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2007/12/31

「餅をのどにつまらせて」という記事

もうおおみそか。
最近では、おせち料理など作らず、さっさと海外に行って過ごす人も多いようだが、我が家ではいまだ毎年そこそこのおせちを作って新年を迎える。どうせ、もてあましてしまうのにね。

さて、1月2日は新聞休刊日だ。3日の新聞が、事実上その年初めての新聞だが、必ずチェックするのが「もちをのどに詰まらせて死す」という記事である。
アメリカ人の夫が奇異な顔をして言う。
「なんでこんな危険な食べ物をわざわざ食べるんだ?」
そりゃー、そうだなあ。
万事合理的を好むアメリカ人には、こういう危険を冒してまで餅を食う理由がわからない。
習慣だから、とはいえ、毎年必ず何人かの老人が死んでいるんだ。家族には、お正月どころではない災難だ。
老人には、必ず小さく切って、また、トロトロになるまで煮込んで供するように、ということは昔から言われている。
ただ、そういう老人達は、去年までは餅を食べて平気な人たちだったのだ。だから、今年も去年と同様、大丈夫だと思って餅を出しているのだ。そうしたら、今年に限っては、去年のルールが通用しなくなっている、ということだ。
うちの親ももう、小さくトロトロの年。気をつけよう。

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2007/12/27

カレンダーの土日の色を分けるのは日本だけ??

カレンダーを買ったりもらったりする今の季節になると、必ず思い出すことがある。
昔、大好きなピーターラビットのカレンダーを買った。もちろん、イギリス製である。
ぱっと見て変だと思ったのは、カレンダーの色が、平日も土日も、そして、イギリスだって祝日(銀行休業日を身近な基準として考える習慣があるので、かの国では「Bank Holiday」と呼ぶらしい)があるだろうに、とにかく、1年365日の色が、ぜーんぶ同一の色で印刷されているのである。私は目を疑った。
これをアメリカ人の夫に話すと、
「それがどうしたの?」
という。私が何を不思議がっているのかわからないらしい。
私が、日本では、土曜日は青、日曜日と祝日は赤で印刷するんだ、と説明すると、彼は
「信じられない」
と言う。
ためしに、アメリカ製のカレンダーを見てみたら、私の見るごくごく限られた数ではあるが、やはり、土日も祝日も、平日と全く同じ色で印刷してあった。
なんか、つまらんなあ・・・・・。
どうして色を変えようという発想がないのだろう。日本のカレンダーであっても、土曜日が必ずしも青で印刷されていない場合もあるが、日曜と祝日が赤で印刷されていないと、休みだ~、という気がしない、
私は、やっぱり日本のカレンダーが好きだ。

2007/12/24

バカみたいな夢ばかり見る

なんかこのところ、あまりにバカらしい夢ばかり見るので、起きたときに呆然としている。
つい先日は、私が何か仕事上のアポをすっぽかしたらしくて、しきりに英語で謝罪している夢を見た。
"I'm so sorry, terribly sorry"
なんて。

今朝は今朝で、なぜか私が被告として訴えられている夢を見た。まったく身に覚えのない嫌疑で。
昔、1年数ヶ月ほど勤めていた弁護士事務所の夫婦弁護士が私の席に座っていた。
「こんなの、訴えの利益がない、って言ってやりなさいよ」
などと言われ、私もそうしたかったのだが、いざ私の尋問時になると、声がうまく出なかった。これも、何だか私の小心な性格を暗示していた。
原告団の中に、なぜか福田総理がいた。
ほんとに、バカバカしい。なんでこんな夢を見るのだろう。

2007/12/23

ラーメンにゆで卵は合わないと思うぞ

日本人をとりこにしてやまないラーメン。
ラーメンが嫌い、という人はおよそお目にかかったことはないが、その分だけ、好みのうるささは百人百様だ。
さて、私の場合、スタンダードな東京ラーメンが好きなのだが、反面、九州のとんこつラーメンがニガテだ。
そもそもあの白濁したスープは、ラーメンのそれとして許容されてるものなのか判然としない。
その次に、麺がいただけない。なんだあの、針金のようにまっすぐでバリバリした麺は。麺はちぢれていて初めてラーメンの麺だろうが。

さて、九州ラーメンの是非はさておき、ラーメン全般にもうひとつ感心しないものがある。それは、ラーメンの上にのっているゆで卵なのである。
ときどき、煮玉といって、しょうゆ味に染められたものがのっている場合もあるけれど、大抵の場合は、ゆで卵の半割りが、1個か2個、乗っている。どうも、あれって、いただけないのだ。
メンマとか、細切りにした野菜とかモヤシ、海苔なんかだと、形状的ないし性質的に麺とからむから、食べやすい。
しかし、ゆで卵は、つるつるとした固形であって、麺とはからまない。もともと、麺とからませて食べることを想定してはいないことは重々承知で、つまり、「箸休め」というか「おかず」として乗っているのだろうとは思う。
しかし、食べていると、黄身がほぐれ、スープの中に消え去ってしまい、スープを全部飲まないことには、黄身の回収はむずかしいのだ。それに、ゆで卵を食べるのにも時間が結構かかるから、その間に、麺がちょっと冷めてしまう。
オプションである場合には、食べないこともできるけれど、メニュー的に最初から乗っているときは、ちょっと考えてしまう。あまり胃の許容量が大きくない私は、ゆで卵で胃が結構ふさがれてしまうのも、悔しいのかもしれない。

2007/12/16

なぜ歯並びぐちゃくちゃで放置しておく、日本人よ?

先日、帰りの東海道線の中で、私の前に立っていた若い女性が、ふぁーーーーと大きなあくびをした。
その大きく開いた口を見て、私は絶句してしまった。
上も下も、前歯の歯並びがぐっちゃぐっちゃ(!!!)なのである。まるで、トタン板みたいに、1本1本が前後に生えて波うっているのだ。
その女性は、その後も何回か「ふぁー」を繰り返していたが、あくびのたび、目が彼女の歯に行ってしまうのを我慢するのが大変だった。

私は、顔の容姿が大してホメられる程度でないのを神がお救いくださったのか、歯並びと個々の歯の美しさだけは自慢なのである。小学校2年のとき、前歯の1本がグニャーっと曲がって生えてきたときには、私も母も心配したものだが、放置しておいたら、自然にまっすぐになった。歯の質自体は見た目ほど丈夫でないので、奥歯はみんな修理しているが、それも、保険の利かない、セラミックなどの、自然の歯の色に近いもので治療してもらっている。口をあけたときに、金属の治療跡が見えるのも興ざめだし、美しくもない。とにかく、歯の美容と健康には人一倍神経とカネを使っている。
アメリカ人の夫と結婚することになったとき、初めてむこうの親に会いに行ったとき、まず第一声が
「あなた、歯きれいね。何かやっているの?」
だったのは、うれしかった。他にほめるところがみつからなかったのかもしれないが、少なくとも、アメリカには、歯の美しさをほめる人がいる、ということである。日本では私、歯がきれいだとほめられたことなんかない。

あの女性は、あの歯並びで全然気にならないのだろうか、と、赤の他人である私のほうが気になって仕方がない。
恋人ができても、男性側は、彼女のあの歯並びを見て、キスなんかする気になるのだろうか。
あるいは、歯に関心のない同士でカップルになれば問題のない話なんだろうか。

先日、娘の歯を矯正させているという男性と話をしたが、しばらくボーナスが右から左に行ってしまったという。
矯正は、保険が利かないんだよなあ・・・残念ながら。これはガンである。
15歳くらいまでの子供の矯正は別扱いにするべきではないだろうか。たしかシンガポールでは、子供の矯正は保険が聞くか無料だ、といった話を聞いたことがある。子供のうちにきちんと治しておけば、大人になってもぐちゃぐちゃの歯並びを見せておく必要もなくなる。日本人はとかく歯の美容に関心が薄いのは事実のようだ。あの、やんごとない家に嫁がれた、あの、外国生活が長い某妃ですら、あのような歯並びで放置していたくらいなのだから。あれは、サンプルとして悪過ぎる。あの歯で外国の王族やセレブたちに会うなんて恥ずかしい。40過ぎの今からでもなんとかしていただけないのだろうか。さいわい、今お仕事はしていないのだから、その時間を利用して。そうしたら、全国に矯正の大切さをアピールすることになるのだがねえ。

2007/12/09

道を尋ねたらお礼を言おうよ

ちょっと前の話。

駅の中ではなく、ちょっと外側にある売店のおばちゃんに、一人の中年男性が、道を尋ねていた。
そのおばちゃんは、行き方を教えてあげていたのに、聞いたおじさんは、「あ、そう」と言った感じで、黙ってその場を立ち去ったのである。
私はあっけに取られてしまった。たまらなくなって、そのおばちゃんに、
「あ、あの、人に聞いておいて、お礼を言わないんですかね?」
と話しかけてみた。そうしたら、そのおばちゃんは、うれしそうに
「そんなこと言ってくれるの、お客さん(私のこと)だけよ」というではないか。
「だって、道を教えるの、仕事じゃないでしょう?なんで??」
と私が重ねて言うと、道を教えてお礼を言われるのは、100人のうち1人くらいなのだという。
私は怒り心頭に達してしまった。
お店で買い物をしているときも、「○○はどこにありますか」と尋ねて教えてもらったとき、私は丁寧にお礼を言う。
ハンズなどには、売り場案内専門の人が1階に座っているので、果たしてどのくらいの人がお礼を言っているのか少々観察していたことがあるが、言わないでさっさと目的地に向かう人の方が圧倒的に多かった。

よろしくない。こういうの、私は嫌いだ。

ただ、1点。日本語のせいにするわけではないが、「ありがとうございました」って、さらっと言うには語数が多すぎるきらいがある。英語の「サンキュー」、フランス語の「メルシー」、ドイツ語の「ダンケ」、中国語の「謝謝」に比べて、さらっと言いにくいことは昔から気になっていた。かといって、「どうも」で済ませるわけにもいくまい。

「ありがとうございました」ほど語数が多くなく、固くなく、さらっとして言いやすい感謝の言葉でも定めたらどうかな、なんて思う。

2007/12/01

蕎麦食いの私

子供のころ、長野、もとい、信州で育ったことのある私は、蕎麦食いである。
オヤジのようだが、薄暗いような蕎麦屋にも、女一人で入ってしまう。
初めての店で頼むのは、ほぼ「ざる」である。これが、その店の蕎麦の味を判断するのに最適だと思うからだ。

今日は、東神奈川駅近くのある店に入った。
テーブルの上はまだ先客の器が残っているし、ざるを頼んでも妙に出てくるのが遅かったが、まあ、老夫婦ふたりでやっているようすだったので、大目に見た。
蕎麦もつゆもなかなかおいしかったが、びっくりしたのは、海苔の量。せいろとの「50円差」を埋めようという顧客サービスなのかもしれないが、ちょっと、あそこまで海苔をふらなくてもいい、と思った。蕎麦を食べているのか海苔を食べているのかわけが分からなくなる始末である。どんなものにも「バランス」が大切だ。

昼だったせいで、客は結構入っていた。私が入る前から、近所の老人仲間と思われる3人組が座っており、食後も長々談笑していたのだが、トシをとると痰がからみやすくなるせいか、せきこみやすくなるなるせいか。中の一人が、しきりに「ゲホゲホ、ゼロゼロ、カー、ペッ」とやっているのである。こちらはせっかく蕎麦を食べているというのに、台無しではないか。自分のせき、自分の痰は汚くないのだろうが、聞かされる身にもなってほしいよなー、と思った。こっちは食事中だぞ。

ただ、感心したのは、この店の客たちが、会計を済ませるときに、「おいしかったです」と言うことだった。
飲食店にとっては、「おいしかった」と言われるほどありがたく、うれしいこともなかろう。
それは聞いていてとっても感じよかった。

さて、次回はどの蕎麦屋に行こうかな。