるのかねえ」
「各国選手団たち、食料とコックを自前で持ち込むんじゃない?」

さてさて、この8月の開催をひややかに眺めようとする4人なのであった。

2008/02/10

またまた変な夢をみた---大学に行った話

どうも私は自分の卒業した大学に愛着を持っていないせいか、夢に出てくるとろくなことがない。
今日も朝方まで見ていたのだが、私が大学に行くと、ひどく久しぶりに行ったと見えて、
掲示板に貼り出されていた5枚の「学生呼び出し状」のうち、3枚までが私の呼び出し状だった。
大きいたんざく型の黄色い紙に、デカデカと私の氏名が書かれ、学生が通り過ぎる通路に貼り出されている。
全然大学に行っていないので、単位を落とす、とか、そういう警告だったらしい。
確かに、大学にあまりマジメに行っていたとは言えないけれど、単位を落としたこともない。
なんで、卒業して20年以上たっても、こんな夢にうなされるんだろう。

2008/02/09

「ありがとうございます」の簡単版を

「ありがとうございました」という言葉、なんとかもうちょっとすっきり短く言えないものかなあ、と思う。
英語の「Thanks」「Thank you!」が実に簡単に言えるので、よけいそう思う。
フランス語の「メルシー」、ドイツ語の「ダンケ」中国語の「謝々」に比べてもまことに言いにくい。
言いにくいからこそ重みもある、とも言えるが、そういつも重くなくてもいいはずだ。
新語の募集でもしてみていただきたい案件である。

2008/02/03

首都圏と雪。。。小学校時代の思い出

今朝カーテンを開けてびっくり。外は一面の雪だった。
「2年ぶりの大雪」ということだが、わが横浜では7cmである。
関東6県では、案の定、130人以上が転んで救急車で運ばれたとか。
子供のころ、親の転勤により、長野で育った私から見ると、言ったら悪いが、こっけいである。
たかが数センチでころころと転び、骨折するなんて。雪国に住む人々には笑われそうだ。
それに、都会の住人でも、元をただせば田舎出身の人が多いのではないか。
東日本や東北、北海道の出身者でも転ぶのかなあ、と思う。

私は、小学校3年生まで、東京近郊の、千葉県松戸市に新しく建てられた団地で育った。
4年生から長野市内の小学校に転校したのだが、さまざまな習慣の違いにはたまげることばかりだった。
その一つが、長野の小学校では、肉体労働にやたらと子供たちをこき使うことであった。
松戸にいたときは、たとえば、土手に生えている草刈りなどは、PTAの仕事であった。
それが、長野の小学校では、清掃を「勤労」と称し、教育の一環と考えていたこともあり、
時には、夏休み中や春休み中でも、「連絡網」で呼び出され、こきつかうのである。
おまけに、私らが卒業する年度に、新しい校舎を建て始めたものだから、当時6年生であった我々は
なおいっそう肉体労働に使われた。やれ、土運びだ、植樹だ、体育館への机や椅子運びだ、掃除だ、等々と、
さんざん働かされ、さて、卒業とほぼ同時に完成した新校舎を一度たりとも使うことなく、卒業していった。
なんか、釈然としなかったのは我々6年生だけではあるまい。

当時は子供だったから、文化的に違う地域への順応も早かったし、小学生だからおとなしいので、
我々は先生の指図に何も言わずに働いていた。
これが都会の小学校だったらどうなのだろう。
「小学生を肉体労働に使うものではありません」
「勉強が第一です」
なんて、PTAから反撃されるのがオチだったろう。

今日は、自宅の前と、それから、実家の前から大通りにかけての通路を、大きなシャベルで雪かきをした。
女の私であるが、こういう肉体労働をいとわないのも、長野でああいうふうに育ったからだろうな、つまり、
小さいころにこき使われておくのもまんざら悪くない、いうことを考えた、今日の大雪であった。