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2019/07/12

母が遺した書き物

人間って、どうしてボケるのだろう。今日のボケ老人の増加は深刻な問題である。
私の父もボケたが、父の直接の死因はガンだった。
母の場合は「心不全」だが、年寄りは大体、老衰でなければ心不全で片付くものだと思う。そして、死とは、「あと●日くらいです」と医師に宣告され、家族中が固唾をのんで見守っているのでなければ、大体は、突然にやってくるものだと悟った。

まだ母が完全にボケ切る前に、何か書いておいてもらおうと、ノートを渡しておいた。見ると、自分のことを、私の「姉」だと思っているなど支離滅裂な部分もあるが、結構本音も書かれていた。

多かったのは、
「桃実ちゃん、私はあなたのような娘を持って私は幸せです」
「ホームの人に、しっかりした娘さんですねとほめられた」
といった記載だけど、ほかを見ると、
「会いに来てくれたけど、また、安物のぺらぺらした服を着てきた」
「まったくあの子は変わった子だ。なんであんな変なガイジンと」
などというのもあった。

古い世代の人だったから、古いと批判しても仕方ないのかもしれないけれど、とにかく母の考えは明治並みで、とりわけ男女関係については岩のようであった。
「男の人とキスするのは、その人と婚約してから」
と私に教えた人である。そんな母だったから、結婚前にH、なんてこの世で到底許されるものではなかった。
「男はみんな女より偉い」
「女の利巧は男のバカと同じくらい」
「男の人と歩くときは後ろ3歩くらいさがって」
というのもあった。
私は高校時代、東北の女子高に転校させられ、この高校が嫌いで腐り果てていたので、10代の多感な時期の友達付き合い、というものを全く味わわないまま、とにかくこの田舎から出たい一心で東京の大学へ進学した。しかし、東京に出てきても、次元が1時代か2時代違ってしまい、私は周囲から完全に浮きまくっていた。
大学生になると、彼氏彼女と「旅行に行く」子が結構いるのが死ぬほどショックであった。
「え~~~!! まだ学生で結婚もしていないのに、旅行に行くっ????」
と、失神するような思いであったのも、いまでは笑える。
社会に出て、だんだん周囲の人らと話ができるようになってきたけど、それでもなお、周りからは「古い、古すぎる」とあきれられていた私。
確かにね。今思い返しても、自分が取っていた行動、言動の時代錯誤ぶりにはあきれ、恥じ入るばかりである。
母のそういった影響を最低限抜け出せたのは、旦那と知り合って以降だったかな。
それでも、無学無教養な母は母なりに、難しい私を懸命に育ててくれたんだろうけど。


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2019/07/10

戸籍謄本代450円と除籍謄本代750円

母の遺言状検認手続きに必要なので、地元区役所と、それから以前に本籍を置いていた東京都の某区役所へ、戸籍謄本と除籍謄本を取りに行った。

ご存知と思うが、戸籍は、夫婦とその未婚の子供によって構成されている。一人でも生存者がいれば「戸籍謄本」で、死亡や結婚や転籍で除籍になり、残る人が一人もいなくなると「除籍謄本」となる。
いまの時代は、いちいち手作業で原本を開いてコピーしていた昔と違い、コンピューターに情報を入力するだけで印刷できるから、「戸籍謄本」も「除籍謄本」も、取るのに手間は変わらない。
だのに、なぜか前者は450円なのに対し、後者は750円も取るのだ!
文句や疑義があれば黙っていないことにしている私は、窓口の人に、この差額の理由を聞いてみた。
いわく、
「昔から決まっている」
だって。あのねえ。
それでもう少し食い下がって、
「昔と違ってパソコン入力で取れるんですから、手間は同じなのに、なぜ300円差をつけるんですか?」
いわく、
「金額は条例で決まっている。条例を変えないことには変更できない。議員さんにでも言ってほしい」
と。
ったくもう。

次の選挙では「NHKから国民を守る党」というのが正式に参加しているけれど、「役所の高い手数料に反対する党」でも立ち上げようかな。


2019/07/09

あー、バカバカ、私のバカ

区役所で月一回行われる無料税務相談の日が今日だったので、予約して行ってみたら、なんとなんと、我が母のような小市民の遺産でも、相続税納付義務の可能性が出てきた。
これも、平成27(2015)年相続税法改正のせいだ。
父が死んだ10年前は、基礎控除額は、5000万円に法定相続人数×1000万円の合計した額だった。なので、当時8000万円も遺産がなかったから、何もせずに済んだ。実際、旧相続税法当時は、相続の95%には相続税が発生しなかった、と聞いている。
しかし、法改正後は、基礎控除が3000万円に法定相続人数×600万円の合計額に減額された。ために、今回、基礎控除額は4200万円である。これを超過しそうなのだ。
まったくもって、お国というやつは、墓場の中まで税金をさらいに来るなあ。チョー腹が立つ。

無料相談日は、正直言うと、そんな役に立たなかったりする。今日の税理士さんも、結局は、
「神奈川税務署にストレートに聞きなさい」
というのが最終アドバイスだった。そんなの私だって知っているよ。

相談を終えて、目の前のスーパーで買い物。レジに並んでいたらハタと気づいた。
そうだそうだ、私は、母の葬祭費(5万円)の申請にも行く予定だったのに。
購入した食品をあわててバッグに詰め込み、改めて窓口へ行き、順番待ちをした。ら、とっとっと、ハンコがないことに気づく。
あ~~~、そうだ、出がけに、書類入れファイルを交換したけど、あっちの置いてきた方のファイルにハンコを入れていたのかあ~~~。
しかし、母死亡後、これまでいろんな手続きをしてきたが、ハンコが必要だったことがなかったので、書類を書いて申請しようとしたら、
「お金にまつわるものは、どうしてもハンコが必要」
と、受付を拒否されてしまった。
「その辺で三文判買ってきて押してもいいです」
というが、よく考えたら、そっちの方がおかしくないかい?つくづく不思議な日本の「ハンコ」制度。誰でも自由に買えるし、自分独自のものでもない、赤い印が珍重されるのだ。100円ショップで売っているハンコを押すのと、肉筆の署名と、どちらが真正だろう?
こんな制度、肉筆署名を重んじてきた世界の人らには、絶対わからないだろうな。

ともあれ、また明日出直すことにした。
トホホ。
2019/07/08

葬儀を終えた

不思議なことに、土曜日だけは、日中、雨が降らなかった。風もあまりなく、曇りながらも、おだやかな1日であった。
母は、骨になり、箱に収まってしまった。
棺に横たわった母を見ると、涙が出てきて仕方なかったけど、なぜか、お骨になってしまうと、気持ちが落ち着き、涙も流れなくなった。
なんでだろう。もうこれでこの世にいなくなった、という覚悟が固まるせいだろうか。いまごろ空の上で父と再会し、一緒に遊んでいることだろう。天国に行ってまで、夫婦喧嘩はしなくていいと思うから。

生前の母と私の話し合いで、香典等は一切おことわりした。
参列した親族に、もっのすごい、「お返しキチガイ」の一家がいるからだった。


厳密にいえば、この一家の母親がそうだったのだ。名古屋生まれの親に育てられたこのおばさん、冠婚葬祭にめったやたら口を出す人で、我が実家に何か冠婚葬祭があろうものなら、毎日のように我が母に電話をかけてきて、
「〇子さん、××さんと、▲▲さんから、お香典はいくら来たの? そう、それなら●●●円くらいのものをお返ししなきゃだめよ。早くしなさい」
と言った指示と確認をするのが非常な喜びであった。お人よしで反論のできない我が母は、冠婚葬祭があるたび、そのおばさんのせいで、ノイローゼになっていた。このことは今でも激しく恨んでいる。だから、面倒を避けるため、参列者全員に、お香典、お花、供物等辞退の旨はあらかじめ伝えておいた。その代わり、会葬御礼の印刷物とハンカチ1枚だけ渡して帰っていただいた。
「香典を断るなんて聞いたことないわ。桃実ちゃんバカじゃないのかしら」
とか私の悪口を言っているかもしれないけど、気にしない。

しかし、葬儀代って全くもって不透明だし、ぼり取りたいだけぼり取る、暴利の世界だ。
母は、10年前の父の葬儀後、この葬儀社の営業さんに言いくるめられて、会員となってしまい、ずっと積み立てをしてきた。が、その積み立てでカバーできるサービスはごくごく限定的であったのだ。葬儀場と葬儀の打ち合わせをしていても、
「これは含まれていません、これも含まれていません、これも別途になります」
と、どんどん、万単位、十万単位のものが積み増しされるのであった。
ったくもう、人の弱みと不慣れにつけこんで。それでも、理不尽な請求額にはがんがん抗議しておいたけど。



2019/07/05

父が生前に母をのろけていた話

母は、まだ火葬場待ち。明日まで、ドライアイスで保存してもらっている。
葬儀当日、どうしても出席できない近所の人が、母にお別れを言いたいというので、そこへ連れて行った。
母の顔を見ながら、生前に母と話をしたことを、あれこれ語ってくれたが、亡父が、この人に、
「うちの母ちゃんは、世界一の女房だ」
と、のろけていたそうなのだ。へえ~~~~、意外。私が記憶している限り、1年のうち300日くらい喧嘩しているイメージしかなかったからだ。
しかし、母のような古い女でなければ、あの頑固ジジイとは一緒にいられなかったであろう。
父と母は、まさに「縁」としか言いようがない経緯で結婚した。
二人とも、貧乏、片親、学歴なしであり、日本海側育ちで塩分の濃いものをおかずとして食べるという食習慣も一致していた。
昔びとの母は、料理上手で、ひたすら父の好む料理を作り続けた。激しい喧嘩も繰り返したが、基本的に、あるいは、あきらめきっていたせいか、父の言うことに従って生きてきた。そして、さまざまな苦労を、学や経験が無いなりに、父と乗り越えてきた。
母でなければ、できないことだった。

しかし、父は、生きているうちに、そのことを母にちゃんと言ったのだろうか。
世の殿方は、他人には言うけれど、当の女房殿にははっきり言わない、という不思議なところがある。
いまさら照れ臭い、とか言わず、せめて、結婚記念日か何かで、「お前ほどの女房はいない」とか、「お前には感謝している」「お前と結婚出来て俺は幸せ者だ」とか、勇気をもって言ってほしい、と思う。

母が亡くなってしまった今、悲しいけれど、でも、いまごろ空の上で父と再会を喜び合っているだろう。そう思えば、悲しみも薄れる。私もそのうち行くし。